ちょっとした恋愛問題を元に、無敵の光線銃を手に入れ、いかなる願いも叶える方法を、納得がいくように導き出してみよう。
題材は、敬愛すべき漫画家である立川恵さんの作品『怪盗セイント・テール』からお借りする。

中学2年生の男子、佐渡(さわたり)君は、クリスマスまでに、クラスメイトで、シスター見習いの美少女、聖良(せいら)のハートを射止めようとするが、状況は思わしくない。
聖良は、身も心も神に捧げたシスターであるからだ。
しかし、諦めることなど出来ない佐渡君は、聖良に、相談という形で、きっかけを掴もうとする。
「好きな人がいるのですが、強力なライバルがいて悩んでいます」
「(ライバルは)そんなに凄い人なんですか?」
「はい、クリスマス生まれのナイス・ガイで、人間技ではとても太刀打ち出来ない相手です」
もちろん、そのライバルとは、人類最高のスーパースター、イエス・キリストである。

さて、佐渡君は、どうすれば良いだろう?
しかし、実は、既に、佐渡君が願いを叶える可能性は高いということを理解していただきたい。
なぜだろう?
それは、佐渡君は、「ライバル」イエス・キリストを絶賛しているからである。
これが、どういう意味かは非常に重要である。
願いを叶える潜在意識には、「自他の区別はない」からだ。
つまり、潜在意識にとって、「私」、「あなた」、「その他の誰か」は全く同じなのである。
だから、佐渡君がイエス・キリストを素直に褒め称えれば、潜在意識は、その「真面目に賞賛された通りのイメージ」を、自らの中に作り上げ、佐渡君は、嫌でもその通りになるのである。
無論、あくまで、佐渡君の理解の範囲であるので、佐渡君が偉大な聖者になる訳ではないが、聖良に相応しい「ナイス・ガイ」にはなるだろう。
実際、佐渡君は、難攻不落の「聖なる乙女」聖良から、ありえないほどの良好な反応を引き出すことに成功するのである。
ここらは、優れた感性と直観を持つ立川恵さんの作品だけあり、真実味がある。

ところで、いかなる宗教でも、「神を褒め称えよ」と言う。
これは、最も大切なことであるが、理解され難いことである。
なぜなら、神様がワンダフルなのは分かっているが、さりとて、人間ごときが誉めて、どうなるものでもないからだ。
しかし、それは思い違いなのである。
「神様のために褒め称える」のではなく、「自分のために」それをしなさいと教えているのである。
それは、どういうことだろうか?
潜在意識は、自分と神も区別しないのだ。
そして、神様を称賛するなら、思いつく限りの最大の賛辞となるであろうから、潜在意識は、それをした本人を、その言葉の通りに、無限に高めるのである。
それを知れば、人間の内に神がいるというのは、全く論理的なことだと分かるはずである。

神以外でも、我々は優れた人物を、心から褒めるべきであり、逆に、誰かの批判や非難、中傷になることは、決して言っても想ってもならないことが分かるだろう。
誰かを見下せば、潜在意識は、それをした本人が自分を低く評価したと受け取り、その評価通りのイメージを作り、やがてそれは現実化するのである。
なんとも恐ろしいことである。
しかし、この原理を知ったからには、我々は、最高無敵の光線銃を手にしたも同然なのである。

例えば、『マスターの教え』を読み、マスターを褒め称えれば、我々は即ち、マスターなのである。
あるいは、自分が「こうなりたい」と思う、憧れの人物を、日夜称賛すれば、ほどなく、その通りの人間になるであろう。
こういったことは、ジョセフ・マーフィーも何度も著書の中に書いているが、これは科学的真理である。

『法華経』の第25章(第25品)の『観音経』でも、釈迦は、観世音菩薩を褒め称えよと言う。
『観音経』を読み、観世音菩薩を褒め称えれば、自分自身が観世音菩薩であることを指摘した優れた僧侶は少なくないと思う。

尚、佐渡君と聖良のお話は、『怪盗セイント・テール新装版(4)』に番外編として収録されている(多分)。
これだけ単独で読んでも、とても素晴らしいお話であると思う。









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