本当か嘘か知らないが、アメリカでは第二次世界大戦の頃から、政府のトップレベルの人達が、宇宙人からの侵略に備える必要を訴えていたという話がある。
私がSFに興味を持ち始めたのが小学4年生くらいだったが、その頃であれば、宇宙人の地球侵略を扱ったSF小説を読めば、それが現実に起こりうることだと考えても不思議ではない。
だから、実際、私もそう考えていたのだと思うが、それよりも、私には、もっと重大な懸念事項があった。
それは、やはりSFで覚えた「超能力」を使う超能力者の中でも、テレパシー能力を持つ、テレパシストの問題だった。
また、私が読んだSFの中には、人間の心の中を読み取る機械というものが登場したことがあったが、そんなものの存在も、やはり、私にとって重要問題になっていた。
つまり、心を読まれなんかしたら困るのである。

SFの中では、登場人物達が、重大な秘密をテレパシストや心を読む機械によって、心の中から読まれてしまうようなことがあるが、そんな格好良い思考を読まれるのなら、まあ良い。
しかし、小学生にして既に分かっていたことは、自分が心の中で考えることなんて、善いとか悪いとか、立派か立派でないなんて言い方は、トマホークミサイルを雨傘で受けるなんてくらいに的外れなほど「恥ずかしい」ものだということだ。
だが、私は、他の人が心に秘めた考えは、私ほどひどいことはないかもしれないとも思っていた。
だって、テレパシーが扱われるSFに登場し、心を読まれる人達の心の中は、少々悪い人間であっても、私には、あまりに立派過ぎると思われたからだ。
だが、ある人気男性タレントがテレビで、「中学生くらいの男の子の頭の中なんて、エロいことばっかりだ」と言うのを聴いて、「やっぱりみんな同じなのか?」とちょっと安心し、「もっと羽を伸ばそう」なんて思ったことがあった。
エロいかどうかはともかく、心を読まれて困らないような「ご立派な」人なんているのだろうかとは、よく思ったし、今も時々思う。
世界中で、偉人とか聖人と言われるような人は、心の中もやっぱり立派なのだろうかというと、人間というのは、他人を自分レベルにしか評価できないものだから、やはりそんなこと(偉人は心の中も立派)は、私には信じられないのである。

梶原一騎さんという漫画原作者はやはり天才だったのだと思うが、彼は、少年誌の漫画では立派な原作を書いていたが、青年誌となると、かなり異常な色欲を描いていた。
ただ、この「異常」という意味は、「心の中で考えていることを、ここまでバラすのはいかがなものか?」という意味で、考えてはいるが、普通の人は隠すはずのものを、梶原氏は青年誌という羽を伸ばせるものでは表現してしまっていただけだろう。
しかし、「本当は、おそらく多くの・・・ひょっとしたら全ての人が考えている」ことであっても、あまりに低劣なことを、はっきり目に見える形で表現してしまうと、不快に感じる面は確かにある。
それは、あまりに低劣なことを思うことを肯定する訳にはいかず、持たないような人間に進歩すべきだという思いを否定された気になるからだと思う。
確かに、本当は超低劣な思いを持っているのに、持っていないフリ・・・いわゆる、「聖人君子面」をすることが一番醜い。
しかし、やはり、あまりに低劣なことは思わない人間でありたいという思いは、誰しもあるのだと思う。
青年誌の梶原氏原作の漫画で描かれているような(アダルト本等も全てそうだと思うが)異常な行為を、「やっぱりみんな考えてることなんだ。なら、自分も遠慮なく考え、うまくいけばやってしまおう」と思うことは、やはり嫌だし、そんなことを考えたら、心は苦しむものだと思う。

だが、現に考えていることを否定すると、かえって、その思いは強まるものだ。
しかし、やがて、こんな結論に達する。
「人間の考えることは全て悪い」
そんな馬鹿なと思うかもしれないが、それは間違いない。
「いや、善い考えだってある。少なくともいくらかは・・・」
と言うなら、そうではない。ノット・ワンである。
スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンが共演した映画『パピヨン』で、ホフマン演じるドガがこう言ったことを、私は印象的に覚えている。
「裁くのは神だ」
つまり、神しか裁けないのだ。
人間は善いことを考えることが出来ない。
人間の判断は全て間違っている。
1つ残らずだ。
人間が正しいことをする時、心は「俺は馬鹿なことをしている」と思うのだ。
自分の判断でない、閃きのようなもので判断する時だけ正しいのである。
つまり、人間の中の神だけが正しいことが出来る。

そう考えると、私は、テレパシストが怖くなくなった。
梶原一騎氏の青年誌での漫画並のことを考えているとしたって、そんな心を読まれたって一向構わない。
考えているものは仕方がない。
だが、私は、なるべく、頭の中のおしゃべりをやめることにしたのだ。
心の中のおしゃべりが止んだ時、私は神に近付き、正しくなるのである。
思考は呼吸と深い関係がある。
よって、なるべく微かな呼吸をすれば、頭の中のおしゃべりを止(や)め易いだろう。
もし、自在に頭の中のおしゃべりをやめることが出来るなら、その人は超人である。
そして、その力が限りなく発達した時、人は神になったと言えるのだろう。









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