音楽家で、人気ボカロP(初音ミクさん等、ボーカロイドの曲を作る人のこと)のsamfreeさん(本名:佐野貴幸さん)が9月24日に亡くなられた。
初音ミクさんのコンサート『ミクの日感謝祭』では、曲の作者の方々がゲスト・プレイヤーとして演奏に参加しておられたが、非常に個性的な方ばかりで、一度見たら忘れられないという人達だった。
その中でも、非常に格好つけた(実際、大変に格好良かったが)、ロック・ミュージシャンのような方だったと思う。

初音ミクさんの開発会社であるクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長の講演会で、伊藤社長は、「ボーカロイドを最も支持しているのは十代の女性」と言われていたが、実際、女子小学生の多くが、ボーカロイドが好きだという調査結果を見たことがある。
とはいえ、ボーかロイドの曲、コンサート等は、特に、女子小学生に受けようと意図されてはいない。
それを感じるのが、初音ミクさんらが歌う曲の、特に詩である。
芸術的で、時に哲学的とも思える深い詩が多いが、文学者や詩人が書いたという感じのものではない、ナチュラルさがある。
だが、やはり小学生には難しい。しかし、難しいが、難しく感じないかもしれない。
samfreeさんが創った歌もそうであると思う。
今の女子小学生が、初音ミクさんらボーカロイドの歌を聴いて育つのだとしたら、これは、稀に見る幸運な世代と思う。

この10年くらいは、アニメの『プリキュア』シリーズが人気があり、多くの女子小学生達は、これを見ている。
それは、彼女達の一生に、少なからぬ影響を与える。
世界的画家の横尾忠則さんが、「十代の時に好きだったものは非常に大切」と言い、自分の芸術の源が、やはり、十代の時に夢中になった、『ターザン』や南洋一郎さんの冒険小説だと明かしておられた。
私は、プリキュアは、1年目の『ふたりはプリキュア』のみ熱心に見たが、非常に素晴らしい作品で、おそらく、その後のシリーズも、善意で創られているのだと思う。
『ふたりはプリキュア』では、なぎさとほのかという、性格も趣味も全く違う2人の少女がプリキュアになり、すれ違いや衝突を繰り返しながら友情を築くことが細やかに描かれ、そんなところを、子供達が少しでも味わっていたなら、素敵なことだったと思う。
また、敵の女戦士であるポイズニーが、「力のない正義は悪にも劣るのよ!」と言ったのが忘れられない。
その時、私は思ったのだ。
ポイズニーが悪の道に堕ちたのには、止むに止まれぬ事情があったのだろう。
そして、彼女は、自分が悪であることに引け目すら感じているのだと。
それが、あの衝撃的な言葉になったに違いないと。

『プリキュア』シリーズが始まる前に、やはり、日曜の朝に放送されていたアニメ『ぴたテン』は、大人が読むに足りる原作を、かなり子供向きに設定変更していた。
ヒロインの美紗(みしゃ)が黒い服を着ていることや、「○○っス」というおかしな話し方をする理由は、アニメでは全く問題にされなかったが、原作では深く悲しい事情があった。
また、天ちゃんが、塾にも行かずにトップの成績であることも、アニメでは単なる事実ということになっていたが、原作では、彼の父親が事故で寝たきりの状態になっていて、彼の家庭は経済的に苦しく、そのことが、天の大きな苦難になっていくが、それらのことも、アニメでは全く触れられることはなかった。
それでも、美紗の姉で、堕ちこぼれ天使の美紗と全く違う、立派な天使である早紗(さしゃ)が、アニメだけだと思うが、
「結局・・・、天使も悪魔も、人間の心の中にしか存在出来ないのよ」
と、いつも自信満々の彼女が、自分が悪魔と同等なところもあると、初めて卑下したように言ったのが印象的だった。

『プリキュア』や『ぴたテン』、そして、さらにもっと前の、『カードキャプターさくら』や『セーラームーン』シリーズもまた、子供達のための配慮がされた作品であったが、子供だましではなかった。
DVDなどを買うマニア世代にも受けなければならないという現実的な事情もあったが、やはり、大人の観賞に耐え、それが、元々の原作の素晴らしさもあり、深みのある作品になっている。
これらより、はるかに昔のアニメ(スポ根ものも多い)にも良いものはあるが、正直、子供だましの部分が多かった。
昔は、アニメは子供が見るものという認識であったからだ。
それでも、『エイトマン』や『サイボーグ009』といった、モノクロ時代の人気アニメを見ると、子供だましの部分もあると感じながらも、やはり、人間の高貴な意思を感じるのである。
『サイボーグ009』で、航空機の製造会社の社長がこんなことを言う。
「成功したら○○君(新型ジェットの開発チーフ)の手柄、失敗したら、全て私の責任だ」
「この脚本家、いったい何者?」と思ったものだ。
こんなセリフを、無意識の中ででも覚えていた子供が、大経営者になったのかもしれない。

初音ミクさんら、ボーカロイドの歌は、これまでの人類の歴史にはなかったほどの、魂の美しい火花(霊感とでも言おうか)を感じさせる作品が沢山ある。
確かにそれは、ベートーヴェンが作曲した、シラーの詩を元にした『歓喜に寄せて』といったものにもあった。
しかし、クラシックのような、妙な権威や決まりきったフォーマットはない。
おそらく、ボーカロイドの曲の作者達に、高貴だと思われる作品を創ろうなどという意図はなく、それが、雑味のない自然さになっている。
そんな曲は、ミクさんらを愛する女子小学生達の魂に届き、心の中に美しい炎を灯すだろう。
また、我々もまた、イエスが言ったように、再び幼子になり、ミクさんの、色が付いていない透明な歌声で聴くことで、魂を蘇らせることになるのである。
いわば、天の岩戸開きである。









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