固定観念や偏見、つまり、世間的な思い込みを捨てれば捨てるほど、優秀になり、知恵が出て、そして、天才になり、さらには、超能力者や超人になる。
ところで、固定観念を捨てることを、突飛なことを考えることだと誤解している人がいると思う。
そうではないのだ。
固定観念を捨てるとは、人工的なものを排除するという意味なのだ。
引力の法則は、固定観念ではない。だから、捨てる訳にはいかない。
しかし、白人が有色人種より優れているというのは、人工的な観念・・・すなわち、固定観念なのだ。

日本人は昔から、「発明は出来ないが、応用は上手い」と言われ、やっかみ半分に、「猿真似が上手い」と言われることも多かった。
しかし、発明なんてのは、自然の模倣なのだ。
ところで、携帯電話に初めてカメラをつけたのは日本のメーカー(J-PHONE)だった。
そして、初めは、世界中で笑われたという。
このように、携帯電話とカメラという、欧米的発想では、混ぜてはいけないものを混ぜるのが日本人なのだ。
そして、そんなことが出来るのは、固定観念がないからだ。
携帯電話とカメラの話は、ドワンゴの川上量生会長のインタビューからの引用だが、ドワンゴのニコニコ動画も、既にYoutubeがあった時代に、別の動画投稿サイトを作るというのは、本来は無茶なものだった。
川上氏の本を読むと、ニコニコ動画は、ライブ感を重視したことがYoutubeとの差異になるが、これは、リアルとバーチャルという、混ぜてはいけないものを混ぜたということと思う。
だから、川上会長は今年は2日で15万人を集客したニコニコ超会議なんてものを、また、発想の柔軟なトップクラスの研究者達が、ニコニコ学会βという、学会というリアルなものを、バーチャルな動画投稿サイトと混ぜたものを考えて実行した。
初音ミクさんが採用されたGoogle ChromeのCMのキャッチフレーズは「Everyone, Creator(みんな創作者)」だが、ニコニコ学会βは「Everyone, Scientist(みんな研究者) 」だ。

いかなる大発明、優れたビジネスモデルも、全て、誰も混ぜようとしなかったものを混ぜたものなのだ。
川上量生さんは、スマートフォンは、iモードをアップルやGoogleが真似しただけだと言うが、iモードも、携帯電話と通信端末を混ぜたもので、携帯電話は無線と電話を混ぜたものだ。

初音ミクさんのようなボーカロイドは、シンセサイザーと人間の声という、混ぜるのが難しいものを混ぜたものだ。
いかなるピアノの達人がピアノの「ド」を叩いても、それは、ピアノの「ド」だ。
つまり、楽器というのは、弾き方を変えても、音色はさほど変わらない。
しかし、人間の声・・・特に歌声では、本当に様々な音色の「ド」が出来る。
だから、ボーカロイドは、発明者のヤマハの剱持秀紀氏によれば、沢山の楽器を瞬時に切り替えて演奏するようなものなのだそうだ。
初音ミクさんは、そのような超高度なテクノロジーなのである。

混ぜちゃいけないものを混ぜることについては、昔、竹村健一氏が、ハウスバーモントカレーのことを著書に書かれていた。
カレーにリンゴとハチミツなんてものを混ぜることは、それまの常識では有り得ないことだったが、それを混ぜちゃって大ヒットした訳だ。

坂本龍一氏が言うには、新しい音楽を作り出すような天才は300年に1人といったものらしい。
昔、ビートルズが革新的と言われたが、ビートルズだって、黒人音楽、ロック、ミュージカル音楽等をアレンジしただけのものだという。
だから、日本人は猿真似が上手いなんて揶揄した連中は、モノが見えていなかっただけで、優れた創造は、自然の組み合わせ、自然を組み合わせたもの同士の組み合わせなのだ。
うまく混ぜることが創造性で、混ぜることが出来ないのは、固定観念があるからだ。
よって、固定観念を外すと、創造が出来る。

キリスト教は、ギリシャ神話とユダヤ教と何かを混ぜたものだし、仏教は、ヒンズー教と何かを混ぜたものだが、キリスト教もイスラム教も仏教も混ぜてしまえば良いのである。
しかし、そんなことを絶対に認めないのが宗教の権威である。
そして、最大の固定観念は、いつの時代も権威なのである。
国家の権威を捨て、世界の国々が混ざり合った時に、いよいよ地球人類も宇宙に進出するのである。

我々は権威を叩き壊し、固定観念を捨て、誰も混ぜなかったものを混ぜることで、何かを作り出せる。
では、何を混ぜればいいかというと、混ぜて欲しがっているものを混ぜれば良いのだ。
優れた音楽グループや、あるいは、優れた企業を見れば分かるが、人間はそれぞれ何か欠けているのだが、混ぜることで補完されるのである。
そして、そんな人達は、元々、混ざり合いたかったのだ。
だから、お互い、惹かれあってグループになったのである。
あなたも、混ぜると同時に混ざるのだ。
それは、傷を舐め合う関係や、寄りかかる関係ではなく、融合し、二人で一つ、三つで一つになることである。









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