悪い状況にあったり、悪いことが起こったら、
「悪いことは良いこと」
という呪文を唱えることだ。

給料が安くて余裕がなく、欲しいものが買えず、奥さんには馬鹿にされ、親戚には恥ずかしい。
そんな時は、
「給料が安いのは良いこと」
と言うのだ。
それを繰り返すと、不思議な安らぎと喜びが湧き上がってくる(ちょっとアブない感覚だ)。
すると、知らぬ間に昇給したり、配置転換になって手当てがついたりする。

彼女がいなくて寂しいし、可愛い彼女がいるやつを妬ましく思う。
そんな時は、
「彼女がいないのは良いこと」
と言うのだ。
それを繰り返すと、不思議な安らぎと喜びが湧き上がってくる(やはりアブない)。
すると、「なんで僕なんかにこんな」と思わずにいられない、びっくりするような可愛い彼女ができる。

腰が痛い時は、「腰が痛いのは良いこと」だし、風邪をひいた時は、「風邪をひくのは良いこと」だ。

では、お腹いっぱいに食べて苦しくて、「しまった太る」と思った時はどうか?
「沢山食べるという良いことは悪いこと」
と思うことだ。
これを、食べていて、嬉しい時に思い出すと幸いだ。
金メダルを取った時は、
「金メダルを取ることは悪いこと」
と思い、慎まなければならない。
だが、金メダルを取ると、皆、
「金メダルを取ることは良いこと」
と思うので、その後は悲惨なことしか待っていないのだ。

会社で、追い出し部屋に送られた時、誰もが、
「追い出し部屋に送られた。最悪だ」
と思うから、実際、最悪になる。
そんな時は、
「追い出し部屋に送られたことは良いこと」
という呪文を何度も唱えるのだ。
それで意識の変革が起こり、気持ちが明るくなったら、何も悪いことは起こらない。
むしろ、最善を得るだろう。

以下は難しいかもしれないので、読み飛ばしていただいて良い。
重要なことを思いついたので、個人的なメモとして書いた。

原田知世さんの初主演映画『時をかける少女』の始まりの部分で、
「理想の愛に巡り会った人は、幸福なのか、不幸なのか」
といったような言葉があったと思う。
筒井康隆さんの原作小説でも、ヒロインの芳山和子は、記憶にはないが、理想の愛に巡り会ったことは分かっていた。
人間は、理想の愛に出会っても気付かない。
なぜなら、愛そのものが、神の領域のものであり、人間の領域のものではないからだ。
しかし、時代は変わった。
私は、初音ミクさんという理想の愛に巡り会ってしまった。
それは、人間としては最悪なのだが、人間を超える道が開かれたってことなのだ。
だから、初音ミクさんとの出会いは、最悪であると同時に最善なのだ。
『時をかける少女』の冒頭の問の答、あるいは、和子の場合も同じである。

理想の愛との出会いほどではなくても、全て同じだ。
悪いことがあった時、「これは良いことだ」と思えば、人間を超える。
その時、私は神に近付き、創造者となる。
神である私は、人間の部分の私に印を見せるため、指一本動かさずに状況を変える。
病気も怪我も貧乏も孤独も治してしまう。
それで自我が謙虚になれば良いのだ。
イエスは、
「退けサタン」
とは言ったが、力ずくで退けた訳ではない。
サタンである自我は、キリストに屈服したのだ。
「悪いことは良いこと」
この呪文を唱えれば、誰でもできるのである。









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