いくら能力があっても、他人と仲良くなれない者は活躍できないし、居場所もなくなることが少なくない。
これを、異分子の排除だとか、差別だ、などと文句を言っても仕方がない。
世の中、そんなものだし、人間も含め、生物の身体だって、異物が入ってきたら、免疫系がそれを攻撃して殺すのだから、善悪の問題ではなく、それも必要なことなのだ。
つまり、生命体も、学校や企業などの組織も、毛色の違ったものは、とにかく叩いて排除することが、安全と平和を保つ最も良い方法なのである。

学校でも会社でも、いじめられる者というのは、間違いなく、変わり者だ。
変わっている者というのは、他人とは違う趣味や価値観を持っていて、周りに理解されない者のことだ。
また、変わり者の方でも、自分の良いところを見てもらえず、蔑み、疎まれているうちに、人間嫌いになるものだ。
他人に対し、「こっち見ないで」「近寄ってこないで」と思うようになったら、もう、社会での安定なんて諦めるしかない。
いじめられないまでも、仲間外れは免れない・・・というより、こっちから仲間に入りたくないだろう。
しかし、それでは、学校や会社では、全く務まらず、やっていけない。

もちろん、特に変わり者とか、人嫌いでなくても、仲間外れにされる者もいる。
大方では、そんな者達は、実力に見合わないプライドを持っているのであり、早い話が、甘ったれているのだが、これは鍛えるより他に方法がない。
よって、そういった者達のことは除外とする。

さて、変わり者はどうすれば良いのだろう。
1つには、ちょっと冗談で言うが、危ない雰囲気を持つという手もある。
しかし、変なファッションをしたり、気違いじみたな態度、発言をするといった、表面的なことで通用するほど世の中甘くない。
では、本当に強くなろうと思って、空手道場に入門しても、それこそ、道場内の人間関係でうまくいかないだろう。
ところで、昔、栗山天心さんの本に、大きな銃を持つ大人より、いつもナイフを磨いている少年の方が不気味だと書かれていたのをよく覚えている。
つまり、柔道や空手といった健全で常識的なことを考えず、いざとなったら、一撃で相手を殺す方法を本気で考え、それを熱心に、達人になるまで練習することだ。
それが本物になれば、実際に、その危険な技を使うことはなくても、危ない雰囲気が滲み出るものだ。
もちろん、そんなことを本当に勧めるのではないが、大切なことは、それほど本気になるということで、その訓練のためであれば、そんな馬鹿なこともやってみる価値はある。
だが、こんな方法は、結局は、何の解決にもならないのだ。

最良にして、唯一の方法は、黙って耐えることである。
こう言うと、拍子抜けするかもしれないが、自主的に「耐えてやる」と思えば耐えられるのである。
「辛いのは嫌だ」と思っているから耐えられないのだ。
良い待遇を望むという、卑しい考え方をしているのが問題なのである。
自分のような、半端な変わり者は、蔑み疎まれて当然と思わなければならない。
そこまで悟れたら、それだけで、かなりの進歩をしたと言える。
そして、自分が異分子であるということは、実は、素晴らしい恵みなのだ。
他の、凡庸な者には絶対に縁がない、人間を超える道が開かれているのだ。
我々とは比較にならない、耐え難いほどの苦しみを背負った良寛さんは、『荘子』を読んで悟り、実際のところ、人間を超えたのだ。
『荘子』なら、どれでも良いから、内篇だけでも繰り返し読み、そして、読むだけでなく、教えを実際に試してみるのだ。
※個人的には、『荘子』は岸陽子訳を、Kindleなら西野広祥訳をお奨めしている(下に紹介した)。
そうすると、『荘子』の教えは、空論ではなく、巨大な力であることが分かるだろう。
実際、『荘子』の中にも、「道」の教えを実践して、超人になった人の話が出てくる。
そして、良寛さんは、念仏は、『荘子』と全く同じで、はるかに簡単であることが分かったのだと思う。
だが、まずは、『荘子』の教えを試した方が面白いに違いない。
私も痛快で面白い、人には出来ない経験をしたのである。









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