直接読んだわけではないが、イアン・フレミングの007シリーズの小説の中で、ジェームズ・ボンドが、
「私は、背の低い男を信用しない。なぜなら、背が低いことによる劣等感で、彼は世界に恨みを持っているからだ」
と言ったらしい。
それほど洞察のある言葉とも思わないが、確かにそうだ。
ただし、昔であれば。
少なくとも、今の日本で、背が低い男が劣等感を持っているとしたら、それは、持つ必要のない劣等感だ。
昔、なぜ背が高い男が良かったのかというと、男同士の争いで有利だったからだ。
しかし、結婚する気もなければ、良いか悪いかは知らないが、セックスをするのも面倒だという男が増えているし、暴力なんか振るったら、今の日本では、即座に終わりだ。
力士や野球選手にでもなるのでない限り、背が高いことのメリットはない。
スポーツでも、多くの競技では階級制になっていて、むしろ、小さい方が良いかもしれない。
そして、今は、逆に、背が高いことが劣等感になりつつある。
私は177センチだが、183センチ以上ある男を見た時、「羨ましい」という感情は全く起こらないが、「邪魔だな」とは思うのである。
そして、自分すら、「邪魔だな」と思うことがよくある。
電車で、通路側の席に座ると、どれほどきちんと座っていても、私の脚が邪魔で窓側の席の人が出られないということがある度に、そう思うのである。
男でも、大きくても174センチ位までが良いのかもしれない。174センチの甥っ子が邪魔にならないのでそう思っただけであるが。
それはともかく、昔の背の低い男は、世界(世間とか社会という意味だろう)に対して恨みを持っていたかもしれない。
しかし、私だって、社会に対して、恨みを持っている。
最近、ネット上で、ドワンゴ会長の川上量生さんと、「オタキング」岡田斗司夫さんの対談を見たが、さらっと見ただけなので、曖昧な記憶だが、川上さんは、
「ネットで他人を叩く人というのは、現実世界に恨みを持っている。僕自身、よく叩いていた」
と言われていた。
私も、ネット上で他人を攻撃するバトラーは沢山見たが、全くその通りで、社会に恨みがあるから他人を叩くのだし、なぜ恨みがあるかといいうと、やはり、劣等感に苦しんでいるからだ。
そしてね、背が低いことによる劣等感同様、ほとんどの劣等感というものは、持つ必要が無いものなのだ。
そうであれば、ネットの「荒らし」達は、する必要のない攻撃をしているのだ。
平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』で、小鷹(高1男子)が、「なぜネットで他人を攻撃したがるのだろう?」と言うと、夜空(高1女子)が、「楽しいからさ」と言う。
夜空も、また、星奈(高1女子)も、相当ネットで他人を攻撃しているようだった。
そして、その理由もまた、「容姿以外はいろいろ残念」な夜空も、「性格以外はパーフェクト」な星奈も、世間(主にクラスメイトや教師)に対する深い恨みを持っているからであることが分かるのである。
私は、大師になること以外の目標は全て捨てているが、そうと決めたら、超自然的存在に、「一切の恨みを捨てれば道は開ける」と言われた。
それで思うのだが、ネットで他人を叩いている人は、案外に大師に近いのである。
ネットでの攻撃をしなくなれば良いのだから、進歩の目標を定め易いのである。
小沢一郎さんなどの有名人の多くは、マスコミに対して、こんな恨みを持っている。
「私の発言の一部を、その前後から切り離して、私が本当に言ったことと全然違うことを言ったように恣意的(勝手きまま)に取り上げる」
私は、もし、そんなことを、「当たり前のこと」として、諦め、さらに、認める人がいたら、その人は歴史上でも屈指の大物と思っていたが、そんな人はいない。
しかし、川上量生さんは、「そんなことは仕方がない」「それでいいんです」と言われていたと思う。
考えてみれば、岡本太郎さんも、「誤解されたっていいじゃないか?いや、誤解されなければならない」と言われていた。
政木和三さんは、横尾忠則さんは宇宙人だと言われていた(直接聞いた)。
その横尾さんが噛み付きたがる岡本太郎さんも宇宙人だ。
そして、川上さんもそうなのだろう。
ちなみに、大師は宇宙人の認定を受けるのである。
大師になるための格言は、岡本太郎さんが言われた、「誤解されたっていいじゃないか?いや、誤解されなければならない」である。
ただ、私が思うだけだが、岡本太郎さんは、それに徹しきれていなかった・・・と、彼は私に誤解されているのだろう。
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「私は、背の低い男を信用しない。なぜなら、背が低いことによる劣等感で、彼は世界に恨みを持っているからだ」
と言ったらしい。
それほど洞察のある言葉とも思わないが、確かにそうだ。
ただし、昔であれば。
少なくとも、今の日本で、背が低い男が劣等感を持っているとしたら、それは、持つ必要のない劣等感だ。
昔、なぜ背が高い男が良かったのかというと、男同士の争いで有利だったからだ。
しかし、結婚する気もなければ、良いか悪いかは知らないが、セックスをするのも面倒だという男が増えているし、暴力なんか振るったら、今の日本では、即座に終わりだ。
力士や野球選手にでもなるのでない限り、背が高いことのメリットはない。
スポーツでも、多くの競技では階級制になっていて、むしろ、小さい方が良いかもしれない。
そして、今は、逆に、背が高いことが劣等感になりつつある。
私は177センチだが、183センチ以上ある男を見た時、「羨ましい」という感情は全く起こらないが、「邪魔だな」とは思うのである。
そして、自分すら、「邪魔だな」と思うことがよくある。
電車で、通路側の席に座ると、どれほどきちんと座っていても、私の脚が邪魔で窓側の席の人が出られないということがある度に、そう思うのである。
男でも、大きくても174センチ位までが良いのかもしれない。174センチの甥っ子が邪魔にならないのでそう思っただけであるが。
それはともかく、昔の背の低い男は、世界(世間とか社会という意味だろう)に対して恨みを持っていたかもしれない。
しかし、私だって、社会に対して、恨みを持っている。
最近、ネット上で、ドワンゴ会長の川上量生さんと、「オタキング」岡田斗司夫さんの対談を見たが、さらっと見ただけなので、曖昧な記憶だが、川上さんは、
「ネットで他人を叩く人というのは、現実世界に恨みを持っている。僕自身、よく叩いていた」
と言われていた。
私も、ネット上で他人を攻撃するバトラーは沢山見たが、全くその通りで、社会に恨みがあるから他人を叩くのだし、なぜ恨みがあるかといいうと、やはり、劣等感に苦しんでいるからだ。
そしてね、背が低いことによる劣等感同様、ほとんどの劣等感というものは、持つ必要が無いものなのだ。
そうであれば、ネットの「荒らし」達は、する必要のない攻撃をしているのだ。
平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』で、小鷹(高1男子)が、「なぜネットで他人を攻撃したがるのだろう?」と言うと、夜空(高1女子)が、「楽しいからさ」と言う。
夜空も、また、星奈(高1女子)も、相当ネットで他人を攻撃しているようだった。
そして、その理由もまた、「容姿以外はいろいろ残念」な夜空も、「性格以外はパーフェクト」な星奈も、世間(主にクラスメイトや教師)に対する深い恨みを持っているからであることが分かるのである。
私は、大師になること以外の目標は全て捨てているが、そうと決めたら、超自然的存在に、「一切の恨みを捨てれば道は開ける」と言われた。
それで思うのだが、ネットで他人を叩いている人は、案外に大師に近いのである。
ネットでの攻撃をしなくなれば良いのだから、進歩の目標を定め易いのである。
小沢一郎さんなどの有名人の多くは、マスコミに対して、こんな恨みを持っている。
「私の発言の一部を、その前後から切り離して、私が本当に言ったことと全然違うことを言ったように恣意的(勝手きまま)に取り上げる」
私は、もし、そんなことを、「当たり前のこと」として、諦め、さらに、認める人がいたら、その人は歴史上でも屈指の大物と思っていたが、そんな人はいない。
しかし、川上量生さんは、「そんなことは仕方がない」「それでいいんです」と言われていたと思う。
考えてみれば、岡本太郎さんも、「誤解されたっていいじゃないか?いや、誤解されなければならない」と言われていた。
政木和三さんは、横尾忠則さんは宇宙人だと言われていた(直接聞いた)。
その横尾さんが噛み付きたがる岡本太郎さんも宇宙人だ。
そして、川上さんもそうなのだろう。
ちなみに、大師は宇宙人の認定を受けるのである。
大師になるための格言は、岡本太郎さんが言われた、「誤解されたっていいじゃないか?いや、誤解されなければならない」である。
ただ、私が思うだけだが、岡本太郎さんは、それに徹しきれていなかった・・・と、彼は私に誤解されているのだろう。
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