アインシュタインは健康的な天才だったと言われている。
だが、私は信じない。
彼は美化されただけで、本当は、普通の人とは比較にならないほどの深刻な欠点があったに違いない。
そして、実際にそうであったという証拠もかなりあるし、そもそも、本人も認めているようだ。
しかし、それでアインシュタインの価値が減るわけではない。

ニュートンや、一時、彼のライバルであったフック(フックの法則発見者。引力の法則もニュートンより早く発見していた)となると、蔑(さげす)み疎(うと)むに十分過ぎる欠陥人間だった。
ニュートンの傲慢、自己中心主義、無慈悲、フックの色情などは、彼らの欠点のほんの一部に過ぎないかもしれない。

こう言うと、「誰にだって欠点はある」という反論は当然あるはずだが、普通の人の欠点なんて「可愛らしい」のである。
天才は、「壮大な欠点」を持っている。

昔、当時、大スターだったマイケル.J.フォックスを採用した本田技研工業のCMで、「Hにもほどがある」、「もう見事なまでにH」というコピーがあった。
このHは、表向きは「本田」のHだが、マイケル.J.フォックスの顔にキスマークを付け、裏側で「エッチ(好色)」を感じさせるという仕組みであった。
誰だって「エッチ」である。
しかし、上に挙げたフックがそうだったが、天才となると、「エッチにもほどがある」、「恐ろしいまでにエッチ」でなければならないのだ。
池田満寿夫さんがそうだったかもしれないが、きっと、池田さんが憧れたモデリアーニもそうだったし、ピカソは明らかに、「エッチにもほどがあった」。
60歳過ぎのピカソは美術学校の通学路を徘徊し、10代の可愛い画学生の女の子を見つけては、「ボク、ピカソ」とナンパし(それでうまくいく有名人だ)、何人かとは同棲し、子供も作った。

昔、野田佳彦さんが総理大臣だった時、野田首相は、自分の美点として、小学生の時、教師に、「野田君は馬鹿がつくほど正直」と評価されたことを挙げていた。
私は、彼が総理だった時も馬鹿正直であったことは認めても良いし、確かにそれは良い性質である。
しかし、何の力にもなりはしない。
彼は我々同様、凡人だ。
大きな仕事をする一国のリーダーというのは、小泉純一郎のように「恐怖の欠陥人間」でなくてはならないのだ。
まあ、小泉さんが優れた仕事をしたかどうかは知らないが、強力なリーダーであったことは確かで、良い側近がいれば、日本はもっと良くなったはずだ(まあ、いなかったが)。

何度かご紹介したが、江戸時代と思うが、ある町人が、臆病を治したくて、毎日欠かさず、夕刻に墓場に行ったという話があり、その町人を一目見た、眼力のある武士が、即座に、「只者ではない」と感じた。
だが、もし、この町人が、本当に人物であるとすれば、彼の臆病は治っていない。
ただ、自分の欠点をいっそう強く自覚しただけだ。
そして、彼は臆病に徹したのだ。

あなたにも欠点はあるだろう。
だが、それを治そうなんてケチなことを考えるな。
土台、色欲が強くて、それを改めようとか、隠そうとする小善人が痴漢などの性犯罪をするのだ。
いわゆる、「むっつりスケベ」が一番危ない。
これも極端過ぎるが、『シティーハンター』のヒーロー、冴羽りょうのような、色欲全開なら、案外に危険はなく、作品の中でも、冴羽はいつもうまくいっていない。

欠点こそが才能なのである。
これは決して忘れてはならない。
正直、誠実、器用、努力家・・・などの美点は、確かに、周囲の人達に好かれるが、それは、周囲の人にとって、そんな美点の持ち主は都合が良いからというに過ぎない。
自覚した欠点こそが力なのである。
そして、欠点が大きければ能力も大きく、度の過ぎた欠点を持つなら天才である。

協調性がない?
なるほど、確かに、平凡なサラリーマンには向いていない。
しかし、度が過ぎた人間嫌い、唯我独尊であれば、大芸術家や大経営者になれる。
その最高の例は、ハワード・ヒューズだった。
彼は、何十年も、表舞台どころか人前に一切現れないという病的な人間嫌いであったが、世界を動かし続けた。
もっとも、彼は幸福ではなく、特に最後は悲惨であったが、彼か、彼の側近がもっと賢ければ、もっと何とかなったと思うのだ。

欠点を大切にするのだ。
何なら、欠点を育てても良いかもしれない。
だが、心も鍛えるのだ。
刹那の快楽のために、せっかくの才能を殺してはならない。

ルイス・キャロルが少女のヌード写真を撮ったことについて、「あれは芸術的行為で、猥褻ではない」などと馬鹿を言うな。
彼は致命的な少女性愛者、今で言うロリコン、ニンフェット・コンプレックスである。
彼は、写真の大半を処分しているが、残った写真の構図を見ても、明らかに色欲を感じさせ、表現は悪いが、「変態」と感じさせるものもあったと思う。
処分した方のは、さぞやひどかったのではあるまいか?
だが、彼は優れた心を持ち合わせ、少女に手を出すことはなく、実際に、数学や文学に昇華させたのだ。
それも、きっと、彼は自分の欠点・・・大いなる闇を自覚していたからだ。

欠点を自覚し、それはそのままにして、心を鍛えよ。
欠点と共に生きることを決意すれば、心は自然に鍛えられ、強くなる。
欠点が才能であり、大きな欠点が天才の証である。









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