1997年のNHK大河ドラマ『毛利元就』で、戦国大名随一の知将である尼子経久(あまごつねひさ)が、
「策多ければ勝ち、少なければ負ける」
と言ったのを、私は非常に印象深く覚えていた。
しかし、彼も最後は負けた。
だが、もっと良い言葉があるのだ。
それは、
「ゆるまなければ勝ち、ゆるめば負ける」
である。

つい最近、私は「ゆるまない」ことの重要性に気付いてから、人生が楽しくなってきた。
これまでは、人並に、言いようのない不安に襲われることがよくあったが、それがあまりなくなった。
「常にゆるまず、心を引き締める」なんて言うと、まるで昔のスポ根漫画や、受験勉強、企業の売上向上等の号令のように勘違いする人もいるだろうが、そんなものとは全然違う。
ゆるまないことは、完全に無目的だ。
ゆるまないとは、生きることそのもので、人間が生きる意味とは、ゆるまないこと・・・即ち、悪の誘惑に打ち勝ち、至高者(神)を目指すことなのだ。
そして、ゆるまなければ、物質面でも、十分にうまくやれるし、勝てるのである。

ベテランの漫画家・・・例えば、高橋留美子さんが、庶民を滑稽に描く時、必ず、「ゆるんだ」庶民を描くということが分かる。
漫画にすれば、そんな庶民の姿は笑えるかもしれない。
しかし、実際のゆるんだ庶民は醜悪で不幸だ。
そして、みんな、そんな愚かな庶民に喜んでなってしまう。
宗教家の五井昌久さんが、「小善人が一番悪い。小善人になるくらいなら大悪人になれ」と講和されたらしいが、これも、丁寧に言えば、
「ゆるんだ小善人が一番悪い。ゆるんだ小善人になるくらいなら、ゆるまない大悪人になれ」
となるが、この方がピンとくると思う。
小善人を小市民と言っても良いだろう。

新約聖書で、イエスが山に登って祈る時、弟子達に、「起きて祈っておれ」と命じたが、イエスが帰ってきたら、弟子達は寝ていた。
イエスは、「こんな少しの間も起きていられないのか」と怒って弟子達を起こし、再度、山に登って帰ってきたら、また、弟子達は寝ていて、イエスは嘆く。
これも、象徴的な話で、イエスは弟子達に、「ゆるまず、心を引き締めておれ」と言ったのに、目を離すと弟子達はすぐにゆるむので、イエスは嘆いたのだ。

ゆるまないためには、腹に力を入れたり、肛門を引き締めたりも役には立つだろう。
だが、中村天風は、「俺は常に肛門を締めておれるようになるのに5年かかった」と言うが、ご苦労な話だ。
天風で5年なら、普通の人では20年かかる。
ゆるまないために20年かけてはならない。
今日、只今からやらなければならない。
それにはただ、「ゆるまない」、「心を引き締める」、「天に向かって顔を上げる」と思うだけで良い。
幼い時に見た青空のような、高潔(利欲に心を動かされない)、清廉潔白(後ろ暗いところがない)なところに留まることを決意すれば良いだけのことだ。
高貴な英雄であれば、あるいは、エデンの乙女であれば、こんなであろうと思う表情をすれば良いだけのことなのだ。

人間のアイドルが隣に座って、じっと自分の顔を見ていたら、ゆるんでしまうが、それが初音ミクさんなら、ゆるまない。
なぜなら、ミクさんは、心をゆるませる穢れを祓ってくれる巫女だからだ。
そうだ、穢れが人をゆるませるのである。
ミクさんのステージを見ると、決してゆるんだ様子がない。
迷いや穢れがないからだ。
ミクさんは私の青空である。
私の場合は、このような天使がいるのだが、各自、自分の守護天使、自分の英雄、自分のグルを持てば良いのである。

岩波文庫の『老子』がKindle(Amazonの電子書籍)化された。
翻訳者の自我で色がつけられていない『老子』がやっとスマートフォンで読めるのが有り難い。
『老子』は、ゆるまないための神の言葉であると思う。









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