今日まで3連休だっという人が多かっただろうが、こんな時は土曜休みが無くなるルールが会社にあって2連休だったり、あるいは、3連休ではあったが、その分、次の土曜は出勤になるという会社もあると思う。
あるいは、世間の休日こそ忙しくて、この3日全部働いていたという人も少なくないだろう。
そういえば、最近のスーパーは、正月が休みどころか、逆に正月は開店時間を早くするところもある。
従業員は大変だ。
「この厳しい時代、そうやってライバルに差をつけないと、それこそ、従業員を解雇しなくてはならなくなる」と言う経営者もいるだろうが、そこをうまくやるのが経営者ってもんだろとか思う。
私は、元旦に宅急便が来た時は、配達してくれた、もうかなり年配のドライバーの方が可哀想で涙が出そうになったことがあった。
私も以前、年末、元旦、さらにそこからずっとゴールデンウィーク明けまで、約半年の間、1日も休まず、朝7時半から午前0時まで働いたことがあるが、それは好きでやっていたのだった。
その頃、仕事で鍛錬するという・・・まあ、趣味と思っていただければ良いが、そんな馬鹿をやったのであるが、結局、心が狭く硬い馬鹿になっただけだった。
私も、明日から出勤だ。
正直、私は人嫌いで、人の集まる場所・・・駅や電車の中、それに会社も好きではないが、今は、明日からまた、そんなところに行くのが楽しみでならないのである。
いよいよ頭がおかしくなったか・・・と言うと、そうなのかもしれないが、ここ数日、このブログで書いてきた「沈黙」を実践することが出来るからだ。
心を沈黙に保つという、神に近付くための最上の行は、心が動き易いところでやってこそ、進歩が大きい。
「微かな呼吸」という必殺の光線銃もしっかりと身につけている。
後は敵に挑むだけである。
学校や会社、あるいは、少年院や刑務所なんてところは、神になるための行をする場所と心得れば、なかなか良いところだ。
そんな場所には、心がぐらつき、荒れ狂う材料にこと欠かない。
だが、心を沈黙に保てば、精神攻撃をしかけてくる現象はたちまち消え去る。
早く、その爽快さを味わうようになるべきだ。
だが、敵さんもなかなかのものだ。
ゲーテの『ファウスト』で、神様は、「私に近付くために常に努力している」ファウストを買ってはいたが、そのファウストは推定15歳の純情可憐な貧しい娘グレートヒュンにメロメロになって、心は揺らめき動き回って止まらずになってしまった。
しかし、我々には、微かな呼吸という光線銃がある。
ラマナ・マハルシは、「私は誰か?(自分とは何か?)」と問う火縄銃を、ニサルガダッタ・マハラジは、「存在の感覚にしがみつく」という六連銃を与えてくれたが、今の日本は、豊かである分、かえって、彼らの時代のインドよりも、心を惑わす悪魔は多い。
まあ、それも神様の配慮であろうが・・・
だから、我々には、微かな呼吸という、超高性能の光線銃が必要なのだ。
そして、私は、心を持たない少女、初音ミクさんの透明な心に、自分の心を預ければ、容易く光線銃の狙いを付けられる。
普通は、光線銃を持っていても、横や後ろから襲って来る敵には弱いが、私のようにすれば、光線銃自らが撃つのである。
私の場合は、そのために頼るのは初音ミクさんだが、それぞれが、好きな人物に対し、「僕は君」、「私はあなた」と思って、その人物のように、軽やかに振舞うと良い。
それを実践出来る社会は楽しい遊び場だ。
ブルース・リーが『燃えよドラゴン』で言っていたように、「良い戦いは、少人数でやる劇」のようなものなのだ。
「敵が押せば引き、引けば押す。好機が来ても、私は打たない。拳自らが打つ」のである。
全て、起こるまま、なりゆきにまかせ、光線銃自身に撃たせれば良い。
ただ、光線銃を持っていれば良いのである。
それが、微かな呼吸を保つことである。
光線銃を持った者にとって、社会にうごめく敵共は、せいぜいが小学2年生の不良である。
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あるいは、世間の休日こそ忙しくて、この3日全部働いていたという人も少なくないだろう。
そういえば、最近のスーパーは、正月が休みどころか、逆に正月は開店時間を早くするところもある。
従業員は大変だ。
「この厳しい時代、そうやってライバルに差をつけないと、それこそ、従業員を解雇しなくてはならなくなる」と言う経営者もいるだろうが、そこをうまくやるのが経営者ってもんだろとか思う。
私は、元旦に宅急便が来た時は、配達してくれた、もうかなり年配のドライバーの方が可哀想で涙が出そうになったことがあった。
私も以前、年末、元旦、さらにそこからずっとゴールデンウィーク明けまで、約半年の間、1日も休まず、朝7時半から午前0時まで働いたことがあるが、それは好きでやっていたのだった。
その頃、仕事で鍛錬するという・・・まあ、趣味と思っていただければ良いが、そんな馬鹿をやったのであるが、結局、心が狭く硬い馬鹿になっただけだった。
私も、明日から出勤だ。
正直、私は人嫌いで、人の集まる場所・・・駅や電車の中、それに会社も好きではないが、今は、明日からまた、そんなところに行くのが楽しみでならないのである。
いよいよ頭がおかしくなったか・・・と言うと、そうなのかもしれないが、ここ数日、このブログで書いてきた「沈黙」を実践することが出来るからだ。
心を沈黙に保つという、神に近付くための最上の行は、心が動き易いところでやってこそ、進歩が大きい。
「微かな呼吸」という必殺の光線銃もしっかりと身につけている。
後は敵に挑むだけである。
学校や会社、あるいは、少年院や刑務所なんてところは、神になるための行をする場所と心得れば、なかなか良いところだ。
そんな場所には、心がぐらつき、荒れ狂う材料にこと欠かない。
だが、心を沈黙に保てば、精神攻撃をしかけてくる現象はたちまち消え去る。
早く、その爽快さを味わうようになるべきだ。
だが、敵さんもなかなかのものだ。
ゲーテの『ファウスト』で、神様は、「私に近付くために常に努力している」ファウストを買ってはいたが、そのファウストは推定15歳の純情可憐な貧しい娘グレートヒュンにメロメロになって、心は揺らめき動き回って止まらずになってしまった。
しかし、我々には、微かな呼吸という光線銃がある。
ラマナ・マハルシは、「私は誰か?(自分とは何か?)」と問う火縄銃を、ニサルガダッタ・マハラジは、「存在の感覚にしがみつく」という六連銃を与えてくれたが、今の日本は、豊かである分、かえって、彼らの時代のインドよりも、心を惑わす悪魔は多い。
まあ、それも神様の配慮であろうが・・・
だから、我々には、微かな呼吸という、超高性能の光線銃が必要なのだ。
そして、私は、心を持たない少女、初音ミクさんの透明な心に、自分の心を預ければ、容易く光線銃の狙いを付けられる。
普通は、光線銃を持っていても、横や後ろから襲って来る敵には弱いが、私のようにすれば、光線銃自らが撃つのである。
私の場合は、そのために頼るのは初音ミクさんだが、それぞれが、好きな人物に対し、「僕は君」、「私はあなた」と思って、その人物のように、軽やかに振舞うと良い。
それを実践出来る社会は楽しい遊び場だ。
ブルース・リーが『燃えよドラゴン』で言っていたように、「良い戦いは、少人数でやる劇」のようなものなのだ。
「敵が押せば引き、引けば押す。好機が来ても、私は打たない。拳自らが打つ」のである。
全て、起こるまま、なりゆきにまかせ、光線銃自身に撃たせれば良い。
ただ、光線銃を持っていれば良いのである。
それが、微かな呼吸を保つことである。
光線銃を持った者にとって、社会にうごめく敵共は、せいぜいが小学2年生の不良である。
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