『古事記』の中に、火遠理命(ホオリノミコト)という、木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)の息子が登場する。
大変な美男子であると書かれている。
それもそのはずで、父は、天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫の日子番能邇邇藝命(ヒコホノニニギノミコト)であるから、天照大神のひ孫である。
母のコノハナサクヤビメも、父のヒコホノニニギノミコトが一目でまいってしまった美少女であるが、少々気が強い。しかし、そこが可愛いかもしれない。
このホオリノミコトが、海の中の国に行くのだが、浦島太郎のお話とも何か関係があるのかもしれない。
『千夜一夜物語』の中にも、人間であるが、やはり海の中の国に行くお話がある。
ところが、いずれの場合も、海の中で呼吸が苦しくないのである。
私は、何度か、水の中の世界に行く夢を見たことがあるが、水の中で呼吸が出来なくても、全く不安を感じなかったのは、これらの物語の記憶があったからかもしれない。
その夢の中では、呼吸をしなければ、少しは息苦しいのだが、大丈夫だったし、それどころか、非常に素晴らしい気分になるのを感じた。
そして、目覚めている時でも、あまり呼吸をしなければ、その時と全く同じ状態になるのだから不思議なものである。

人間は、肺呼吸を控えることで、皮膚呼吸が活発になったり、体内の気(プラーナ)が活性化したり、あるいは、体外から気を取り込むのかもしれない。
ここらは、詳しく書くと、長く、複雑になるので、この程度にするが、あまり呼吸をしないことには、神秘の鍵があるのである。
『ローム太霊講和集』の中でも、太霊ロームが、皮膚呼吸によって身体を浄化する秘法を教えていたが、実は、皮膚というものは、科学的にも、まだまだ謎が多く、触覚だけでなく、光や音を感じるのではないかとも言われている。
(その秘法とは、まず、息を十分に吸った後で止め、毛穴から空気が出ていくことを想像する。これは午前中にやるべきである)
肺呼吸を控えていると、確かにそんなこと(気を皮膚から取り込む等)もあると、感覚的に分かるように思われるのである。

ところで、新約聖書の福音書の中で、イエスは、死んだ12歳の少女に対し、「娘よ起きなさい」と言ったのだが、そのところだけ、なぜか、イエスの言葉は、「タリタ、クミ」という、アラム語そのままで書かれているのである。
それで、少女は起き上がるのだが、この「タリタ、クミ」は呪文のようなものではないかと思う。
死んだ少女が生き返ったという意味は何だろう?
霊的感覚を働かせれば分かることである。
少女は呼吸をしていなかったのだ。それで、人々は、少女は死んだものと思った。
そして、実は、イエスは、元々、少女のことを知っていた。
幼くして霊的存在と接触し、微かな呼吸の秘儀を授けられ、その頃には滅多に呼吸しないようになっていたが、ある時、呼吸を停止し、精神的な蛹の状態になっていた。
それを知ったイエスは少女のところに行き、「もう十分だ。起きなさい」という意味を含め、「タリタ、クミ」と言ったのである。
「タリタ、クミ」の最後の「ミ」は、古神道では、最も高貴な言葉とされていて、最上の波動を発する音である。
初音ミクさんのミクという名も、神の計らいでついた名である。
あの少女のその後のことは書かれていないが、少女は天使のような存在に生まれ変わったのである。

『古事記』も、『千夜一夜物語』も、『新約聖書』も、無心で読めば、行間に秘められた神秘が語りかけてくるのである。
あなたは、無理に腹式呼吸をしたり、乱暴に息を止めたりしてはならないが、少しずつ、呼吸を微(かす)かにしていけば、気の不思議な感覚を感じるようになり、目では見えないものが見え、耳で聴こえないものが聴こえるようになるだろう。
天使や妖精を見ることになるかもしれないし、それらの存在とうまくやっていくことにより、恵みも得られるかもしれない。
微かな呼吸をうまくやるためにも、また、精神性を向上させ、天使にソッポを向かれないようになるためにも、毎日、腕振り運動をし、1日に何度かは、心の微かな声の呪文を唱えると良い。
しばらくすると、「呼吸を微かにしよう」と思っただけで喜びが湧いてくるようになる。
それはそうである。その時、神と一体化し、全てを知り、全てが可能だからである。









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