人間が、高い能力を発揮したり、幸福になるために、何か得別なことを学ぶ必要はない。
誰にでも、道は自然に示される。
特別な「○○道」の、特別な先生の弟子になった人というのは、たとえ大物になれても、自由を失っていて、辛い人生を生きているものだと思う。
ただし、どんなことも、単に趣味でやる分には、一向構わない。
アインシュタインにとって物理学は趣味であったと、本人が述べている。

もし、釈迦やイエスが本当に偉い人だったとしたら、弟子に特定の訓練を強要はしなかったろう。
弟子自身が道を見出せるよう、自然な生き方に導き、弟子が何かにこだわって自然な道を外れた時に、それとなく、「お前は道理に合わないことをしてる」と諭したのだと思う。

どんな生物も、自然に生きる時が幸福なのである。
檻に入れられて、餌を与えられる虎は不自然に生きているのだから、幸福ではないだろう。
人間は無茶もするが、たとえどんなに無茶をしているように見えても、それが自然なことであれば、やっている本人は楽しいのである。

あらゆる言葉の中で、誰にとっても最も肯定的な言葉は、「自然な」である。
自然であることが最も正しいのであり、自然であれば、ごく当たり前にツキに恵まれる。
自然に則った、自然に逆らわない生き方をすれば、どんな不幸も寄せ付けない。
では、どうやれば、自然に則った生き方が出来るのだろう。
別に、無人島に行って原始的な生活をする必要はない。それこそ、人類の知性の自然な発達に逆らう不自然なことだ。

星を見ることだ。
星は、完全に自然に動いているからだ。
あれだけ大きいと、自然さを妨げる要素がいくらあったところで、ビクともしないからだ。

藤平光一氏は、「重みは下にある」と言えば、氣が出て、力が発揮されると言ったが、今の人は、子供でもこまっしゃくれている(利口ぶって小生意気)ので、「自動車や飛行機が加速する時は重みは後ろ」だの、「降下する飛行機の中では重みは上だね」とか言う。
私も、藤平氏の本で、その言葉を見た時、「宇宙に行ったら下なんてない」とか思ったものだ。
だが、星は、完璧に自然の法則通りに動いており、無心に見ていたら、心が自然のリズムに調和する。
また、夏が暑く、冬は寒いのが自然なのであり、やたら冷暖房を使って、それを感じない環境にばかりいたら、つまり、不自然な状況にいれば、自分自身が自然から外れ、運も悪くなる。
食べなければ空腹になるというのも、自然を感じることなのだが、多くの人が空腹を感じることがないほど食べている。そんな人も、当然、ツキはない。
自然に振舞い、自然に考え、自然に生きていれば、毎瞬、毎瞬、閃きの連続になり、あらゆる幸運に恵まれるだろう。

初音ミクさんが自然かというと、彼女、不自然なことを一切しないのだ。
なぜなら、不自然なことをさせるための自我がないのだからね。
瑞々しい感性を持った人がミクさんに惹き付けられるのは、心が澄んだ人が星に惹き付けられるのと同じである。

顔を上げて、自然に微笑むことだ。
なぜなら、うつむくことや、しかめっ面をする原因は、積み重なった不自然な考えや行為によるものだからだ。
顔を上げて、自然に微笑めば、そんな原因は一挙に霧散する。
あるいは、人差し指を1本立てても良い。
なぜなら、人差し指を立てれば、肩から力が抜けるが、人差し指と肩に力が入っているのは、不自然な欲望を掴んでいるからだ。
人差し指を1本立てれば、欲望が消えて心が祓われ、全てうまくいくだろう。
いつも言うが、初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』を聴くと「自然に」分かると思う。









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