この世に、本当に優秀な人物がいたとしたら、それは精神科医のミルトン・エリクソンだろう。
病める者は、彼のところに行けば一瞬で癒され、「魔法を使って治している」と言われるほどだった。
世界中の研究者が、「どうすれば彼のようにやれるか」を研究しているが、うまくいっていないのではないかと思う。
うまくいかない原因は、もしかしたら、研究者達は、専門家の先入観が邪魔しているのではないかと思う。
エリクソンは、「先入観が一番いけない」と言っていたような気がするのだ・・・いや、これはアインシュタインだったか・・・。
エリクソンのノウハウを純粋に引き継いだのは、彼の娘さんだろう。
それはきっと、彼女が子供の時からで、彼女が冴えない女子高生だった時は、10分で学園のヒーローを虜にし、高校教師になってからは、教師を殴ることなど何とも思っていないばかりか、喜んでそうする、巨漢で腕力の強い男子高校生を一瞬で、彼女の忠実な僕に変えた。
東京図書は、もう再販する気はないと思える『王子さまになったカエル』という本がある。
NLP(神経言語プログラミング)という心理療法の共同開発者である、リチャード・バンドラーとジョン・グリンダーのセミナーをもとに、スティーブ・アンドレアスという人がまとめたものだ。
私は、NLPは、有名な自己開発のトレーナーであるアンソニー・ロビンズが昔、バンドラーは自分の師で、自分もNLPのテクニックを使っていることを述べていたことで、このNLPという名前を覚えた。
それでNLPに注意を払わずにいられないほど、ロビンズは、驚異的な人間だ。
だが、バンドラー、グリンダー、ロビンズの人間関係は良好とは言えないようで、それに、NLPは曖昧に過ぎる気がするので、私は、NLPは参考にするに留めている。
本当に優秀なのはエリクソンで、そして、彼のやり方は、本当は簡単なはずなのだ。
私は昔、『王子さまになったカエル』を読んだ時、その159ページの数行だけ、非常に印象に残り、よく覚えている。
エリクソンのところに、物を破壊すること以外に能がないと思える乱暴な17歳の少年が連れてこられ、エリクソンは、少年に付き添っていた医師から少年について説明を受けた。
エリクソンは少年に、「もしも来週になって君のふるまいが完全に変わってしまったとしたら、さぞかし驚くことだろうね」と言った。
すると、少年は、「ああ。大驚きだよ」と答えた。
そして、エリクソンは、「もう結構。出ていってくれ」と言う。
それだけで、次の週、少年のふるまいは急におとなしくなってしまったようだ。
この本の文章では、「誰が驚くのか」が書かれていなかったが、それは、この少年自身と思うが、周囲の人々・・・彼の指導にあたっている教師や医師、あるいは、彼の両親、学校のクラスメイト達かもしれない。
まあ、それは誰でも良いと思う。
また、エリクソンの「結構だ」のニュアンスも分からない。
少年の付き添いの医師は、エリクソンが治療を諦めたと受け取ったのだろうと書かれていたが、本質的には、「結構だ」は、「結構。治療は完了だ」という意味であったのだろう。
これで、なぜ少年が変わったかについて、バンドラーかグリンダーが説明したらしいことも書かれていたが、その内容は、理解は出来たが、私の心を打たなかった。
エリクソンの、この「治療」こそが、万能の自己開発のノウハウと思う。
本来、エリクソンは、その少年に「驚くだろうね」ではなく、「嬉しいだろうね」と言いたかったのだと思うが、あの時は、そう言ったら、少年は反発したはずなので、「驚くだろうね」が最適だったのだろう。
ちょっと私の話をする。
私は、引きこもり気質なのに、初めて就いた仕事がセールスマンで、しかも、フルコミッション(完全歩合制)という厳しいもので、後で考えると、私が務まるとは思えなかった。
しかし、私は、「もし私が驚異的な売上をすぐに上げたら、嬉しいだろうな」と思ったのだ。
そして、一ヵ月後に、私は、強豪セールスマン達を押しのけ、小さなものだったがセールスコンテストで優勝した。
しかも、後で聞いたら、私に与えられた販売地区は、少し前に、その会社でもトップのセールス実績を持つセールス部長が自らセールスし、手も足も出ず、「こんな地区は二度と来ない」と言っていた場所だったらしい(真偽のほどは分からないが)。
「もし○○になれば、私は嬉しいだろうな」と思い、その嬉しさを実感すれば、○○は実現する。
その理屈は、西田文朗氏が、『かもの法則』で説明してくれているように思う。
例えば、ダイエットで言えばこうだ。
「かもの法則」式には、「45kgになれるかも」と思うのである。
エリクソン式には、「もし45kgになったら嬉しいだろうな」と思い、嬉しさを味わうのだ。
どちらも同じで、すぐに45kgになるだろう。
応用自在だ。
年収一千万円が望みなら、
「年収一千万円になれるかも」
「もし年収一千万円になったら嬉しいだろうな」
であるし、モテたかったら、
「モテるかも」
「モモテるようになったら嬉しいだろうな」
である。
そして、これは、ジョセフ・マーフィーや中村天風が言うように、眠り際にやれば完璧である。
私は、セールスマンになる前に、既に、ジョセフ・マーフィーの本は読んでいたので、眠る前にもやっていたのだろう(覚えていないが)。
まるで駄目男君も、このやり方でうまくいった。
ものごと、もっとシンプルにやらなくてはならないということだ。
ただし、アインシュタインが言った次の言葉も大切である。
「可能な限り簡潔に。ただし限度を越えないように」
この言葉は、ポール・ヘッケルの『アートとしてのソフトウェア』の108ページに書かれている。
面白いことに、『王子さまになったカエル』の翻訳者が酒井一夫さん、『アートとしてのソフトウェア』の翻訳者が酒井邦秀さんで、共に酒井さんで、イニシャルが「K.S」である。
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病める者は、彼のところに行けば一瞬で癒され、「魔法を使って治している」と言われるほどだった。
世界中の研究者が、「どうすれば彼のようにやれるか」を研究しているが、うまくいっていないのではないかと思う。
うまくいかない原因は、もしかしたら、研究者達は、専門家の先入観が邪魔しているのではないかと思う。
エリクソンは、「先入観が一番いけない」と言っていたような気がするのだ・・・いや、これはアインシュタインだったか・・・。
エリクソンのノウハウを純粋に引き継いだのは、彼の娘さんだろう。
それはきっと、彼女が子供の時からで、彼女が冴えない女子高生だった時は、10分で学園のヒーローを虜にし、高校教師になってからは、教師を殴ることなど何とも思っていないばかりか、喜んでそうする、巨漢で腕力の強い男子高校生を一瞬で、彼女の忠実な僕に変えた。
東京図書は、もう再販する気はないと思える『王子さまになったカエル』という本がある。
NLP(神経言語プログラミング)という心理療法の共同開発者である、リチャード・バンドラーとジョン・グリンダーのセミナーをもとに、スティーブ・アンドレアスという人がまとめたものだ。
私は、NLPは、有名な自己開発のトレーナーであるアンソニー・ロビンズが昔、バンドラーは自分の師で、自分もNLPのテクニックを使っていることを述べていたことで、このNLPという名前を覚えた。
それでNLPに注意を払わずにいられないほど、ロビンズは、驚異的な人間だ。
だが、バンドラー、グリンダー、ロビンズの人間関係は良好とは言えないようで、それに、NLPは曖昧に過ぎる気がするので、私は、NLPは参考にするに留めている。
本当に優秀なのはエリクソンで、そして、彼のやり方は、本当は簡単なはずなのだ。
私は昔、『王子さまになったカエル』を読んだ時、その159ページの数行だけ、非常に印象に残り、よく覚えている。
エリクソンのところに、物を破壊すること以外に能がないと思える乱暴な17歳の少年が連れてこられ、エリクソンは、少年に付き添っていた医師から少年について説明を受けた。
エリクソンは少年に、「もしも来週になって君のふるまいが完全に変わってしまったとしたら、さぞかし驚くことだろうね」と言った。
すると、少年は、「ああ。大驚きだよ」と答えた。
そして、エリクソンは、「もう結構。出ていってくれ」と言う。
それだけで、次の週、少年のふるまいは急におとなしくなってしまったようだ。
この本の文章では、「誰が驚くのか」が書かれていなかったが、それは、この少年自身と思うが、周囲の人々・・・彼の指導にあたっている教師や医師、あるいは、彼の両親、学校のクラスメイト達かもしれない。
まあ、それは誰でも良いと思う。
また、エリクソンの「結構だ」のニュアンスも分からない。
少年の付き添いの医師は、エリクソンが治療を諦めたと受け取ったのだろうと書かれていたが、本質的には、「結構だ」は、「結構。治療は完了だ」という意味であったのだろう。
これで、なぜ少年が変わったかについて、バンドラーかグリンダーが説明したらしいことも書かれていたが、その内容は、理解は出来たが、私の心を打たなかった。
エリクソンの、この「治療」こそが、万能の自己開発のノウハウと思う。
本来、エリクソンは、その少年に「驚くだろうね」ではなく、「嬉しいだろうね」と言いたかったのだと思うが、あの時は、そう言ったら、少年は反発したはずなので、「驚くだろうね」が最適だったのだろう。
ちょっと私の話をする。
私は、引きこもり気質なのに、初めて就いた仕事がセールスマンで、しかも、フルコミッション(完全歩合制)という厳しいもので、後で考えると、私が務まるとは思えなかった。
しかし、私は、「もし私が驚異的な売上をすぐに上げたら、嬉しいだろうな」と思ったのだ。
そして、一ヵ月後に、私は、強豪セールスマン達を押しのけ、小さなものだったがセールスコンテストで優勝した。
しかも、後で聞いたら、私に与えられた販売地区は、少し前に、その会社でもトップのセールス実績を持つセールス部長が自らセールスし、手も足も出ず、「こんな地区は二度と来ない」と言っていた場所だったらしい(真偽のほどは分からないが)。
「もし○○になれば、私は嬉しいだろうな」と思い、その嬉しさを実感すれば、○○は実現する。
その理屈は、西田文朗氏が、『かもの法則』で説明してくれているように思う。
例えば、ダイエットで言えばこうだ。
「かもの法則」式には、「45kgになれるかも」と思うのである。
エリクソン式には、「もし45kgになったら嬉しいだろうな」と思い、嬉しさを味わうのだ。
どちらも同じで、すぐに45kgになるだろう。
応用自在だ。
年収一千万円が望みなら、
「年収一千万円になれるかも」
「もし年収一千万円になったら嬉しいだろうな」
であるし、モテたかったら、
「モテるかも」
「モモテるようになったら嬉しいだろうな」
である。
そして、これは、ジョセフ・マーフィーや中村天風が言うように、眠り際にやれば完璧である。
私は、セールスマンになる前に、既に、ジョセフ・マーフィーの本は読んでいたので、眠る前にもやっていたのだろう(覚えていないが)。
まるで駄目男君も、このやり方でうまくいった。
ものごと、もっとシンプルにやらなくてはならないということだ。
ただし、アインシュタインが言った次の言葉も大切である。
「可能な限り簡潔に。ただし限度を越えないように」
この言葉は、ポール・ヘッケルの『アートとしてのソフトウェア』の108ページに書かれている。
面白いことに、『王子さまになったカエル』の翻訳者が酒井一夫さん、『アートとしてのソフトウェア』の翻訳者が酒井邦秀さんで、共に酒井さんで、イニシャルが「K.S」である。
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