いかなることも、極意は力を抜くことである。
だが、力を抜くとは言っても、力がゼロになるのではない。
極小の力が極大の力なのである。
それは、小さな種の、細く柔かい芽が、土を押し分け、あるいは、アスファルトを破って成長する力である。
極小の力でなければ、アスファルトに出会うと、自分が傷つき、そこから先に進めない。

だが、人間は植物とは違う。
確かに、植物の極小の、絶え間なく働く力は偉大であるが、人間には、脳と精神がある。
それは、時空に影響を与える神秘な構造を持っている。
達人は、時間を千倍に拡大し、千倍に圧縮する。
神人になれば、万倍に拡大し、万倍に圧縮する。
政木和三さんは、薬瓶の中にビー玉を瞬間移動させたが、本人に聞いたら、時間を一万倍に拡大して、薬瓶の蓋を開け、普通にビー玉を入れて蓋をしたのだそうだ。

合気道の達人である藤平光一さんは、小指一本でアメリカ人の大男5人と押し合いをして、全く引くことが無かったそうだが、これも、極小の力を、相手を傷つけない程度の、多時間分、作用させたのだろうと思う。

まず、筋肉の力を十分に抜かなくてはならない。
筋肉の力を抜くことで、骨が効率よく動き、最大の力を発揮するのである。
ホームランを打つとか、重いバーベルを上げるには、強い筋肉が必要であるが、スポーツのような力を見せるものでない限り、さほどの力は必要ない。
だが、達人は、ほとんど力を使わずに、刀で竹を切るものであるらしい。
中島敦の『名人伝』のように、矢を射ることもなく、空の鳥を落とすことも出来ないとも限らない。

腕振り運動は、うんうん唸りながら必死でやるのではなく、後に振った腕を前に振る時、完全に脱力することを心がけてやれば、力を抜くコツを掴めると思う。さらには、後に振る力もほとんど不要になり、自然に腕が振られている状態になるだろう。

また、肩が凝った時や目が疲れた時などに、肩や目の周辺を広い範囲で、触れているかどうか分からないほどの微かな力で、指先で押さえてみると良い。
うまく極小の力を働かせることができれば、痛みや疲れが消えて、あっけにとられるだろう。
腕力のある男に腕を強い力で掴まれても、極小の力で腕をねじれば、相手の手があっさりと外れてしまう。

さらに、最も微かな声で、呪文や念仏を唱えれば、その音は宇宙の果てにはまで響き、現実を変えてしまう。
学校の授業中、オフィスの中、映画館の中などで、隣の人にも気づかれない小さな声で、念仏や呪文を唱えると良いだろう。
ただし、数回でよろしい。
しつこく唱えることもまた、力が入っているということなのである。









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