決着をつけたい問題がある。
この世界に価値があるか、ないかだ。

法華経は、この世に良いことなど何もないので、さっさとエスケープ(脱出)しなさいという教えだ。
仏教自体、この世は苦であるということが大前提になっている。
キリスト教だって、この世は楽園の外であり、食べるためには額に汗して働かねばならず、子を産むには苦しまなければならないことを、注意すべきポイントとしている。
そして、この世は、ハルマゲドン(最終戦争)で、いつかは滅びる世界だ。
インドのヒンズー教では、この世は幻に過ぎないのだが、最後はやはり破壊される。

あるいは、世界が良いか悪いかは自分次第。なぜなら、心が世界を創っているから・・・というのも真理かもしれないが、かといって、世界の中にあって、本当に幸福な人に出会ったことはないし、多分、これからも見ないだろう。
それで、仏教の教えでは、世界が悪いのは、心が悪いからであり、幸福になる唯一の方法は、心を滅することであるということになる。
だが、心を滅した聖者とて、この世は酷いものだって言うのだ。

宗教や聖者の教えとは関係なく、この世は地獄であって、何も良いことはないと断じた時に、やはり私はスッキリしたし、おそらく、誰もがそうだと思うのだ。
いや、この世も人生も素晴らしいと言うなら、それは、負け惜しみか、一時的なものだろう。
この世は地獄だ。
しかし、かといって、この世を否定すると、どうもロクなことはないようなのだ。
たとえば、この世はどうしようもなく醜く穢れているとしても、金儲けは正々堂々とやらなければ、後で酷い目に遭うのである。

この世はなかなかのもので、人間が作為するからいけない、無為自然であれば良いというのが、老子や荘子の教えである。
しかし、二宮尊徳は、これに真っ向から異を唱える。
「作為はいけないって言うが、老子さん!人間が手を入れなければ、家はあばら家になり、畑は荒れ放題ではないのかね?」
なんというか、金次郎(二宮尊徳)さんはアダム気取りなのだ。
そのアダムの末裔であるイエスは、「昔、アダムが住んでいた神の国はまた来るので、神の教えを守って、再び神の国に入りましょう」と教える。
やっぱり、この世は地獄なのである。

で、結論はこうなのだ。
この世は地獄である。これは間違いがない。
ただし、この世も、何らかの意味で保持しなければならない。
法華経で、仏陀の投影である、あの大金持ちが、悪いものがウヨウヨいる大邸宅を持ち続けていたようにだ。
だが、あの大邸宅は手の施しようがなかったように、この世の地獄は救いようがない。
そこで意外なことなのだが、この世からエスケープするまでの間に使う光線銃を、皆に1つずつ渡されているのだ。
だが、人々は、この世の蜃気楼のような幻にすっかり騙され、この世が楽しいものだと思って、光線銃を手放したのだ。
それで私は、光線銃をいっぱい集めてしまったのである。

千本桜 夜ニ紛レ 君が歌い僕は踊る
此処は宴 鋼の檻 さあ光線銃を撃ちまくれ
~『千本桜』(作詞、作曲、編曲:黒うさP 歌:初音ミク)より~

しかし、皆、撃ちまくるべき光線銃がないのだ。
沢山の人を見たが、本当にみんな、持ってない。
「持ってる」と言われてた斎藤佑樹さんまで、「持ってるのは仲間だ」って言った時に、光線銃は捨ててしまった。
仲間は貴し。
されど、君子の交わりとは水のごとく淡いものなのだ。
水野南北の食の慎みは、当時最新型の、無限の弾丸を持つ連発銃で、今でも偉大な威力がある。
インドの達磨は、腕振り運動という、撃てば撃つほど馴染んでくる、最高の職人芸で造った銃を中国に持ち込み、これは、日本にも伝わった。
法然は、念仏という速射型の素晴らしい銃を起きている間、ずっと撃ち続けていた。
あくまで喩え話だが、表現が悪いので、納得しかねるかもしれない。
しかし、所詮、この世は地獄なのだ。
私は、微かな心の声の呪文という、初音ミクさんが22世紀から持ってきてくれたレーザーガンを手に入れ、欲しい人に分け与えている。
これの威力は君、大したものなのだ。
光線銃の種類は豊富にあるので、お好みのものを選べば良い。
私も、在庫を沢山持っている。私は光線銃コレクターだからね。
だが、光線銃は一時的な武器である。
大切なことは、この地獄からエスケープすることだ。
『千本桜』をよく聴いて考えるのも良いと思う。









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