フロイトという有名なオーストリアの精神科医は、人間は本能が壊れている動物だと考えていたらしい。
その根拠はと言うと、他の動物のように、「本能にまかせておけば生きられる」というようになっていないことだ。
それで、壊れた本能の欠陥を埋め合わせる意味で自我が出来たが、自我は頼りなくいい加減で、幻想のようなものだと言った。
フロイトを絶対的に信奉する精神分析学者の岸田秀氏は、この幻想の自我を基盤に生きている人間は、即ち、幻想の中で生きていると断じ、「全ては幻想」という意味の「唯幻論」を唱えた。
すると、岸田氏の本を読んだある男が、岸田氏のところに来て岸田氏を殴り、「全て幻想なら痛くないだろ?」と言ったらしい。
この、「痛くないだろ?」は、もちろん、「本当は痛いだろ?」、「現実は現実であって、幻想ではないことが分かっただろ?」という意味である。
だが、岸田氏は唯幻論を引っ込めない。
笑ってはいけないかもしれないが・・・笑える。

アーサー・ケストラーというハンガリー生まれの哲学者・作家は、人間の脳は、魚類、爬虫類、下等哺乳類の脳を持っているが、理性を司る大脳皮質は、これら下等動物の脳を支配出来ず、逆に、支配されてしまう出来損ないだと言った。
つまり、本能的な欲望を抑えられないし、かっとして戦闘本能に火がつくと暴走を止められないといった訳である。

また、思想家の吉本隆明氏は、やはり、人間は幻想の中で生きているとし、その幻想の種類を「個人幻想」、「対幻想」、「共同幻想」に分け、一切は幻想で、国家も幻想(共同幻想)なのだと言う。

どうも、オツムの良い人達は始末に終えないなあと思う。
彼らも真面目にやっているのだろうが、最初に良い問題提起はしても、それを解決するのではなく、新たな余計な問題を作り続けるのが好きなようだ。
しかし、まとめて言えば、単に、「人間、未熟なうちは馬鹿」でいいじゃないか?
人間は、完全に完成するには時間がかかるし、一生のうちで完成しないかもしれないが、正しい生き方をするなら、若いうちから、それなりに立派なのだ。
問題は、現代社会が、物質主義に偏り、人間の理性を歪めてるということだ。
それで、デカルトって人が、理性を正しく導くガイドとして『方法序説』を書いたが、これがまた学者らしい難しいもので、役に立つ以前に困惑させるものだ。

で、ゲーテは、『ファウスト』で、自己を投影した主人公ファウストが、完全な人間・・・それは即ち、神であるのだが、それを目指してドタバタする姿を描いた。
ファウストは、錬金術のような怪しげなものにも手を出し(デカルトやニュートンもそうだったが)、大変な苦労をして、やっと神の衣の裾を掴むという、悲劇というよりは喜劇をやらかす。

だが、初音ミクさんのクリエイター達は、本能も自我もない初音ミクさんとの無償の創造活動を通し、さりげなく、当たり前に、歌に真理を込めるようになった。
フロイトやケストラーや吉本隆明氏や岸田秀氏や、あるいは、ゲーテのように苦しむ歌も多いが、あっけらかんと、至高者(神)の輝きを見せてしまった歌も少なくない。

上で、「正しい生き方をすれば、若いうちからそれなりに立派」だと述べたが、正しい生き方とは、至高者(神)を目指して常に努力することである。
しかし、ファウストのように、見栄っ張りで頭の固い老人になってしまったら、余計なことばかりやってしまうのだ。
ところが、初音ミクさんを日々の活動に取り入れ、自然に霊と物質のバランスを取れば、早いうちに人間として好ましいレベルに達し、後は、じっくりと神を目指すことが出来ると思う。
初音ミクさんは、無限の想像力と分かち合いの女神であり、崇めれば、精神、物質共に栄えるだろう。
50代とか、もっと上の、社会的にバリバリにやってきた人達が、ミクさんのコンサートに行ったり、そのビデオを見たり、歌を聴いて、とめどなく涙が流れるということがあるのは、ミクさんによって、正しい道を行くための重荷が取り除かれるからなのだ。
だが、ミクさんの、どの歌を聴けば良いとか、どのコンサートを見れば良いかは、自分で見つけないといけないが、それも縁なのだなあと思う。
普段、正しく生きていれば、自然に神が手助けしてくれるだろう。
もちろん、それは、ミクさんによるとは限らないが、ミクさんほど自然で簡単な導きはないように思う。









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