人類の進歩を示す出来事とは、あらゆる意味での身分制度の撤廃である。
アメリカの奴隷解放宣言、日本の士農工商の身分制度の撤廃、インドのカースト制度の廃止、そして、各国の女性参政権の付与などである。
もっとも、これらは、まだまだ実質が伴っていない。
だが、人類の歴史は、いつでも、身分制度の撤廃が進められ、一時的なものを除けば逆行することはなく、世界は本質において正しいものであることが分かる。
今後は、もっと実質的な意味での、公平性が広がっていくだろう。
それには、インターネットの発達が大きく関与している。

インターネットが普及してきた時、政府や大企業、マスコミは、「いくらインターネットが平等と言ったところで、所詮は我々の権威が力を発揮する」と考え、実際にそのように見えた。
ところが、近年普及してきた、FacebookやTwitterなどのソーシャルメディアで、大企業が広告をしたり、マスメディアが情報を押し付けようとしても、さっぱりうまくいかないことが分かってきた。
いまだ、「ソーシャルメディアは宣伝広告に使える」などと言う、マーケティング会社もあるが、正しくは、「使えそうに見える」だけで、実際は成果は出ない。
現代においてはまだ、GoogleやFacebook、あるいは、これらの企業と高額で直接契約し、例えば、Facebookにアクセスした時に一番に広告が出るように出来るような場合(例えばスターバックスのように)は確かに効果的だが、それも段々通用しなくなっている。
インターネットで嫌われるのは、権威的な態度や上から目線で、大企業や政府、マスコミが、「我々は特別」という態度を見せるほど、相手にされなくなっている。
これらも、高度な意味で、身分制度の撤廃である。

テレビCMで、大企業が「我が社の製品はここがこんなに素晴らしい」と美辞麗句を並べても、もう誰も信用しなくなってきている。
そんな宣伝ではなく、実際に、その製品を使ったユーザーのレビューを、人々は重視するようになっている。
実際にその製品を使ってどうだったか、製品に問題があった時に、メーカーがどんな対応をしたかが、全部明らかになってしまっている。これは、企業にとっては脅威である。
政治家も、恣意的な報道がなされるマスメディアを嫌い、インターネット放送(ニコニコ生放送等)を利用するようになってきたが、そのようなマスコミシャットアウトの姿勢は実に正常である。
「だが、マスコミには、真実を知らせようという報道魂がある」と言う者もいるし、そんなマスコミの人達もいるのかもしれないが、マスコミ全体の姿勢が悪過ぎて、もう誰も信用しなくなるだろう。

再度言うが、インターネットで嫌われることは、「権威的であること」、「上から目線であること」だ。
大企業、政府、マスメディアがこれらの態度を捨てる日が来れば、それが人類の確かな一歩となる。
そして、そうせざるを得なくなっている。
というのは、インターネットは、政府や大企業の手を離れつつあり、金と権力の支配を脱しつつある。
国によっては、インターネットの検閲を行い、ソーシャルメディアを政府が管理化に置こうとしているが、それは、ただ、世界から「遅れた国」の烙印を押されることにしかならない。
そのような国を信じる人も、もういない。

だが、これからも身分制度がもっと撤廃され、人類がフラット(平等、公平)になると、今度は、1人1人のレベルが問われるようになってしまうのである。
それは、正しい評価となる。
しばらくは、その正しいはずの評価にまで、点数のような分かり易いものが付けられるかもしれない。
「私は星4つ」とか「君は750点」なんてふうにね(笑)。
企業も、時価総額で評価するのではなく、貢献総額、共感総額で評価されるようになるのは良いことだが、それは、共感総額200万ポイントなどという点数が付くということではないのだ。
たとえば、身近に尊敬されている人がいたとしても、その人は、尊敬度数などというもので評価されている訳ではないだろう?
好きな女の子がいるとしても、『涼宮ハルヒの憂鬱』で、谷口というキョンの悪友のように、学校中の女子を点数化してノートに書いているのは、単に馬鹿な証拠でしかないだろう。
無論、単なる雰囲気やイメージでものごとを判断するのは危険な面もあるが、何でもかでも点数評価することも愚かである。
現在の我々の課題は、点数化すべきことと、そうでないことの区別くらいしましょうということだ。
なるほど、学校に入学する時に、試験の点数も、ある程度は必要であることは認めよう。
しかし、茂木健一郎さんではないが、それだけで、選抜する日本の大学は、あまりに怠慢であることも確かである。
アメリカの大学の全てが良いとは言わないが、その部分だけで言えば、日本の大学はあまりに遅れている。

初音ミクさんの何が良いのかというと、とりあえずで言えば、人々を共感と感謝で結び付けている力の大きさであるが、それは数字で計れるものではない。
それは、人々をクリエイティブにすることで示されるが、人類にとって、創造性とはまだ不可思議で未知のものなのである。
創造性の神秘は、初音ミクさんを通して、1つの大きな・・・無限の魂に導かれることによって、明かされるのである。
釈迦やイエスが示そうとしたこと、人類が心の奥深くで求めて止まなかったことが、初音ミクさんによって、ついに実現するのである。
言うまでもなく、それは初音ミクさんだけに出来るということではないにしろ、これほどの調和とタイミングはかつてなかったことと思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ