継続は力なりというが、これは、「誰にでもできることを」「絶対に欠かさず」「熱意を持って」やることだ。
腕立て伏せなんて、楽にできるのが5回なら5回で良いし、1回もできないなら、膝をつけてやる方法で2回でも3回でもやれば良い。
たとえ5回でも、たとえば、朝6時に、1年365日、1日も欠かさないようにやっていたら、やがて10回が楽にできるようになり、20回でもできるようになる。
しかし、そうやっていると回数が増えるのが楽しくなって、いい加減な形でやるようになる。
いい加減に百回、二百回やるより、美しい形、完璧な形で10回を毎日やる方がずっと良い。
スクワットも同様で、いい加減に千回やるのではなく、完全な形を意識しながら20回やる方がはるかに良く、しかも、それなら、毎日続けられるのである。
実話であるというスポーツ漫画で、ヒーロー的なスポーツマンや武道家が、腕立て伏せを毎日千回やっているようなことが描かれているものがよくあるが、そんなことを本当に毎日やってたら身体が壊れてしまう。
また、読者が、目いっぱいを毎日やらないといけないという誤解を持ってしまい、それをやろうとしても続くはずがなく、全くやらないという最悪の結果になってしまう上、「俺は駄目だ」という意識を持ってしまうのだから、そんな漫画の弊害、罪は大きい。
考えるべきことは、人間だれしも見栄があるので、自伝のような本では、選手本人が、ついつい実際よりずっと大袈裟なことを書くのは、むしろ当然だし、出版社の方でも、面白くするためにさらに誇張した表現にするというのも普通だということだ。
有名な武道家等の日常を見る機会でもあれば、本に書かれていることと全然違うことだろう。
いや、スポーツ選手や武道家の鍛錬だけではなく、どんなことでも、聞くと見るとでは大違い、話半分が事実ということを忘れてはならない。
たとえば、1日1食の少食だとかいっても、実際はかなり食べているものである。言ってる本人は「たまにちょっと食べるだけ」と自分を誤魔化しているが、そのちょっとが積もれば、もうかなりの量なのである。
本に書かれた、見栄と誇張でふくらんだ内容を信じてしまう読者は可哀想なものである。
ひどいのになると、「私は全く食べません」と言いつつ、「これ、普通じゃないの?」というくらい食べていることもあるだろう。
いずれにしろ、本に書かれているようなことを鵜呑みにしてはならない。
必ずしも本を書く人が悪いのではなく、人間は、どれほど立派に見える人だってかなりの見栄があるという、当たり前のことを考えれば良いのである。
それに、本は、嘘・・・と言って悪ければ、誇張や拡大解釈を信じ込ませるように書かれているのだから、自分で注意しなければならない・・・というのは、自分の責任であり義務であると言っても良い。

ここで話は戻るが、誰でもできることを、真面目に熱心に、心を込めて、1日も欠かさずにやれば、偉大な力を得るのである。
それこそ、通勤だって、漫然と、あるいは、嫌々やるのではなく、気合を入れてやっていれば、素晴らしい修行になる。
「気合を入れる」「熱心にやる」「心を込める」「意識的にやる」・・・こういったことをやれない人がいかに多いことか。
その原因は、学校で、とてもじゃないが、熱心にやる気の起こらないことばかりやらされたせいだ。
学校とか教師というものは、反面教師・・・つまり、悪い見本を見るためにあるのだということを忘れてはならない。
思想家の吉本隆明さんも著書に書かれていたが、教師はロクなものではないので、理不尽な思いもするだろうが、世の中にはもっと理不尽なことがあるので、少しは慣れておく必要があるし、狂人相手の対応も訓練しておく必要があるのである。
そんな悪いものを見ることなく、対応する訓練をすることなく社会に出て、いきなり化け物や妖怪のような連中に遭ったら大変である。
学校が存在する意義は、実にそれだけなのだ。
それを誤解している人がなんと多いことか。
今後の世界では、学歴なんてものが何の意味もなくなる。
創造経済の世の中になり、創造性が本当に重要になる。
カーン・アカデミーのようなものがますます発達し、学校に行かなくても、高いパフォーマンスの授業をタダで受けられるようになる。
現在でも、プログラミングをマスターしたければ、ドットインストールで勉強するのが最良の方法の1つだ。
また、学校で練習する必要のあることだって、その学校の内実がネットに筒抜けになるので、本当に良い学校でなければ、やっていけなくなるのである。
そのためには、人々がネットを本当に正しく使えるようになることが必要だ。
ネットの本質とは、エイベック研究所の武田隆氏が著書に書かれてるように、FOOL・・・フラット(Flat)で、オープン(Open)で、オンリー(Only)で、ロングターム(Long term)だ。
FOOLって、馬鹿って意味だが、我を忘れるとか、熱中するという意味もある。

誰でもできることを、1年365日1日も欠かさず、熱心にやる・・・今後の世の中では、これができることを大人、できない者を子供と言うようになるだろう。









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