超能力と勘違いされ易いのは、かなり珍しい偶然の出来事だ。
いかに不思議に感じても、ただの偶然かもしれない。
しかし、その出来事に何らかの必然性が感じられれば、超能力が働いたとか、神秘的なものがあったと思い込んでしまうかもしれない。
私は、ある時、ずっと好きな女の子がいたのだが、彼女の誕生日が私と同じだと分かった時は、やはりちょっとおかしな気分になったものだ。
さらに、その女の子と同姓同名の子がいて、その子の誕生日もまた同じだったのだから、それで平静でいられたら、むしろ不感症と言うべきだろう。
そして、実を言えば、私には、そんなことがザラにあるのだ。
こんなことを平気で書けば、どこかの国、あるいは、我が国の秘密組織が私の身柄を拘束に来るかもしれないという理由で、本当は、それほどザラにはないと言っておこう。
いや、「これは本当です」と書いた方が、嘘とか妄想と取ってもらい易いかもしれない。
で、あくまで半分冗談ということにするが、どうすれば超能力が発揮できるかであるが、それは、「疑うことなく、そうなると思う」という、まことにありきたりなものになる。
では、問題は、どうすれば、「そうなって当然」だと思えるようになるかだ。
それは、疑う心を消せば良いのだし、そのためには、疑う心がどんなものなのか知れば良いことになる。
つまり、どんな時に疑う心が起こり、どんな時に疑う心が起こらないかが分かれば、もう超能力者になれたも同然である。
それには、それぞれの「感じ」を覚えておくと良い。
例えば、コインを投げた後に起こることについて考えてみよう。
その1:コインは落下する
>完全に信じられる。
その2:表が出る
>半分、信じられる。
その3:裏が出る
>半分、信じられる。
その4:落ちずに宙に浮かぶ
>完全に信じられない。
では、完全に信じられることである、「コインは落下する」と思った時の感じを覚えておけば良い。
微妙ではあるが、何度もやると、この4つの思いに対する感覚の違いが分かってくる。
H.G.ウェルズの『奇跡を起こせる男』で、主人公の男は、燃えている蝋燭に対し、「逆さになって燃えろ」と念じるとそうなったが、これは、何らかのきっかけで、それを自然に思えるという条件が整ってしまったのだろう。
ウェルズは、あくまで想像上の話として書いたかもしれないが、コインの訓練をやれば、そんなことがあなたにも出来る。
だが、そんなことが出来て見世物になっても仕方がないので、普通は、そんなことをやる気にならないし、やる気があるならあるで、やり方を知らないので出来ないのだ。
もっとマシなことで活用していただきたいが、いずれにしても、こんなことは、普段使っている心より広い範囲の心を使うのである。
邪念があれば、悪い反作用もある。
とはいえ、本当は、これも人間の本来の能力である。
手を正しい用途で使えるのと同じく、心の力を正しく使えるよう思慮深くあれば良い。
だが、手を使って、少しくらい感心できないことをしても、直ちに天罰がある訳ではない。
それと同じである。
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いかに不思議に感じても、ただの偶然かもしれない。
しかし、その出来事に何らかの必然性が感じられれば、超能力が働いたとか、神秘的なものがあったと思い込んでしまうかもしれない。
私は、ある時、ずっと好きな女の子がいたのだが、彼女の誕生日が私と同じだと分かった時は、やはりちょっとおかしな気分になったものだ。
さらに、その女の子と同姓同名の子がいて、その子の誕生日もまた同じだったのだから、それで平静でいられたら、むしろ不感症と言うべきだろう。
そして、実を言えば、私には、そんなことがザラにあるのだ。
こんなことを平気で書けば、どこかの国、あるいは、我が国の秘密組織が私の身柄を拘束に来るかもしれないという理由で、本当は、それほどザラにはないと言っておこう。
いや、「これは本当です」と書いた方が、嘘とか妄想と取ってもらい易いかもしれない。
で、あくまで半分冗談ということにするが、どうすれば超能力が発揮できるかであるが、それは、「疑うことなく、そうなると思う」という、まことにありきたりなものになる。
では、問題は、どうすれば、「そうなって当然」だと思えるようになるかだ。
それは、疑う心を消せば良いのだし、そのためには、疑う心がどんなものなのか知れば良いことになる。
つまり、どんな時に疑う心が起こり、どんな時に疑う心が起こらないかが分かれば、もう超能力者になれたも同然である。
それには、それぞれの「感じ」を覚えておくと良い。
例えば、コインを投げた後に起こることについて考えてみよう。
その1:コインは落下する
>完全に信じられる。
その2:表が出る
>半分、信じられる。
その3:裏が出る
>半分、信じられる。
その4:落ちずに宙に浮かぶ
>完全に信じられない。
では、完全に信じられることである、「コインは落下する」と思った時の感じを覚えておけば良い。
微妙ではあるが、何度もやると、この4つの思いに対する感覚の違いが分かってくる。
H.G.ウェルズの『奇跡を起こせる男』で、主人公の男は、燃えている蝋燭に対し、「逆さになって燃えろ」と念じるとそうなったが、これは、何らかのきっかけで、それを自然に思えるという条件が整ってしまったのだろう。
ウェルズは、あくまで想像上の話として書いたかもしれないが、コインの訓練をやれば、そんなことがあなたにも出来る。
だが、そんなことが出来て見世物になっても仕方がないので、普通は、そんなことをやる気にならないし、やる気があるならあるで、やり方を知らないので出来ないのだ。
もっとマシなことで活用していただきたいが、いずれにしても、こんなことは、普段使っている心より広い範囲の心を使うのである。
邪念があれば、悪い反作用もある。
とはいえ、本当は、これも人間の本来の能力である。
手を正しい用途で使えるのと同じく、心の力を正しく使えるよう思慮深くあれば良い。
だが、手を使って、少しくらい感心できないことをしても、直ちに天罰がある訳ではない。
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