昔の日本の家庭では、なぜ父親は権威があったのだろう?
逆に言えば、なぜ、今の父親は家族に軽んじられ、全く威厳がないのだろう?
それは、昔の日本では、父親は家にいても、決して「ゆるまなかった」からである。
ところが、今の日本では、父親は、家ではゆるむのが義務だとでもいうように、決して引き締まらず、ゆるみっぱなしだ。
そんな父親は、家族に少しも尊敬されないばかりか、軽蔑され、疎まれて当然だ。
家族が、一家を支える父親を敬わないのが悪いのではない。
なぜなら、家族だって、本当は、父親には立派でいて欲しいのだ。
しかし、ゆるんだ父親に輝きはなく、そんな父親が虚勢でも張れば、目にするのも汚らわしいであろう。
家庭に居場所がないのは、父親自身の責任である。

家の外でも、もちろんであるが、父親は家の中でも、決してゆるんではならない。
家の中で、誰も労わってくれないことを嘆く父親が多い。
嘆くとは、泣き言である。
泣き言を言うこと自体が、ゆるんでいるのだ。

弱音を吐かない。
泣き言を言わない。
甘ったれない。
男は、この3つを座右の銘としなければならない。
そんな男は、鬼神も敬うし、天使も微笑む。
そうであるなら、家族が尊敬しないはずがないのである。









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