中村天風は、肉や魚は食べてはならないと言う。
天風は、人間にとって良い食べ物は果物で、次に野菜だと言い、とにかく、肉や魚は決して食べるなという。
一方、昨今人気があるらしい糖質制限(炭水化物制限)ダイエットを標榜(主義・主張などをはっきりと掲げ示すこと)する医者達は、砂糖はもちろん、米、パンは物凄く悪いものだから食べてはならないし、果物すら糖分が多いので駄目だと言う。そして、肉、魚等は無制限に食べて良いと言う。
ある有名な神道家は、日本人は米と魚を食べるのが絶対に正しく、肉は駄目だと言う。

これらのどれが正しいかは、遠い未来には結論が出るのかもしれないが、それが千年後だとしたら、正解はこうだ。
「食べ過ぎなければ、何を食べたって同じ」
「食べ過ぎれば、何を食べても悪い」
他にないじゃないか?
肉や魚を食べて健康で長生きの人もいれば、米もパンも食べ、甘いものが大好きでも、いつまでも若々しく健康な人も沢山いる。
土台、何を食べるかより大切なことがあるのではないのかね?
それは正しい生き方だ。
食べ過ぎないことも、正しい生き方の1つだ。
正しい生き方とは、世間で言う道徳的、模範的生き方と、共通する部分も多いが、必ずしも一致しない。
道徳でも、他人を思いやることは教える。
しかし、世間の道徳は、価値観やしきたりが共通するグループ内でのみ成立するものだ。

ある意味、正しい生き方とは個人的なものだ。
何が正しく、何が間違っているかは、自分で決定しなければならない。
どんな生き方をしようが勝手だが、考えや行動の反作用に法則性があることが分かれば、自ずと生き方は決まる。
だが、「こんなことをすれば得だからする」、「こんなことをすれば損だからしない」という生き方をするのは動物と同じで、しかも、人間は多少の知性がある分、他も自分も害し、悲惨になる。
ダスキンの経営理念のように、「損と得とあらば損の道を行く」なんてのもおかしなもので、確かに、正しい生き方をすれば、自然に損に見えることをするかもしれないが、別に損を求める必要もない。時には得な道を行くことが正しい場合だってあるさ。

正しい生き方とは、一瞬の閃きに従う生き方だ。
顔を上げて微笑んだ時、宇宙の広さをしみじみ思った時、人差し指を立て精神を統一した時、敬う人や心惹かれる人と瞳が重なった時、初音ミクさんの歌声が心に染み入った時・・・その一瞬、時のない世界の中で閃いた想いに従って生きれば、自ずと正しい生き方になる。
一言で言えば、自然に生きれば、それで良い。
逆に、不自然に生きれば、あらゆる災難が襲い掛かるだろう。
運命によって、激しい生き方をする者もいれば、安穏な生き方をする者もいるが、いずれでも、正しい、自然な生き方をすれば幸福になるだろう。

利益で争っている時も、顔を上げて微笑めば、相手もだが自分も痛みを受け入れる必要があることが分かる。
相手がそれに応じない場合も、こちらが真の意味で正しいことをすれば、自ずと解決するが、不自然な方が打撃を受ける。
昔から、「正義は常に勝つ」とか言うが、正しくは、「自然な方が常に勝つ」である。

一瞬を掴むことが出来れば無敵で危うさはない。
正しくは、時間のない(時間が消えた)場に溶ける(あるいは一致する)ということであるが、とりあえず、一瞬を掴むと言っても良いと思う。
そのために、顔を上げて微笑んだり、人差し指をすっと立てたり、呼吸を止めたり、美しいものを見たりするのである。
だが、それは、一瞬を得るだけやればよく、いつまでも作為的にやっていると、無限への扉は閉じられる。
しかし、何かに夢中になって、忘我の状態になっていれば、ずっと時間は消えている。そんなものを何か1つ持っていると、望ましい人生になるだろう。









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