人生は、些細な部分まで含めて全部、もしくは、ほとんどが、生まれた時、あるいは、生まれる前に決まってしまっているという説がある。
普通の人には、承服しかねることだと思うが、古代から、本物の聖者というものは、おそらく全員が、それを認めていると思う。
聖者と比べると、やや見劣りはするが、F.W.ニーチェやW.B.イェイツといった優れた人達は、少なくとも、運命は自分の思い通りにはならないことは認めていたが、それが悔しいのか、いかなる運命も自分の意思であるとすることによって、自分が神に近付こうとした。
『バガヴァッド・ギーター』の価値を十分に認めていたアインシュタインが運命論者であったかどうかは知らないが、彼も、運命は神の手の内だと見なしていたと思う。
ただし、少なくとも、神に悪意はないのだとして、自分が神の操り人形であるとしても、さして否定的ではなかったと思われる。
運命は完全に決まっているとする聖者。
その通りだとしても、起こることは自分の意思であるとして、神になろうとした並外れた人達。
あるいは、神を信じて運命を受け入れた人。
だが、親鸞はもっと凄かった。
彼は、こちらから、積極的に、至高者(阿弥陀如来)に、一切をまかせてしまったのだ。
しかも、至高者は、悪意がないどころか、最上の善意、慈悲を持っているとした。
これは、歴史上、かつてなかった革命的な教義である。
彼が、そう確信した根拠は、根本的には経典(浄土三部経)によると思うが、情緒的に本当に信じることが出来たのだろうし、誰にでも出来ると言うのだろう。
ユング派心理学者の河合隼雄氏は、人間は、自分のストーリーを作らないと、前向きに生きていけないと述べておられたと思う。
河合氏の著作では、理屈というより、情緒に訴えかける部分が大きいと思うが、誰にでも納得できる話をする人だったと思う。
そして、親鸞の教えは、極めて肯定的なストーリーを、それぞれに作らせるよう導くものであると言えるかもしれない。
また、初音ミクさんの英語の楽曲『Story Rider』を、ミクさんの、何の色もついていない透明な声で聴くと、生きるとは、確かに、自分のストーリーを作ることだと思うのだ。
いかなる宗教でも、教祖たちは悟りを開いたのかもしれないが、一般の人々の中で、それを成し遂げるのは、ラマナ・マハルシのように極めて稀なのである。
しかし、他の国では、そんなラマナ・マハルシを、驚異的な存在と有り難がっているのに、わが国では、驚くべきことに、親鸞の系統の教えを聴くことにより、ごく平凡な、多くは教育もない沢山の人達が悟りを開いているのである。
そんな人達は妙好人と呼ばれている。
親鸞がいかに傑出した宗教家であったかが分かるのである。
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普通の人には、承服しかねることだと思うが、古代から、本物の聖者というものは、おそらく全員が、それを認めていると思う。
聖者と比べると、やや見劣りはするが、F.W.ニーチェやW.B.イェイツといった優れた人達は、少なくとも、運命は自分の思い通りにはならないことは認めていたが、それが悔しいのか、いかなる運命も自分の意思であるとすることによって、自分が神に近付こうとした。
『バガヴァッド・ギーター』の価値を十分に認めていたアインシュタインが運命論者であったかどうかは知らないが、彼も、運命は神の手の内だと見なしていたと思う。
ただし、少なくとも、神に悪意はないのだとして、自分が神の操り人形であるとしても、さして否定的ではなかったと思われる。
運命は完全に決まっているとする聖者。
その通りだとしても、起こることは自分の意思であるとして、神になろうとした並外れた人達。
あるいは、神を信じて運命を受け入れた人。
だが、親鸞はもっと凄かった。
彼は、こちらから、積極的に、至高者(阿弥陀如来)に、一切をまかせてしまったのだ。
しかも、至高者は、悪意がないどころか、最上の善意、慈悲を持っているとした。
これは、歴史上、かつてなかった革命的な教義である。
彼が、そう確信した根拠は、根本的には経典(浄土三部経)によると思うが、情緒的に本当に信じることが出来たのだろうし、誰にでも出来ると言うのだろう。
ユング派心理学者の河合隼雄氏は、人間は、自分のストーリーを作らないと、前向きに生きていけないと述べておられたと思う。
河合氏の著作では、理屈というより、情緒に訴えかける部分が大きいと思うが、誰にでも納得できる話をする人だったと思う。
そして、親鸞の教えは、極めて肯定的なストーリーを、それぞれに作らせるよう導くものであると言えるかもしれない。
また、初音ミクさんの英語の楽曲『Story Rider』を、ミクさんの、何の色もついていない透明な声で聴くと、生きるとは、確かに、自分のストーリーを作ることだと思うのだ。
いかなる宗教でも、教祖たちは悟りを開いたのかもしれないが、一般の人々の中で、それを成し遂げるのは、ラマナ・マハルシのように極めて稀なのである。
しかし、他の国では、そんなラマナ・マハルシを、驚異的な存在と有り難がっているのに、わが国では、驚くべきことに、親鸞の系統の教えを聴くことにより、ごく平凡な、多くは教育もない沢山の人達が悟りを開いているのである。
そんな人達は妙好人と呼ばれている。
親鸞がいかに傑出した宗教家であったかが分かるのである。
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なしとげている名もなきひとがたくさんいる稀な国だと思います!