よく覚えていないのだが、宮崎駿さんが子供の時、サーカスか何かで超人的演技をする少女を見て、その少女に神を見たように思い、それが、後に彼が生み出したヒロイン・・・ナウシカ、シータ、そして、宮崎さんの理想の女性像であるクラリスになったというようなお話があったと思う。
もちろん、それは、宮崎さんの1つの幻想ではあるのだけれど、それは、「力のある幻想」であり、その少女の姿は実際の神と違わないし、宮崎さんの中にいる神の反映であったのだと思う。
そして、そんなふうに、自分だけの神様に出会うことが、人生の中での最高の幸運なのである。
アイドル時代の中森明菜さんに、男女を問わず、実際は若い人が多かったのだろうが、誰しもが、ちょっと神様のようなものを見たのだと思う。
もちろん、それは作り物のイメージかもしれないが、中森さんはそれによく合っていたのだろう。
それを端的に表現したのが、井上陽水さん作詞作曲の彼女の曲『飾りじゃないのよ涙は』の出だしの歌詞、「私は泣いたことがない」だったと思う。
これは、井上陽水さんが、当時の中森明菜さんのイメージを見事に捉えていたのだと思う。
「速い車にのっけられても、急にスピンかけられても恐くなかった」という歌詞で、そのイメージがよく湧くのである。
実際に、そんなことされても、キャーキャー騒がず、超然としている少女がいたら、絶対に惚れてしまわないだろうか?
最近、初音ミクさんの『トリノコシティ』のMV(ミュージック・ビデオ)の1つ『【PDA FT】トリノコシティ【初音ミク:ソリチュード】PV』を見たのだが、その中で、ユニークなオープンカー(1人乗りでかなり格好良い。オープンカーとバイクの中間のような雰囲気)に乗ったミクさんが、その車を横滑りさせ、道路の絶壁ギリギリで止まり、挙句、空中に飛び出して横に一回転するのだが、ミクさんの顔が全く恐れていなくて超然としているのを見て、やっぱり神様を見たような気がした。
【PDA FT】トリノコシティ【初音ミク:ソリチュード】PV ~Youtube~
(さっき私が再生した時、399回目だった)
何も恐れず、超然、あるいは、泰然自若(たいぜんじじゃく。落ち着いて物事に動じない様)としている姿に神が現れるのではないかと思う。
それは、決して、人に見せつけるための蛮勇のようなものではなく、良くも悪くも、心が消えてしまった状態なのだ。
ひろさちやさんの昔の著作『空海入門』で、危険な中国への航海の船の中で、空海が超然とした様子が書かれていた。
空海は、「次は天竺(インド)へ」と思っているので、中国に着くのは当たり前なのであり、何も恐れていない。
まさに、仏陀のようであると、それだけで私は憧れてしまった。
もちろん、機関銃の放射の中で両手を広げて泰然としていたナウシカや、「あなたはここで私と死ぬの」とムスカに恐れることもなく言ったシータ、銃弾の中、ルパンを庇(かば)って動じなかったクラリスにも、神を見ることが出来ると思う。
超然を手に入れ、何も恐れなくなれば、万物は逆らわず、むしろ、従うだろう。
なぜなら、それが万物を統べる者、即ち、神であるからだ。
ゲーテの『ファウスト』で、神を目指し常に努力する者であったファウストがそうであったように、我々も・・・少なくとも私はそれを目指しているのである。
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もちろん、それは、宮崎さんの1つの幻想ではあるのだけれど、それは、「力のある幻想」であり、その少女の姿は実際の神と違わないし、宮崎さんの中にいる神の反映であったのだと思う。
そして、そんなふうに、自分だけの神様に出会うことが、人生の中での最高の幸運なのである。
アイドル時代の中森明菜さんに、男女を問わず、実際は若い人が多かったのだろうが、誰しもが、ちょっと神様のようなものを見たのだと思う。
もちろん、それは作り物のイメージかもしれないが、中森さんはそれによく合っていたのだろう。
それを端的に表現したのが、井上陽水さん作詞作曲の彼女の曲『飾りじゃないのよ涙は』の出だしの歌詞、「私は泣いたことがない」だったと思う。
これは、井上陽水さんが、当時の中森明菜さんのイメージを見事に捉えていたのだと思う。
「速い車にのっけられても、急にスピンかけられても恐くなかった」という歌詞で、そのイメージがよく湧くのである。
実際に、そんなことされても、キャーキャー騒がず、超然としている少女がいたら、絶対に惚れてしまわないだろうか?
最近、初音ミクさんの『トリノコシティ』のMV(ミュージック・ビデオ)の1つ『【PDA FT】トリノコシティ【初音ミク:ソリチュード】PV』を見たのだが、その中で、ユニークなオープンカー(1人乗りでかなり格好良い。オープンカーとバイクの中間のような雰囲気)に乗ったミクさんが、その車を横滑りさせ、道路の絶壁ギリギリで止まり、挙句、空中に飛び出して横に一回転するのだが、ミクさんの顔が全く恐れていなくて超然としているのを見て、やっぱり神様を見たような気がした。
【PDA FT】トリノコシティ【初音ミク:ソリチュード】PV ~Youtube~
(さっき私が再生した時、399回目だった)
何も恐れず、超然、あるいは、泰然自若(たいぜんじじゃく。落ち着いて物事に動じない様)としている姿に神が現れるのではないかと思う。
それは、決して、人に見せつけるための蛮勇のようなものではなく、良くも悪くも、心が消えてしまった状態なのだ。
ひろさちやさんの昔の著作『空海入門』で、危険な中国への航海の船の中で、空海が超然とした様子が書かれていた。
空海は、「次は天竺(インド)へ」と思っているので、中国に着くのは当たり前なのであり、何も恐れていない。
まさに、仏陀のようであると、それだけで私は憧れてしまった。
もちろん、機関銃の放射の中で両手を広げて泰然としていたナウシカや、「あなたはここで私と死ぬの」とムスカに恐れることもなく言ったシータ、銃弾の中、ルパンを庇(かば)って動じなかったクラリスにも、神を見ることが出来ると思う。
超然を手に入れ、何も恐れなくなれば、万物は逆らわず、むしろ、従うだろう。
なぜなら、それが万物を統べる者、即ち、神であるからだ。
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