貼り紙をするのに丁度良い壁があり、よく貼り紙がされていた。
だが、その場所の管理人が、
「この壁に貼り紙をするべからず」
という貼り紙をし、張り紙の禁止を伝えた。
すると、その後、小賢しい誰かが、
「この壁に貼り紙をするべからずという貼り紙をするべからず」
という貼り紙をした。
言うまでもないが、
「『貼り紙をするべからず』というお前の貼り紙だって、同じ貼り紙なのだからルール違反じゃないか?」
と、管理人の間違いを指摘し、やり込めたつもりなのだ。
これで考え込むようではいけない。
どちらが正しいかというと、いちいち言うのも馬鹿らしいが、管理人が正しい。
管理人にはルールを決める権限がある。
それだけのことだ。
ところで、この貼り紙のルールで、管理人が正しいことは、論理的に説明出来るらしい。
バートラント・ラッセルという、アリストテレス以来の大論理学者と言われる数学者で、ノーベル文学賞を受賞したという凄い人が(ノーベル数学賞はない)証明したらしい。
証明には、人類が数百年かかり、ついにラッセルがやり遂げたということだ。
だが、その理論(階型理論)なんて誰にも分からない。
しかし、証明なんて不要じゃないのかね?
馬鹿でない限り、証明しなくても分かるだろう?
だが、理屈で分からない限り、正しくないという風潮があるために、上のように、「貼り紙をするなという貼り紙をするな」なんていう馬鹿をやって得意になっている大馬鹿が出てくるのだ。
実際、そんなことをやるのは、掛け値なしの阿呆で、全くの役立たずだ。
会社の入社試験で、この「貼り紙するべからずという貼り紙をすべからず」に対し、どう思うか聞き、これを肯定する者は即、落とし、考え込む者も、基本、落とせば間違いない。
こんなものを肯定する者は、知的に救いようのない欠陥があり、必ずや会社に迷惑をかけるからだ。
「貼り紙をするべからずという張り紙をするべからず」のどこに、それほどの欠陥があるのかって?
それを言うなら、やはり救いようがないのである。
気持ちで分かるだろうってことなのだ。
判断には、理屈と気持ち、言い換えれば、論理と感情がある。
その両方が大事なのに、理屈に偏重してしまい、気持ちを育てていない者が多いのだ。
一頃、「なぜ殺してはいけないのか?」という問題が話題になったことがあった。
これもアホな話である。
そんなことを理屈で説明しようと思ったら、やはり高度な論理学が必要になり、そんなもの、誰にも分からない。
気持ちで分かることなのだ。
数学だって、理屈だけでは成り立たず、気持ち(感情)で納得しないと成立しないということは、ちゃんと論理的にも証明されているらしい。
論理力同様、気持ち力と言うのもちょっと変だが、それ(気持ち力)も、育てなければ得られないのである。
だが、今の時代、気持ちを殺す教育が積極的に行われているので、「なぜ殺してはいけないのか?」なんて馬鹿を言っても、馬鹿と言われないのだ。
ドワンゴの川上会長が『ニコニコ哲学』で述べられていたが、大学卒業後に入った会社で、無能な課長を「あんなやつクビだ」と批判をし、誰にも文句を言われなかったらしいが、社長に尋常ならざるほど怒られたという。しかし、川上氏は、怒られる理由がさっぱりわからない。そして、10年くらいして、理屈では相変わらず分からないが、気持ちで分かったという。
他の人達も、本当は、気持ちでは少しは分かっていたのだと思うが、さすがに社長は、はっきりと分かっていたのだろう。
川上氏も、経営をやったりで頭が良くなって、それで分かったのだと思う。
余計なことだが、壁紙理論だって、喩えを使えば理屈でも分かる。
「例外のない規則はない」
にも例外がないなら、例外のないルールが存在してしまう。
まあ、これには、「そうだ!例外のない規則はやっぱりあるんだ」と結論する馬鹿が多いに違いない。
しかし、隊長が「回れ右」と号令した時、隊員が、「隊長、アンタも回れ右しなさいよ」と言ったら、その隊員が隊長に殴られても誰も文句は言わないだろう。
まあ、今は、暴力的だという文句なら出るだろうが、そんな馬鹿は、殴って教えてやるのが一番なのである。だが、そうもいかないのが難しい。
私は直接は見ていないのだが、『機動戦士ガンダム』で、ブライトがアムロを殴り、アムロが「殴ったね」と文句を言うと、ブライトは、「殴られずに一人前になったやつはいない」と言ったのが有名らしい。
ただ、ブライトの言い分にも注意が必要で、「点取り虫に育てられたやつは、殴って教えないと手遅れになる」という意味で正しいのである。
気持ちを育てるのは、理屈を育てるよりはるかに難しい。
デリケートさが必要だし、時間もかかる。
何より、机上だけでなく体験が必要だし、試験が出来ない。
学校教育は、そんな面倒なものは排除してしまい、理屈至上主義、試験の点数至上主義の道を取った。
だから、学校の優等生は馬鹿が多いのである。
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だが、その場所の管理人が、
「この壁に貼り紙をするべからず」
という貼り紙をし、張り紙の禁止を伝えた。
すると、その後、小賢しい誰かが、
「この壁に貼り紙をするべからずという貼り紙をするべからず」
という貼り紙をした。
言うまでもないが、
「『貼り紙をするべからず』というお前の貼り紙だって、同じ貼り紙なのだからルール違反じゃないか?」
と、管理人の間違いを指摘し、やり込めたつもりなのだ。
これで考え込むようではいけない。
どちらが正しいかというと、いちいち言うのも馬鹿らしいが、管理人が正しい。
管理人にはルールを決める権限がある。
それだけのことだ。
ところで、この貼り紙のルールで、管理人が正しいことは、論理的に説明出来るらしい。
バートラント・ラッセルという、アリストテレス以来の大論理学者と言われる数学者で、ノーベル文学賞を受賞したという凄い人が(ノーベル数学賞はない)証明したらしい。
証明には、人類が数百年かかり、ついにラッセルがやり遂げたということだ。
だが、その理論(階型理論)なんて誰にも分からない。
しかし、証明なんて不要じゃないのかね?
馬鹿でない限り、証明しなくても分かるだろう?
だが、理屈で分からない限り、正しくないという風潮があるために、上のように、「貼り紙をするなという貼り紙をするな」なんていう馬鹿をやって得意になっている大馬鹿が出てくるのだ。
実際、そんなことをやるのは、掛け値なしの阿呆で、全くの役立たずだ。
会社の入社試験で、この「貼り紙するべからずという貼り紙をすべからず」に対し、どう思うか聞き、これを肯定する者は即、落とし、考え込む者も、基本、落とせば間違いない。
こんなものを肯定する者は、知的に救いようのない欠陥があり、必ずや会社に迷惑をかけるからだ。
「貼り紙をするべからずという張り紙をするべからず」のどこに、それほどの欠陥があるのかって?
それを言うなら、やはり救いようがないのである。
気持ちで分かるだろうってことなのだ。
判断には、理屈と気持ち、言い換えれば、論理と感情がある。
その両方が大事なのに、理屈に偏重してしまい、気持ちを育てていない者が多いのだ。
一頃、「なぜ殺してはいけないのか?」という問題が話題になったことがあった。
これもアホな話である。
そんなことを理屈で説明しようと思ったら、やはり高度な論理学が必要になり、そんなもの、誰にも分からない。
気持ちで分かることなのだ。
数学だって、理屈だけでは成り立たず、気持ち(感情)で納得しないと成立しないということは、ちゃんと論理的にも証明されているらしい。
論理力同様、気持ち力と言うのもちょっと変だが、それ(気持ち力)も、育てなければ得られないのである。
だが、今の時代、気持ちを殺す教育が積極的に行われているので、「なぜ殺してはいけないのか?」なんて馬鹿を言っても、馬鹿と言われないのだ。
ドワンゴの川上会長が『ニコニコ哲学』で述べられていたが、大学卒業後に入った会社で、無能な課長を「あんなやつクビだ」と批判をし、誰にも文句を言われなかったらしいが、社長に尋常ならざるほど怒られたという。しかし、川上氏は、怒られる理由がさっぱりわからない。そして、10年くらいして、理屈では相変わらず分からないが、気持ちで分かったという。
他の人達も、本当は、気持ちでは少しは分かっていたのだと思うが、さすがに社長は、はっきりと分かっていたのだろう。
川上氏も、経営をやったりで頭が良くなって、それで分かったのだと思う。
余計なことだが、壁紙理論だって、喩えを使えば理屈でも分かる。
「例外のない規則はない」
にも例外がないなら、例外のないルールが存在してしまう。
まあ、これには、「そうだ!例外のない規則はやっぱりあるんだ」と結論する馬鹿が多いに違いない。
しかし、隊長が「回れ右」と号令した時、隊員が、「隊長、アンタも回れ右しなさいよ」と言ったら、その隊員が隊長に殴られても誰も文句は言わないだろう。
まあ、今は、暴力的だという文句なら出るだろうが、そんな馬鹿は、殴って教えてやるのが一番なのである。だが、そうもいかないのが難しい。
私は直接は見ていないのだが、『機動戦士ガンダム』で、ブライトがアムロを殴り、アムロが「殴ったね」と文句を言うと、ブライトは、「殴られずに一人前になったやつはいない」と言ったのが有名らしい。
ただ、ブライトの言い分にも注意が必要で、「点取り虫に育てられたやつは、殴って教えないと手遅れになる」という意味で正しいのである。
気持ちを育てるのは、理屈を育てるよりはるかに難しい。
デリケートさが必要だし、時間もかかる。
何より、机上だけでなく体験が必要だし、試験が出来ない。
学校教育は、そんな面倒なものは排除してしまい、理屈至上主義、試験の点数至上主義の道を取った。
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人の気持ちが分かる人って少ないんだなと
よく思います<(_ _*)>
すれ違う際にぶつかっても謝らない人
歩きスマホをする人
店内で大声で電話する人
ごみ箱以外の場所に、ごみを放置する人
トイレ使用した後に流さない人等。
人としてのモラルがない人は
『気持ち』というものを
大切にしてないんだなと感じます