政治家やニュースキャスター、あるいは、テレビドラマのセリフの失言に対してクレームがつき、政治家は辞任し、キャスターは深々と頭を下げ、ドラマでは制作者の謝罪会見が行われ、場合によっては放送中止になる・・・ということがよく起こる。
今は、クレーム側の圧勝といったところだ。
結果、政治もニュースもドラマも、あらゆるものがつまらなくなった。
昔はクレームに強い政治家がいたものだ。
ずっと前の石原慎太郎さんは、今の政治家の中では強い方だった。
大相撲の八百長事件があった時、石原さんは、「そんなの(八百長があることは)当たり前だろ」と堂々と言い、クレームもあったかもしれないが、何の問題にもならなかった。
あの件で、石原さんにクレームをつけても無駄なことは分かっている。
だが、石原さんが、「震災が続くのは天罰」と言った時には、クレームに対し、石原さんは謝ってしまった。
昔の石原さんなら、
「あなた方マスコミは、どうして、私が、被災地の方々が悪くて天罰が落ちたと言ったことにしたがるの?誰が言ったの?ここに出てきなさい!」
くらい言ったはずだが、もう年だったのか、あるいは、何か事情があったのかもしれない。
その後の石原さんは坂を転げ落ちるようで、晩節を汚した。
昔、アメリカの戦闘機が、韓国の民間航空機を誤って撃墜した時、当時のレーガン大統領だったかは、決して謝らなかった。
結果、国際世論が最悪になることはなく、レーガンは任期完了までしっかり大統領を務め、今でも人気が高い。
もちろん、誠実な対応をすることまで否定するのではないが、謝るなんて最悪なのだ。
相手が弱い場合には、個人的に謝れば良い。
公に謝ると、それを利用する者がいるからという理由で、個人的に謝るのだ。
その際、ポケットマネーを渡せば、それが誠意になる。
昔、21歳の愛人がいることがバレて辞任したこっぱずかしい総理大臣がいたが、彼の間違いは、愛人がいたことではなく、愛人に誠意を見せなかったことだ。
その愛人は、「お金じゃないんです。誠意を見せて欲しかったんです」と言ったらしいが、ポケットマネーで1億ほど渡せば、それで誠意が伝わり、愛人も余計なことは言わなかったはずなのだ。
愛人がいた名政治家なんて、昔は珍しくもなかった。
今の政治家の失言は、あまりに情けないものが多く、クレーム側は、「こんな発言をする者は、人間が腐っており、腐っている人間は政治家に相応しくないので辞めるべき」という論法一点張りと言って良いだろう。
しかしだね、腐っていない人間がどこにいるってんだい?
そんな者はいないと了解されれば、政治家の辞任は不要であることが分かる。
実際、その通りなのだ。
腐っていない人間なんか、どこにもいない。
ただし、必ず腐っている人間にも2種類あるのだ。
それは、「自分は腐っていると、心の底から分かっている者」と、それ以外だ。
若い、十代も半ばまでなら、自分は腐っていないと信じているかもしれないが、それから徐々に、なんとなく、自分が腐っていることに感づいてくる。
しかし、それを心底から理解するには時間がかかり、特に、今の時代は悟りが遅く、自分が腐りきっていることを認めないまま、あの世行きになる者も少なくはない。
自分が腐りきっていることを、腹の底から実感している者は決して謝らない。
そして、強い。
私の考えでは、石原慎太郎さんは、割と早くに、自分がどうしようもなく腐った人間だとはっきり認識していたのに、周囲からチヤホヤされて持ち上げられているうちに、忘れてしまったのだ。
地位のある老人に多いパターンかもしれない。
レーガン大統領は、アメリカがどうにもならないほど腐っていることを、よく分かっていたのだ。
だから謝らなかったのである。
私も、決して謝らないつもりだ。
もちろん、私は、日々、毎分毎時間、間違ったこと、愚かなこと、蔑むべきことばかりしている。
だが、それを謝らないことを、それほど気に病まない。
だって、人間が腐っているのだから仕方ないではないか?
謝ったところで、それは舌先三寸でしかないのだから。
なら、謝らない方が誠実というものだ。
しかし、自分が本物の馬鹿だと分かっている者は、そんな下らない自分を擁護するのもアホらしいので、結果、とんでもないことをするまでには至らないのだ。
非人道的、鬼畜的悪行は、自己擁護、自己弁護、自己正当化、言い訳などから起こるのだからだ。
限度を超えた悪を為す者というのは、自分がそれほど腐っていないとか、それどころか、高貴で正しいとさえ信じていることもあるのだ。
そんな者は本当に危ない。
テロリストなど、武装組織を見れば分かるはずだ。彼らは、自称「清い」のだ。
また、小物ではあっても、学校の教師の大半はそうではないかな?
だから、子供達にとって教師は恐ろしい脅威であり、子供達は、教師を絶対に避けなければならないし、教師を避けてもやっていられる制度を作るべきである。
聞くところでは、敬愛するドワンゴの川上会長は、インターネットで学べる通信高校を開校するらしい。
これは素晴らしいことだ。
川上会長という人は、自分が腐りきっていることを理解している人だ。
まあ、自分が腐りきっていることを、真に理解している教師も稀にはいるだろう。そんな教師は素晴らしいのだが、そんな教師に巡り会えることに期待することは、あまりに非現実的なのだ。
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今は、クレーム側の圧勝といったところだ。
結果、政治もニュースもドラマも、あらゆるものがつまらなくなった。
昔はクレームに強い政治家がいたものだ。
ずっと前の石原慎太郎さんは、今の政治家の中では強い方だった。
大相撲の八百長事件があった時、石原さんは、「そんなの(八百長があることは)当たり前だろ」と堂々と言い、クレームもあったかもしれないが、何の問題にもならなかった。
あの件で、石原さんにクレームをつけても無駄なことは分かっている。
だが、石原さんが、「震災が続くのは天罰」と言った時には、クレームに対し、石原さんは謝ってしまった。
昔の石原さんなら、
「あなた方マスコミは、どうして、私が、被災地の方々が悪くて天罰が落ちたと言ったことにしたがるの?誰が言ったの?ここに出てきなさい!」
くらい言ったはずだが、もう年だったのか、あるいは、何か事情があったのかもしれない。
その後の石原さんは坂を転げ落ちるようで、晩節を汚した。
昔、アメリカの戦闘機が、韓国の民間航空機を誤って撃墜した時、当時のレーガン大統領だったかは、決して謝らなかった。
結果、国際世論が最悪になることはなく、レーガンは任期完了までしっかり大統領を務め、今でも人気が高い。
もちろん、誠実な対応をすることまで否定するのではないが、謝るなんて最悪なのだ。
相手が弱い場合には、個人的に謝れば良い。
公に謝ると、それを利用する者がいるからという理由で、個人的に謝るのだ。
その際、ポケットマネーを渡せば、それが誠意になる。
昔、21歳の愛人がいることがバレて辞任したこっぱずかしい総理大臣がいたが、彼の間違いは、愛人がいたことではなく、愛人に誠意を見せなかったことだ。
その愛人は、「お金じゃないんです。誠意を見せて欲しかったんです」と言ったらしいが、ポケットマネーで1億ほど渡せば、それで誠意が伝わり、愛人も余計なことは言わなかったはずなのだ。
愛人がいた名政治家なんて、昔は珍しくもなかった。
今の政治家の失言は、あまりに情けないものが多く、クレーム側は、「こんな発言をする者は、人間が腐っており、腐っている人間は政治家に相応しくないので辞めるべき」という論法一点張りと言って良いだろう。
しかしだね、腐っていない人間がどこにいるってんだい?
そんな者はいないと了解されれば、政治家の辞任は不要であることが分かる。
実際、その通りなのだ。
腐っていない人間なんか、どこにもいない。
ただし、必ず腐っている人間にも2種類あるのだ。
それは、「自分は腐っていると、心の底から分かっている者」と、それ以外だ。
若い、十代も半ばまでなら、自分は腐っていないと信じているかもしれないが、それから徐々に、なんとなく、自分が腐っていることに感づいてくる。
しかし、それを心底から理解するには時間がかかり、特に、今の時代は悟りが遅く、自分が腐りきっていることを認めないまま、あの世行きになる者も少なくはない。
自分が腐りきっていることを、腹の底から実感している者は決して謝らない。
そして、強い。
私の考えでは、石原慎太郎さんは、割と早くに、自分がどうしようもなく腐った人間だとはっきり認識していたのに、周囲からチヤホヤされて持ち上げられているうちに、忘れてしまったのだ。
地位のある老人に多いパターンかもしれない。
レーガン大統領は、アメリカがどうにもならないほど腐っていることを、よく分かっていたのだ。
だから謝らなかったのである。
私も、決して謝らないつもりだ。
もちろん、私は、日々、毎分毎時間、間違ったこと、愚かなこと、蔑むべきことばかりしている。
だが、それを謝らないことを、それほど気に病まない。
だって、人間が腐っているのだから仕方ないではないか?
謝ったところで、それは舌先三寸でしかないのだから。
なら、謝らない方が誠実というものだ。
しかし、自分が本物の馬鹿だと分かっている者は、そんな下らない自分を擁護するのもアホらしいので、結果、とんでもないことをするまでには至らないのだ。
非人道的、鬼畜的悪行は、自己擁護、自己弁護、自己正当化、言い訳などから起こるのだからだ。
限度を超えた悪を為す者というのは、自分がそれほど腐っていないとか、それどころか、高貴で正しいとさえ信じていることもあるのだ。
そんな者は本当に危ない。
テロリストなど、武装組織を見れば分かるはずだ。彼らは、自称「清い」のだ。
また、小物ではあっても、学校の教師の大半はそうではないかな?
だから、子供達にとって教師は恐ろしい脅威であり、子供達は、教師を絶対に避けなければならないし、教師を避けてもやっていられる制度を作るべきである。
聞くところでは、敬愛するドワンゴの川上会長は、インターネットで学べる通信高校を開校するらしい。
これは素晴らしいことだ。
川上会長という人は、自分が腐りきっていることを理解している人だ。
まあ、自分が腐りきっていることを、真に理解している教師も稀にはいるだろう。そんな教師は素晴らしいのだが、そんな教師に巡り会えることに期待することは、あまりに非現実的なのだ。
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