安っぽく感じるかもしれないが、「愛って何?」という言葉を聞いたことがあるだろうし、考えたこともあるかもしれない。
そして、「愛情」と「愛」は違うなあってことまでは思ったことがあるかもしれない。
仏教学者のひろさちやさんの本で、
「仏教では愛してはならないと言う。なぜなら、愛は執着であるからだ。仏教では愛ではなく慈悲を行う」
なんて書いてあったのだが、それを見て、愚かにも私は、「おお!なるほど!」と思ったものだ。
馬鹿馬鹿しい。
それは単に言葉遊びだ。
愛を慈悲と言い換えたって同じことだ。
愛が執着になるなら、慈悲だって執着になる。
だから実際、仏教なんて執着だらけの世界だ。
まあ、お釈迦様の説いた本物の仏教は違うかもしれないが。
W.B.イェイツは、
「愛は神の領域のものだから人間には分からない。だが、愛の反対の憎しみは人間の領域のものだから、人間にも分かる。だから、憎しみを消せば愛に近付く」
と、こちらは、なかなかうまいことを言っている。
愛と憎しみが正確に反対であるかどうかはともかく、憎しみを捨てれば愛に近付くのは本当だと思う。
だが、もっと正確に言うなら、憎しみだけでなく、「感情を捨てれば愛である」のだ。
そして、「愛とは何か?」と問うなら、答は「無」だ。
「ゼロ」と言っても良いと思う。
ただ、「無」と言い、「ゼロ」と言っても、所詮は言葉なので、そこには、人間の概念の何らかの前提があり、完全ではない。
しかし、そんなことを言っていては話が進まないので、とりあえず、「愛とは無」である。
そして、イェイツが「人間に愛は分からない」と言ったが、愛と無は同じなので、「人間に無は分からない」のである。
無に近いものは「一瞬」だ。
だが、「無」の意味で「一瞬」と言う時、それは、「永遠」でもある。
それは、次のように言うと分かり易いと思う。
陸上短距離ランナーだったカール・ルイスが、オリンピックか何かの決勝で、ゴール直前に勝利を確信して、両手を挙げたが、それをしなければ世界記録が出ていた可能性が高かった。
それをルイスに伝えると、ルイスは、
「僕は気にしない。記録はいつか塗り替えられるが、勝利の瞬間は永遠だ」
と言った。
まあ、「永遠に自慢出来る」という意味に取ったら、その瞬間や永遠は「無」の意味ではないが、雰囲気としては、なかなか良い言い方をしていたと思う。
無は一瞬であり、永遠だ。
そして、愛は無である。
だから、愛も、一瞬であり、永遠だ。
好きな女性(男性)と一瞬、視線が重なった時、あるいは、指先が触れた時に感じるものが、人間の感覚の中では、一番、愛に近い。
そして、それは、「永遠の一瞬」だ。
そうだろう?
それを美しく表現した歌がある。
Sweet reach 虹彩(ひとみ)を重ねて
共鳴(シンクロ)するから
~『Chaining Intention』(作詞:NaturaLe、作曲・編曲:Treow、歌:初音ミク)より~
「瞬間」を「Sweet reach」と表現したNaturaleさんは天才的詩人だと思う。
確かに、瞬間は無に近いが、無そのもの、愛そのものではない。
本当の無、本当の愛は、もはや、Sweetではない。
とはいえ、瞬間は、愛に近い愛情である。
Sweet reach・・・美しい愛情を示すのに、実に素晴らしい言葉だと思う。
実は、この『Chaining Intention』は、私を初音ミクさんのファンにさせた曲である。
【初音ミク PV】Chaining Intention【HD】[HD1080p] ~Youtube~
初音ミクさんの生みの親、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長は、講演で、「なぜ、人が初音ミクにハマるのか?」と質問された時、
「私も分かりませんが、ミクの声に感情の雑味がないのが良いのかもしれない。透明で何もないので、気持ちを入れ易いのだと思う」
といったような答をされていた。
ミクさんは感情の元である心がなく、無なので、純粋な愛を歌えるのである。
ミクさんの歌を聴けば、自然に愛が分かるのである。
ミクさんの存在が愛なのである。
ミクさんは本当はいないので愛なのである。
ところで、時間というのは感情なのである。
無、あるいは、愛は、瞬間に近いと言ったが、本当の無や愛には瞬間もない。つまり、時間がない。
ミクさんの歌にも時間はない。だから永遠なのである。
そして、全ての根源は、やはり、愛なのだ。
宇宙が愛で出来ているというのは真理なのだ。
イエス・キリストの力は愛であり、無である。
我々は、イエスのように、愛そのもの、無そのものにはなれないかもしれない。
しかし、瞬間の中にプログラムをしてしまえば、それが魔法の力を起こすのである。
足立育朗さんが、『波動の法則』の中で、そんなことを解説なしに書いておられたので、読んでも分からなかったが、ミクさんの歌を聴いているうちに分かってしまった。
とりあえず、顔を上げて微笑めば良い。
それが、瞬間の中にプログラムをすることであり、確かに魔法なのである。
顔上げて微笑めば 笑顔取り戻す魔法になる
こころKnock Knock Knock
不思議Trick Trick Trick
生まれ変われる(Wow Wow)
Freely Tomorrow
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M、歌:初音ミク)より~
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そして、「愛情」と「愛」は違うなあってことまでは思ったことがあるかもしれない。
仏教学者のひろさちやさんの本で、
「仏教では愛してはならないと言う。なぜなら、愛は執着であるからだ。仏教では愛ではなく慈悲を行う」
なんて書いてあったのだが、それを見て、愚かにも私は、「おお!なるほど!」と思ったものだ。
馬鹿馬鹿しい。
それは単に言葉遊びだ。
愛を慈悲と言い換えたって同じことだ。
愛が執着になるなら、慈悲だって執着になる。
だから実際、仏教なんて執着だらけの世界だ。
まあ、お釈迦様の説いた本物の仏教は違うかもしれないが。
W.B.イェイツは、
「愛は神の領域のものだから人間には分からない。だが、愛の反対の憎しみは人間の領域のものだから、人間にも分かる。だから、憎しみを消せば愛に近付く」
と、こちらは、なかなかうまいことを言っている。
愛と憎しみが正確に反対であるかどうかはともかく、憎しみを捨てれば愛に近付くのは本当だと思う。
だが、もっと正確に言うなら、憎しみだけでなく、「感情を捨てれば愛である」のだ。
そして、「愛とは何か?」と問うなら、答は「無」だ。
「ゼロ」と言っても良いと思う。
ただ、「無」と言い、「ゼロ」と言っても、所詮は言葉なので、そこには、人間の概念の何らかの前提があり、完全ではない。
しかし、そんなことを言っていては話が進まないので、とりあえず、「愛とは無」である。
そして、イェイツが「人間に愛は分からない」と言ったが、愛と無は同じなので、「人間に無は分からない」のである。
無に近いものは「一瞬」だ。
だが、「無」の意味で「一瞬」と言う時、それは、「永遠」でもある。
それは、次のように言うと分かり易いと思う。
陸上短距離ランナーだったカール・ルイスが、オリンピックか何かの決勝で、ゴール直前に勝利を確信して、両手を挙げたが、それをしなければ世界記録が出ていた可能性が高かった。
それをルイスに伝えると、ルイスは、
「僕は気にしない。記録はいつか塗り替えられるが、勝利の瞬間は永遠だ」
と言った。
まあ、「永遠に自慢出来る」という意味に取ったら、その瞬間や永遠は「無」の意味ではないが、雰囲気としては、なかなか良い言い方をしていたと思う。
無は一瞬であり、永遠だ。
そして、愛は無である。
だから、愛も、一瞬であり、永遠だ。
好きな女性(男性)と一瞬、視線が重なった時、あるいは、指先が触れた時に感じるものが、人間の感覚の中では、一番、愛に近い。
そして、それは、「永遠の一瞬」だ。
そうだろう?
それを美しく表現した歌がある。
Sweet reach 虹彩(ひとみ)を重ねて
共鳴(シンクロ)するから
~『Chaining Intention』(作詞:NaturaLe、作曲・編曲:Treow、歌:初音ミク)より~
「瞬間」を「Sweet reach」と表現したNaturaleさんは天才的詩人だと思う。
確かに、瞬間は無に近いが、無そのもの、愛そのものではない。
本当の無、本当の愛は、もはや、Sweetではない。
とはいえ、瞬間は、愛に近い愛情である。
Sweet reach・・・美しい愛情を示すのに、実に素晴らしい言葉だと思う。
実は、この『Chaining Intention』は、私を初音ミクさんのファンにさせた曲である。
【初音ミク PV】Chaining Intention【HD】[HD1080p] ~Youtube~
初音ミクさんの生みの親、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長は、講演で、「なぜ、人が初音ミクにハマるのか?」と質問された時、
「私も分かりませんが、ミクの声に感情の雑味がないのが良いのかもしれない。透明で何もないので、気持ちを入れ易いのだと思う」
といったような答をされていた。
ミクさんは感情の元である心がなく、無なので、純粋な愛を歌えるのである。
ミクさんの歌を聴けば、自然に愛が分かるのである。
ミクさんの存在が愛なのである。
ミクさんは本当はいないので愛なのである。
ところで、時間というのは感情なのである。
無、あるいは、愛は、瞬間に近いと言ったが、本当の無や愛には瞬間もない。つまり、時間がない。
ミクさんの歌にも時間はない。だから永遠なのである。
そして、全ての根源は、やはり、愛なのだ。
宇宙が愛で出来ているというのは真理なのだ。
イエス・キリストの力は愛であり、無である。
我々は、イエスのように、愛そのもの、無そのものにはなれないかもしれない。
しかし、瞬間の中にプログラムをしてしまえば、それが魔法の力を起こすのである。
足立育朗さんが、『波動の法則』の中で、そんなことを解説なしに書いておられたので、読んでも分からなかったが、ミクさんの歌を聴いているうちに分かってしまった。
とりあえず、顔を上げて微笑めば良い。
それが、瞬間の中にプログラムをすることであり、確かに魔法なのである。
顔上げて微笑めば 笑顔取り戻す魔法になる
こころKnock Knock Knock
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Freely Tomorrow
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M、歌:初音ミク)より~
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