困難な勝負に挑む時、どんな想いを持てば良いのか?
また、どんな言葉を口にすれば良いのか?

ベン・ジョンソンが、金メダルを剥奪されたソウル・オリンピックの次のバルセロナ・オリンピックの出場権を賭けたカナダ予選で2位になり、オリンピック出場を決めた時、そして、オリンピックで予選を通過した時、それぞれ、「良い予感がする」、「勝てそうな気がするよ」と言ったと思う。
これらは、予感というよりは、自分を鼓舞しようとしていたのだと思う。
まあ、他に言いようがなかったのかもしれないが。

アメリカのジーナ・ガリソンが、全英オープンテニス(ウインブルドン大会)で、最初で最後の決勝に勝ち進み、6度の優勝があるマルチナ・ナブラチロワとの決勝前に、彼女は、「何が起きたって不思議はないわ」と言った。
これは、自分が勝つ可能性は少ないが、必ずしも負けるとは限らないという意味だろう。

私は、これらのいずれの言葉にも良い印象はなかったのを覚えている。
奇跡が起こることは全くないと分かる言葉だ。
ジョンソンは準決勝敗退、ガリソンは4-6、1-6で破れた。

奇跡とは、言ってみれば、0.1パーセントの可能性を実現することだ。
そして、あらゆる成功が全て奇跡なのである。
どんな時に奇跡が起こるのかというと、0.1パーセントの可能性を肯定した時である。
だが、上のジョンソンとガリソンは、幻の可能性を肯定してしまったのだ。
それは、99.9パーセントの現実的な可能性を敵に回したということで、初めから勝ち目はなかったのだ。

だが、西田文郎氏の「かもの法則」のように、「勝てるかも」とか、ミルトン・エリクソンのように、「勝てたら驚くだろうね」は、0.1パーセントの可能性を認めるものなのだ。
朝、家を出て学校に無事に着く可能性は100%に近いのだから、「学校に着くかも」とか、「学校についたら嬉しい」と思う必要はない。
つまり、出来ると分かっていることに、西田氏やエリクソンの予言の力、予感の力を使う意味はない。
だが、ボートがぶつかって、彼女が落とした帽子を、見知らぬ彼が拾い、そこから恋が始まるのは、信じられない偶然であり、つまり、奇跡である。
そんなことが起こる前には、覚えていないかもしれないが、「何か良いことが起こるかもしれない」とか、「良いことが起きたら嬉しいのに」と思っていたのである。
わざと、そんなことを思っても構わない。
「良いことが起こるかもしれない」、「勝てるかもしれない」、「良いことが起こったら嬉しい」、「勝てたら嬉しい」には、何の不自然さも、欲望もないからだ。

それでも、そういう気になれない場合には、顔を上げて微笑むのだ。
また、欲望や執着が心配なら、人差し指を1本立てれば良い。

これほど完璧な成功の方法もないが、簡単に伝えられるほど簡単である。
ピンときたら、使ってみると良いと思う。
私の場合、これで叶わなかったことは何もない。
ただ、不自然なこと、どうでも良いことは望まないのである。
つまり、「熱望しても、得てしまえばさほどでもないもの」は、最初から欲しがらないことだ。
これも重要なポイントである。
金メダルって、取ったことはないが、案外にそんなものであると思う。
そして、なるべく何も欲しがらず、1年に1つか2つ、ちょっと特別なものを得れば良いのである。









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