駄目な人間というのは、特別な欠点があるのではなく、普通の人の欠点を、やや強めに持っているだけなのだ。
私の職場の、まるで駄目男君を見ていたら、それがよく分かる。
そして、まるで駄目男君の最大の不幸の原因であると同時に、普通の人が、何をやっても駄目な原因になっている習慣が「ひとり言」である。
前向きな「ひとり言」を言う者など、まずいないし、それはもちろん、まるで駄目男君もそうである。
彼は、何やらわけの分からないことをブツブツ言っているが、時々大きな声で「ちくしょー」と言うことがある。だいたい、そんなことを言っているのだろう。
そして、時々、「はあー」と大きなため息をつく。
ため息をつく運の良い者など絶対にいないのだが、まるで駄目男君のは、本当に哀れっぽい、最悪のため息で、これを聞いて憂鬱にならない者はいないだろう。
だが、普通の人も、大なり小なり、まるで駄目男君と同じなのだ。
そして、口に出す「ひとり言」がそうであるなら、心の中は、被害者意識、恨み、妬み、分不相応の渇望などが蠢(うごめ)いていることが、はっきり分かるのである。
ならば、せめて、心の中で、そして、言葉で、前向きで明るい言葉を言い続け、愚かな想いや言葉を出す暇がないようにすれば良い。
私は、思い出すごとに「ありがたい」と言い、想うことで、楽しい状況を創り続けているのである。
「幸せだなあ」「豊かだなあ」などでも良い。
心に染み付いた、マイナスの想いや言葉を発することを許してはならない。
逆に、明るい言葉、楽しい言葉、高貴な言葉を意識的に繰り返し、心の穢れを祓わなければ、あなたは、ますます不幸になるのである。
このブログにコメントするごとに、後ろ向きの暗いことばかり書く人もいる(そんなコメントはあまり公開しない)。
そんなコメントを書くということは、そういった想いが心の中にいっぱいのはずだ。
それは、危機的状況である。
そして、そこまで極端でなくても、やはり、ほとんどの者が似た状況なのだ。
『マスターの教え』や、『斎藤一人の絶対成功する千回の法則』をよく読み、良い言葉で心を浄化し、栄養を与えなければならない。
ただ、逆に言えば、たったそれだけのことで、私のように、全て嬉しい状況になり、愉快で楽しく、その上、美女や美少女とも仲良く出来るのである。
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私の職場の、まるで駄目男君を見ていたら、それがよく分かる。
そして、まるで駄目男君の最大の不幸の原因であると同時に、普通の人が、何をやっても駄目な原因になっている習慣が「ひとり言」である。
前向きな「ひとり言」を言う者など、まずいないし、それはもちろん、まるで駄目男君もそうである。
彼は、何やらわけの分からないことをブツブツ言っているが、時々大きな声で「ちくしょー」と言うことがある。だいたい、そんなことを言っているのだろう。
そして、時々、「はあー」と大きなため息をつく。
ため息をつく運の良い者など絶対にいないのだが、まるで駄目男君のは、本当に哀れっぽい、最悪のため息で、これを聞いて憂鬱にならない者はいないだろう。
だが、普通の人も、大なり小なり、まるで駄目男君と同じなのだ。
そして、口に出す「ひとり言」がそうであるなら、心の中は、被害者意識、恨み、妬み、分不相応の渇望などが蠢(うごめ)いていることが、はっきり分かるのである。
ならば、せめて、心の中で、そして、言葉で、前向きで明るい言葉を言い続け、愚かな想いや言葉を出す暇がないようにすれば良い。
私は、思い出すごとに「ありがたい」と言い、想うことで、楽しい状況を創り続けているのである。
「幸せだなあ」「豊かだなあ」などでも良い。
心に染み付いた、マイナスの想いや言葉を発することを許してはならない。
逆に、明るい言葉、楽しい言葉、高貴な言葉を意識的に繰り返し、心の穢れを祓わなければ、あなたは、ますます不幸になるのである。
このブログにコメントするごとに、後ろ向きの暗いことばかり書く人もいる(そんなコメントはあまり公開しない)。
そんなコメントを書くということは、そういった想いが心の中にいっぱいのはずだ。
それは、危機的状況である。
そして、そこまで極端でなくても、やはり、ほとんどの者が似た状況なのだ。
『マスターの教え』や、『斎藤一人の絶対成功する千回の法則』をよく読み、良い言葉で心を浄化し、栄養を与えなければならない。
ただ、逆に言えば、たったそれだけのことで、私のように、全て嬉しい状況になり、愉快で楽しく、その上、美女や美少女とも仲良く出来るのである。
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「ひとり言」について、全くその通りだと感じます。
自分が苦悩にまみれて悲惨だった時、ひとり言をよく言っていたことを覚えています。
他人の目をことさら気にする。自分が何を考えているか、何を言っているかが、さも重要であるかのように感じられる。誰に言うでもなく、世界の全てに言い訳をするように、言葉に出すこともあり、出さないこともありましたが、絶えずぶつぶつつぶやき続けていました。暗黒時代ですね。
それからイエスは群衆を呼び寄せて言われた、「聞いて悟るがよい。口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。
(マタイ15:10-11)
イエスは言われた、「あなたがたも、まだわからないのか。口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、そして、外に出て行くことを知らないのか。しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、これらのものが人を汚すのである。しかし、洗わない手で食事することは、人を汚すのではない」。
(マタイ15:16-20)
Kayさんがブログでたまに紹介する御自身の食生活を見ても、「口に入ってくるもの」がその人を汚すわけではないことは、納得できるように思います。
マーフィー博士は、息を吸う時に「私は」と、吐くときに「楽しい」と(心の中で)言うエクササイズを勧めていますね。
また、短気で不機嫌な人は自己暗示にかかりやすい、ともあり、その対処方法が『眠りながら成功する』の中にありました。
というか、人は自己暗示にかかりやすいものだから、不平不満を絶えず口にしていると「そういう人格」になってしまう、と言ったほうが正しいのかもしれません。
「人とは、その人が一日中考えていることだ」(エマーソン、前述書より)