知恵を得て賢くなる方法は、既存の権威に逆らうことである。
アインシュタインは、学校の権威に徹底して逆らい、やがて、物理学の権威であるニュートン力学を覆した。
インターネットは、マスメディアという既存の権威に逆らい、真実を人々に公開する。
しかし、まだまだ・・・というか、これらもどこか、誰かのシナリオ通りという気がする。
アインシュタインも、インターネットを発展させた人々も、どこか、「やらされたと」いう印象があるのだ。
世の中は全てそうなのだ。
誰かがやったことは、実際は、誰か、あるいは、「何か」にやらされたのだ。
では、その根本を解き明かしてみよう。

旧約聖書を読む時、宗教の権威を無視し、まともに考えると、とても奇妙だ。
楽園に住んでいて、何不自由なく安楽な生活を送っていたアダムとイヴだったが、その平和な日々は終わる。
男は額に汗して働いて食べていかなければならず、女は産みの苦しみを味わうようになった。
なぜそうなったかというと、アダムとイヴが知恵の木の実を食べたからなのだが、そのことで2人を有罪にするのは気の毒だ。
だって、イヴはヘビにそそのかされたのだが、ヘビの誘いは巧妙で、イヴがヘビの誘惑に負けたのは好奇心のせいで、それを責められるだろうか?
アダムがイヴの誘いに乗って木の実を食べたのも、木の実を食べて賢くなったイヴが必死にアダムを誘惑したからで、アダムを責めるのも酷だ。
実際は、こうだったはずだ。
アダムとイヴが木の実を食べたのは、神様の元々の計画通りであり、神様とヘビは共謀していたか、あるいは、神様がヘビを利用したのだ。

さて、神様はアダムとイヴに、労働と産みの苦しみという罰を与えたが、労働は楽しい面もあるし、産みの苦しみは最大の喜びでもある。
やっぱりこれは罰なんかじゃあない。
では、神様の意図は何か?
確実なのは、神様はエデンの園で人間のプロトタイプ(試作品)を作っていたが、それがアダムとイヴとして完成したので、後は、自律的に増えていって欲しかったのだ。
そして、エデンの園のような楽園は、決して1つではなく、アダムとイヴのような男女のセットは、あちこちの楽園にいたのだ。
それが証拠に、アダムとイヴの孫かひ孫とかが、他の場所に行くと、彼らの一族とは別の人間達に出会っていることからも明らかだ。

神様が、そんなことをした理由は、3つ考えられる。
それは、
1つは、これが神様のゲームだったこと。
1つは、人間は神様の家畜で、人間が育てる精神体が神様の食料のようなものであること。
1つは、人間の頭では想像もできないこと。
であるが、どれも正しいように思える。
3つ目の、人間の考えが及びもつかないことであるが、これも、うっすらと分かるのは、人間が神様か、それに近いものになることを狙っているということだ。
3つ目をこう考えると、上の3つは、実は全部同じなのだ。
人間が神様になるゲームの途中で、神様のためのエネルギーのようなものを生成するのだ。

真実を見極めるためには、我々は神様にならなければならない。
その方法は、偶然か必然か分からないが、釈迦、老子、荘子、イエス、それに、空海や道元、ラマナ・マハルシといった、特別に優れた知恵を持った人達が生まれ、ヒントを与えてくれている。
しかし、その1つ1つを見れば極めて難しい。
だが、総合して考えれば、何のことはない。
心を無意識の中に広げて希薄にすれば良く、それは、古来、無になることと教えられてきた。
そのためには、腕振り運動や、心の微かな声の呪文を唱えれば良い。
あるいは、常日頃、あまり呼吸をしないようにすれば良いのである。
我々は、神様をモデルに作られているらしい。
それならば、神様と同等か、いくらか劣るのかは分からないが、創造の力を確実に持っている。
神様になるプロセスを上がる度に、創造の力は増し、欲しいものは何でも簡単に得られる。
ただしだ。
欲しいものが得られるからといって、欲望を大きくし過ぎたり、何でも出来る自分が偉いと思って傲慢になると、せっかく昇って来た神様への階段が崩れてしまうのだ。
まさにゲームである。
よって、真のゲームの達人は、淡々と修行しつつ、欲望を抑え、謙虚であることだ。
これで人生が分かったと思う。









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