あなたも1つ、「神の技」を持っておくと良い。
いや、持つべきだ。
そうすれば、誰もあなたに逆らえず、悠々としていられる。
このことについて、体験的にお話しよう。
きっと、あなたの役に立つと思う。
初めて、走り高跳びをやった時のことを覚えておられるだろうか?
私の場合は、小学4年生の時の体育の授業だった。
生徒達は、教師に、「はさみ飛び(またぎ飛び)」を教わった・・・のだろう。多分。
はさみ飛びとは、バーに対して斜めに走ってきて、踏み切る脚と反対の脚を振り上げて飛ぶ、走り高跳びの素人が飛ぶのに、最も易しく合理的な飛び方だ。
今は、本格的な大会で、この飛び方をする選手はいないが、1928年のアムステルダムオリンピックでは、カナダのエセル・キャサーウッドが、このはさみ飛びで、1.59mの世界新記録で金メダルを獲得している。
さきほど、私は、生徒達は、教師に、はさみ飛びを教わった「のだろう」と述べたが、私は教師の話を聞いていなかった。
空想癖が強く、教師の話をあまり聞かない子供だったからだ。
それで、私が飛ぶ番になったのだが、他の子達がバーに対して斜めから走って行くのに対し、私は、正面から走って行った。
他の子達がはさみ飛びで飛ぶのを見ていたとは思うが、その飛び方を真似しようとは思わなかったのだ。
それでも、私は、他の子が誰も飛べない高さを軽々とクリアした。
その後も、私は、学校内で行う走り高跳びでは、以下に述べる例外を除き、クリアできなかったことは一度もない。それも楽々と。
ただ、授業では、私1人だけ、自己記録に挑ませることはないので、他の子が誰も飛べない高さを飛んだ時点で終わりだった。
ところが、私は、クラスで一番背が高いということはなく、わりと高いという程度で、実際、私より、ずっと大きい子が何人もいた。
また、私は足が速い訳でもなく、他の運動は苦手な方で、走り幅跳びすら並以上ではなかった。
ところで、おかしな話かもしれないが、私は、走り高跳びで、自分がどんな飛び方をしていたのか、自分でも分からなかったのだ。
誰に飛び方を聞かれても、全く説明できなかったが、自分では何も考えずにそれが出来た。
ところが、ある時、突然に、飛び方を忘れたのだ。
中学1年生の時に、学校で、走り高跳びの学年1を決めるということをしたのだが、私はクラスの代表に選ばれていた。
他のクラスからは、スポーツ部の猛者ばかりが出ていたが、スポーツ部にすら所属していない、運動の苦手な私には場違いなところだった。
それで、他の子達と違う飛び方をするのに気後れがして、つい、皆と同じはさみ飛びをしてしまった。
その瞬間、私は、それまでの飛び方を忘れてしまい、その後、どうしても思い出せなくなった。
その時が、私が、走り高跳びで、ただ一度、他人に遅れを取ったことだった。
ただ、その後は、スクワットに励み、はさみ飛びでも、「普通に」そこそこ飛べるようにはなった。
ところで、注目すべきことは、権威主義の学校の教師達が、中学1年まで、私の勝手なスタイルの飛び方に、一度もクレームをつけなかったことだ。
私の飛び方は、教育されない者だけが出来る、神の飛び方だった。
飛ぶ前から、神の飛び方をするということが伝わり、そして、神の飛び方を見れば、誰も文句が言えるはずもなかった。
飛び方を変えろとすら言われなかった。
このように、神の技を持っていれば、誰も逆らえないのである。
まだ、ちょっと合点がいかないと思う。
だが、私は、子供の時の飛び方を思い出したのだ。
それは、特定のフォームではなかったのだ。
ただ「高く飛ぶ」それだけのことだ。
そして、このようなことを描いた漫画・アニメがあることに驚いた。
それは、『アニマル1(ワン)』という、『巨人の星』の漫画作者(原作は梶原一騎氏)として名高い、川崎のぼる氏の作品で、Wikipediaによれば、アニメ放送は1968年開始とある。
中学生の少年、東一郎が、レスリングでメキシコオリンピックを目指すという、いわゆる「スポ根もの」だ。
ところで、この東一郎が、「アニマル・ドロップ」という必殺技を開発する。
ところが、一郎は、このアニマル・ドロップのやり方を忘れてしまうのである。
このアニマル・ドロップは、特定の技というのではなく、内に秘めた力を引き出すものなのだと思う。
つまり、これも神の技なのだ。
一郎は、妹のナナ子が危機に陥った時、忘れていたはずのアニマル・ドロップでナナ子を救う。
しかし、その後は、やはり、アニマル・ドロップをやれないのだった。
また、実話であるが、ある平凡な主婦が、マンションの窓から落下するわが子を見て、猛然とダッシュし、見事に救ったが、後で科学者が計算したところ、この主婦は、サンダル履きのまま、オリンピックの短距離選手より速く走ったということになってしまった。
だが、このような力は、「火事場の馬鹿力」としてよく知られている。
ところが、普通の人は、緊急事態が起こり、強制的にトランス(変性意識状態。普通には無意識)に陥らないと、そんな力を発揮できない。
しかし、私のように、常時、それを使えれば、驚くべきことが出来る。
私は、若い時から、会社の中で、仕事中に、好きな本を読んだり、パソコンでゲームをしていて、それを見られても(堂々とやっていた)、どれほど口やかましい、あるいは、厳格な上司や、社長すら、一度も文句を言ってきたことはなかった。
学校時代にも、持ち出し不可のものでも、教師達の前で、堂々と持ち出していた。
神の技を使えば、悪いことでもない限り(いや、世間的には多少悪いことであっても)、誰も逆らえないのである。
神の技は、誰でも出来る。
出来ない方がおかしい。
なぜなら、人間の内に神、あるいは、仏がおられるのであるからだ。
中村天風が、ライオンの折の中に堂々と入っていっても全く平気だったように、神の技を使う者には、猛獣も危害を加えることは出来ない。
あなたも、動物学者のケビン・リチャードソンさんが、野生のライオンと楽しくボール遊びをするのを見たことがあるかもしれない。
私は、見世物になるようなことは多分できないが、もっと怠け者に相応しいことが出来るのである。
私は、ニート明けに、フルコミッション(完全歩合制)のセールスマンという、とんでもなく厳しい仕事についたが、引きこもりで口ベタの私が、入社月に、月収百万円以上の強豪セールスマン達を全員抑え、小規模ではあったが、セールスコンテストで優勝したのだ(このブログで何度か書いている)。
「芸術は細部に宿る」という言葉があるようだ。
しかし、「神の技は、極小の力の中に潜む」のである。
「力を抜け」とはよく言われるが、それは必ずしも適切な表現ではない。
全ての力を抜くのではなく、限りなくゼロに近い力を作用させるのである。
そのやり方は、身体で覚えるしかない。
出来るだけ弱い力で意識的に呼吸をしたり、出来るだけ力を使わずに、腕振り運動をすることで、自ずと身につくのである。
そして、昨夜も書いたが、京都の広隆寺にある、弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)を見ることが、特にお奨め出来る。
この弥勒菩薩が、右手の薬指と親指を微かに触れ合わせる様子や、その表情が、何よりの模範である。
また、ちょっと軽過ぎ、ゆる過ぎかもしれないが、小難しいだけの修行書より、漫画や娯楽小説で、感じを掴むのも良いかもしれないと思う。
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いや、持つべきだ。
そうすれば、誰もあなたに逆らえず、悠々としていられる。
このことについて、体験的にお話しよう。
きっと、あなたの役に立つと思う。
初めて、走り高跳びをやった時のことを覚えておられるだろうか?
私の場合は、小学4年生の時の体育の授業だった。
生徒達は、教師に、「はさみ飛び(またぎ飛び)」を教わった・・・のだろう。多分。
はさみ飛びとは、バーに対して斜めに走ってきて、踏み切る脚と反対の脚を振り上げて飛ぶ、走り高跳びの素人が飛ぶのに、最も易しく合理的な飛び方だ。
今は、本格的な大会で、この飛び方をする選手はいないが、1928年のアムステルダムオリンピックでは、カナダのエセル・キャサーウッドが、このはさみ飛びで、1.59mの世界新記録で金メダルを獲得している。
さきほど、私は、生徒達は、教師に、はさみ飛びを教わった「のだろう」と述べたが、私は教師の話を聞いていなかった。
空想癖が強く、教師の話をあまり聞かない子供だったからだ。
それで、私が飛ぶ番になったのだが、他の子達がバーに対して斜めから走って行くのに対し、私は、正面から走って行った。
他の子達がはさみ飛びで飛ぶのを見ていたとは思うが、その飛び方を真似しようとは思わなかったのだ。
それでも、私は、他の子が誰も飛べない高さを軽々とクリアした。
その後も、私は、学校内で行う走り高跳びでは、以下に述べる例外を除き、クリアできなかったことは一度もない。それも楽々と。
ただ、授業では、私1人だけ、自己記録に挑ませることはないので、他の子が誰も飛べない高さを飛んだ時点で終わりだった。
ところが、私は、クラスで一番背が高いということはなく、わりと高いという程度で、実際、私より、ずっと大きい子が何人もいた。
また、私は足が速い訳でもなく、他の運動は苦手な方で、走り幅跳びすら並以上ではなかった。
ところで、おかしな話かもしれないが、私は、走り高跳びで、自分がどんな飛び方をしていたのか、自分でも分からなかったのだ。
誰に飛び方を聞かれても、全く説明できなかったが、自分では何も考えずにそれが出来た。
ところが、ある時、突然に、飛び方を忘れたのだ。
中学1年生の時に、学校で、走り高跳びの学年1を決めるということをしたのだが、私はクラスの代表に選ばれていた。
他のクラスからは、スポーツ部の猛者ばかりが出ていたが、スポーツ部にすら所属していない、運動の苦手な私には場違いなところだった。
それで、他の子達と違う飛び方をするのに気後れがして、つい、皆と同じはさみ飛びをしてしまった。
その瞬間、私は、それまでの飛び方を忘れてしまい、その後、どうしても思い出せなくなった。
その時が、私が、走り高跳びで、ただ一度、他人に遅れを取ったことだった。
ただ、その後は、スクワットに励み、はさみ飛びでも、「普通に」そこそこ飛べるようにはなった。
ところで、注目すべきことは、権威主義の学校の教師達が、中学1年まで、私の勝手なスタイルの飛び方に、一度もクレームをつけなかったことだ。
私の飛び方は、教育されない者だけが出来る、神の飛び方だった。
飛ぶ前から、神の飛び方をするということが伝わり、そして、神の飛び方を見れば、誰も文句が言えるはずもなかった。
飛び方を変えろとすら言われなかった。
このように、神の技を持っていれば、誰も逆らえないのである。
まだ、ちょっと合点がいかないと思う。
だが、私は、子供の時の飛び方を思い出したのだ。
それは、特定のフォームではなかったのだ。
ただ「高く飛ぶ」それだけのことだ。
そして、このようなことを描いた漫画・アニメがあることに驚いた。
それは、『アニマル1(ワン)』という、『巨人の星』の漫画作者(原作は梶原一騎氏)として名高い、川崎のぼる氏の作品で、Wikipediaによれば、アニメ放送は1968年開始とある。
中学生の少年、東一郎が、レスリングでメキシコオリンピックを目指すという、いわゆる「スポ根もの」だ。
ところで、この東一郎が、「アニマル・ドロップ」という必殺技を開発する。
ところが、一郎は、このアニマル・ドロップのやり方を忘れてしまうのである。
このアニマル・ドロップは、特定の技というのではなく、内に秘めた力を引き出すものなのだと思う。
つまり、これも神の技なのだ。
一郎は、妹のナナ子が危機に陥った時、忘れていたはずのアニマル・ドロップでナナ子を救う。
しかし、その後は、やはり、アニマル・ドロップをやれないのだった。
また、実話であるが、ある平凡な主婦が、マンションの窓から落下するわが子を見て、猛然とダッシュし、見事に救ったが、後で科学者が計算したところ、この主婦は、サンダル履きのまま、オリンピックの短距離選手より速く走ったということになってしまった。
だが、このような力は、「火事場の馬鹿力」としてよく知られている。
ところが、普通の人は、緊急事態が起こり、強制的にトランス(変性意識状態。普通には無意識)に陥らないと、そんな力を発揮できない。
しかし、私のように、常時、それを使えれば、驚くべきことが出来る。
私は、若い時から、会社の中で、仕事中に、好きな本を読んだり、パソコンでゲームをしていて、それを見られても(堂々とやっていた)、どれほど口やかましい、あるいは、厳格な上司や、社長すら、一度も文句を言ってきたことはなかった。
学校時代にも、持ち出し不可のものでも、教師達の前で、堂々と持ち出していた。
神の技を使えば、悪いことでもない限り(いや、世間的には多少悪いことであっても)、誰も逆らえないのである。
神の技は、誰でも出来る。
出来ない方がおかしい。
なぜなら、人間の内に神、あるいは、仏がおられるのであるからだ。
中村天風が、ライオンの折の中に堂々と入っていっても全く平気だったように、神の技を使う者には、猛獣も危害を加えることは出来ない。
あなたも、動物学者のケビン・リチャードソンさんが、野生のライオンと楽しくボール遊びをするのを見たことがあるかもしれない。
私は、見世物になるようなことは多分できないが、もっと怠け者に相応しいことが出来るのである。
私は、ニート明けに、フルコミッション(完全歩合制)のセールスマンという、とんでもなく厳しい仕事についたが、引きこもりで口ベタの私が、入社月に、月収百万円以上の強豪セールスマン達を全員抑え、小規模ではあったが、セールスコンテストで優勝したのだ(このブログで何度か書いている)。
「芸術は細部に宿る」という言葉があるようだ。
しかし、「神の技は、極小の力の中に潜む」のである。
「力を抜け」とはよく言われるが、それは必ずしも適切な表現ではない。
全ての力を抜くのではなく、限りなくゼロに近い力を作用させるのである。
そのやり方は、身体で覚えるしかない。
出来るだけ弱い力で意識的に呼吸をしたり、出来るだけ力を使わずに、腕振り運動をすることで、自ずと身につくのである。
そして、昨夜も書いたが、京都の広隆寺にある、弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)を見ることが、特にお奨め出来る。
この弥勒菩薩が、右手の薬指と親指を微かに触れ合わせる様子や、その表情が、何よりの模範である。
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Kayさん、今晩はいつも楽しく気楽に読んでいます。
実は私も高飛びではKayさんと同じような経験をしてます。
中学のころ、みんなが背面とびのところを私だけ
ベリーロールの亜種、みんながバーに対して向かって左
に並ぶのに私だけが右から助走、それでクラス1になり
運動会のクラス代表に。私も授業はそっちのけで
ふと興味が湧いて図書館で他の飛び方を調べて実践
しました。結局陸上部の代表には勝てませんでしたが
当時の小太りの私の体系ではかなりの健闘でした。
運動会では途中他の子(選手)からは「あいつインチキ
している」とイチャモンまでつきました。
Kayさんのブログを読み始めて大分経ちますが
最近、人間には脳が興奮している人と興奮していない人
が居ることに気づきました。999対1位の割合ですが。