久々に断ち物について書く。
断ち物とは、願掛けの方法の1つで、食物の好物や、その他の特に好きな何かといった、強い欲望を感じるものを断ち、願いの成就を祈願するものだ。
有名なものでは、春日局が、幼少の頃の徳川家光の重病の快復を願って、生涯の薬断ちをしたことや、上杉謙信が、戦の勝利を祈願し、やはり、一生、女を断ったことなどがある。
どんな断ち物が正しいかというと、それを断つことで、ずっと辛い思いをすることだ。
上杉謙信のように、好みのタイプの女を望むまま得られえる立場であれば、なおのこと女を遠ざけるのは辛いことだろうし、春日局も、平常時は良いとしても、病気で苦しい時に薬を飲めないのは苦しいし、「このまま死んでしまうかもしれない」という不安にさらされる可能性もある。
いずれも、断ち物として優れている。
そして、実際、家光は快癒し、謙信は生涯不敗であった。
最近よく述べているが、人間は苦しみに自主的に耐えることで運を得るのであり、断ち物は全く正しい開運法である。
我々であれば、例えば、酒に目がないなら酒を絶ち、チョコレートが大好物であれば、これを決して食べず、あるいは、本当に好きな趣味を諦めるというのも効果があるだろう。
その期間は、願いが叶うまでという場合が多いかもしれないが、大きな願いの場合は、春日局や上杉謙信のように、生涯に渡って断つことを決意し、それを神に誓うこともあるかもしれない。
しかし、やはり、食、性、言葉といった断ち物が、最も優れている。
どの程度、厳しく断つかは、やはり、願いの強さ、大きさによるのだろう。
言葉を断つことに関しては、適切な会話は良しとして、悪口、批判や非難、言い訳、嘘といった、悪い言葉を断つというのでも十分である。
性に関しては、1人と決めていれば問題はないが、イエスの言うように、「邪な想いも姦淫」であるかもしれない。
そして、肝心なことは、本来、求めてやまないほどの欲望を断った苦しさ、辛さに、黙って耐えることである。
その辛さを人に話すようなことは、決してあってはならず、人前では平静を装わなければならない。
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断ち物とは、願掛けの方法の1つで、食物の好物や、その他の特に好きな何かといった、強い欲望を感じるものを断ち、願いの成就を祈願するものだ。
有名なものでは、春日局が、幼少の頃の徳川家光の重病の快復を願って、生涯の薬断ちをしたことや、上杉謙信が、戦の勝利を祈願し、やはり、一生、女を断ったことなどがある。
どんな断ち物が正しいかというと、それを断つことで、ずっと辛い思いをすることだ。
上杉謙信のように、好みのタイプの女を望むまま得られえる立場であれば、なおのこと女を遠ざけるのは辛いことだろうし、春日局も、平常時は良いとしても、病気で苦しい時に薬を飲めないのは苦しいし、「このまま死んでしまうかもしれない」という不安にさらされる可能性もある。
いずれも、断ち物として優れている。
そして、実際、家光は快癒し、謙信は生涯不敗であった。
最近よく述べているが、人間は苦しみに自主的に耐えることで運を得るのであり、断ち物は全く正しい開運法である。
我々であれば、例えば、酒に目がないなら酒を絶ち、チョコレートが大好物であれば、これを決して食べず、あるいは、本当に好きな趣味を諦めるというのも効果があるだろう。
その期間は、願いが叶うまでという場合が多いかもしれないが、大きな願いの場合は、春日局や上杉謙信のように、生涯に渡って断つことを決意し、それを神に誓うこともあるかもしれない。
しかし、やはり、食、性、言葉といった断ち物が、最も優れている。
どの程度、厳しく断つかは、やはり、願いの強さ、大きさによるのだろう。
言葉を断つことに関しては、適切な会話は良しとして、悪口、批判や非難、言い訳、嘘といった、悪い言葉を断つというのでも十分である。
性に関しては、1人と決めていれば問題はないが、イエスの言うように、「邪な想いも姦淫」であるかもしれない。
そして、肝心なことは、本来、求めてやまないほどの欲望を断った苦しさ、辛さに、黙って耐えることである。
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今ウイルス性の胃腸炎にかかりまして
のんびり暮らしています。
夏バテもあって思ったのですがリポDとかも
止めたほうが体にいいみたいですね。
息が詰まるような苦しい感覚があるときがあります。
気が滞りやすいタイプなのかな、と考えたり。
それなりにカルマしょってきたつもりなんですけど
人生は耐えるには長いですね。
歴史に残る人は違いますね。