ゲーテが、「何もしないくらいなら、どんな下らないことでもやった方が良い」と述べていたと思う。
理由は書かれていなかったと思うが、私は高校生の時にそれを見て、全くその通りだと思ったものだ。
では、何でも良いのなら、ゲームをしたり、映画やアニメを延々と見たりはどうだろう?

解剖学者の養老孟司氏は、若い人達に、充実して生きるためには、「身体を使って働きなさい」と何かで言われていたと思う。
ラメッシ・バルセカールも、何でもいいから、生活費を稼ぐためのことを、何かしなさいと強調していたと思う。
結局、そういうことだ。
もっと根本的に言えば、ごく普通の能力を発揮することをやれば良いということなのである。
そのためには、お金を稼ぐために働くことが最も良い。
ただ、珍しいことではあろうが、私のように、若い時から、会社の中でずっと暇だったという人もいるし、私の知り合いだった社長さんは、サラリーマン時代、部屋の中で、ずっと新聞を読んでいなければならなかった(つまり閑職に追いやられていた)と言われていた。
そんなものは、お金を稼ぐためであっても駄目だ。
通常の能力を発揮しなければならないのである。
身体を使った労働であれば、何らかの能力を使うし、そもそも、若い人なら、身体を使う以上の能力がない場合もあるので、それが一番間違いないのである。

確かに、ゲームでも、反射神経を競うようなものではなく、頭を使うもの・・・例えば、戦略を立てなければ勝てないようなものなら、良いかもしれない。
実際、高度なシミュレーション・ゲームみたいなものは、実用的な知的能力を伸ばすことが出来るかもしれない。
しかし、それだけでは、たとえ優れた能力を磨いても、その能力を発揮する機会に恵まれず、宝の持ち腐れになる可能性が高い。
ゲームとは異なる部分の能力・・・たとえば、ある程度のコミュニケーション能力や世間的常識を、仕事を通じて習得しておかなければ、仮に特別な能力を持っていても、なかなか、それを活用することは出来ないのだ。

ところで、なぜ能力を発揮しなければならないかというと、人間は、何もしなければ、つまらないことを考え、その考えが心を汚染するからだ。
ここはとても重要である。
私は、引きこもっていてずっと暇だったから、それが本当であることがよく分かるのである。
その時、つまらないことばかり考え、心が汚染されてしまい、それは今でも暗い影になっている。
どうしても何もやることがないなら、呪文を唱えると良いと思う。
ただし、何もしていない間ずっと唱えるくらいの気持ちでなければならない。
念仏でも良いし、般若心経の呪文でも良い。
少し気に入りさえすれば、何でも良いのだ。
念仏や呪文は、荒い想念を起こさないための、不思議な響きを持っているのである。
それら(念仏や呪文)は、隣の人にも聞こえないくらい、小さな声で唱えるのが良い。
心で唱えても良いのだが、それだと、心が想念に乗っ取られてしまうことが多いのである。

だが、やはり、出来れば、生活費のために、何でもいいから熱心に働いた方が、効果は高いのだと思う。
とはいえ、働けないなら仕方がない。
そして、念仏や呪文を唱えていれば、私のように、やがてチャンスが訪れ、働けるようになると思う。









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