もし、それなりの地位にある人間が、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神・・・つまり、旧約聖書に書かれた神(ひいては、コーランや新約聖書の神も同じだが)が、低レベルな神だと言ったら、タダではすまないだろう。
下手したら、その者が殺されるどころか、戦争に発展する可能性すらある。
宗教とは、それほど恐ろしいものだ。
旧約聖書に書かれた神が低レベルだと述べた神道家が実際にいたのだが、この、「下手したら殺される」「戦争になる」「恐ろしい」という事実を見ても、この神道家が言うことが正しいということにならないだろうか?
なぜ、旧約聖書等の神が低レベルかというと、次のような理由だ。
それらの神は、自分は誰それ(たとえばアブラハム)の神とか、どの一族の神と名乗るなど、世界で唯一絶対の神とは思えず、一部の氏族、民族に肩入れしていること。
また、それら神は、自分の言うことに従う人々にはよくしてやるが、そうでない人々を厳しくというか、残虐に扱うこと。
そして、それら神は、しきたりを事細かに決めること。どういうことかというと、旧約聖書で、神が自分を祭るための建物、道具、衣装、儀式を規定した部分は、物凄い長文で、読んでいてクラクラするほどだ。
これらの事実を冷静に考えれば、確かに、その神道家の言う通りとしか思えないのである。
私はその説明で目覚め、穏かな気分になったのである。聖書もコーランも、どの聖典も恐れる必要がないと分かったからだ。
だが、信仰者は、自分の崇める神のレベルが最上でないことは絶対に認めない。ましてや、レベルが低いなどとは、地球が爆発しても認めないかもしれない。
儀式などを事細かに神が決めることを有り難いことと言い、反論は絶対に許さない。
やはり、宗教は恐ろしい。
インドネシアという国は2億7千万もの人口がいて、現在はまだ貧困な人も多いのだが、この10年ほどの経済成長振りは凄い。
このインドネシアという国は、多くがイスラム教徒であるが、信教の自由を完全に認めており、イスラム教を強制しないし、実際、キリスト教徒やヒンズー教徒、仏教徒も沢山いる。
ところが、なんと、無宗教は法律で認めておらず、無宗教だと逮捕されるのである。
とはいえ、特定の宗教を押し付けるよりは良いことだろう。
私が、インドネシアの発展を確信するのは、昨年、初音ミクさんのワールドツアーコンサートであるMIKU EXPOが、インドネシアのジャカルタで行われたのだが、このMIKU EXPOは、世界中の都市の中で、要望が多かった所で開催したのであり、ミクさん招聘の希望数が最も多かったのがジャカルタだったことだ。次いで、ニューヨークやロサンゼルスだった。
どういうことかというと、初音ミクさんというのは、従来型経済の存在ではなく、創造経済の中で生まれたものなのだ。
すこしややこしいが、経済が文化を創ったのが従来の世界で、文化が経済を作るのが、未来型の世界だ。
もっと簡単にいえば、限りある資源を人間の無限の欲望で消費するのが従来型経済で、無限の創造力を消費するのが未来型経済だ。
これが、経済学的にも、創造経済の原理となる。
そして、創造経済というものは、従来型経済が豊かでなければ生まれないものなのだ。
言うまでもなく、残念ながら、貧困な地域では初音ミクさんは必要とされない。
日本は、ニートでも初音ミクさんの熱烈なファンでいられるが、世界最高の経済大国であるアメリカや中国ですら、それはちょっと考えられないと思う。
アメリカ、中国、インドネシアにも、沢山のミクさんのファンがいるが、それは、ある程度豊かな層に限られるはずだ。
案外、日本というのは、実質で最も豊かなのではないかと思う。
それは、完全な信仰の自由が認められ、また、インドネシアと違い、無宗教でも何の問題もないことに関係するのかもしれない。
アメリカでは大統領はキリスト教徒でなければならないが、日本の首相は、何教でも、無宗教でも差し支えない。
ところで、私は、どの宗教の信者でもない。
だが、どの宗教も否定せず、それぞれの良い部分を、主に聖典から学ぼうという気はあり、どの宗教も同等に見なしてる。
そして、最初の話(どの宗教の神も完全とは言えない)と関係あるが、どの宗教も、最高レベルの教えではないのだと思っている。
あえて私の宗教を挙げれば、初音ミク教である。
教義は、単に、「自我のない存在の歌声を愛する」だけであり、恐ろしいところなんて何もない。
人間の歌手を否定することもないし、ミクさんを貶されても、別になんとも思わない。
どんな人の考え方も認めるのである。
言うまでも無く、本当に初音ミクさんが宗教であるはずがないが、もし、インドネシアのように、何か1つ宗教を信仰しないといけないというなら、私は初音ミク教にしますと言っているだけである。
(ただし、インドネシアの法律では、公認された宗教から選ぶ必要があるのだと思う)
私は、仏教も、キリスト教も、ヒンズー教も、イスラム教も、道教も、全て良いと思うが、どれも、それぞれ欠けたところがあり、また、どれも教えが古いので、少なくとも、伝承された教えに関していえば、現代の世界では半分くらいはそぐわないのではないかと思う。
マルクス主義というのも、ほとんど宗教的なところがあるのだが、良い教えだった時代もあると思う。
それでいえば、今は、豊かな国においては、創造経済の原理が、その役割に相応しい。
しかし、初音ミクさんというには「無我の美」で、創造経済の申し子で、あらゆるものを含むのである。
世界中でミクさんの歌が聴けるようになった時、世界は豊かなのである。
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下手したら、その者が殺されるどころか、戦争に発展する可能性すらある。
宗教とは、それほど恐ろしいものだ。
旧約聖書に書かれた神が低レベルだと述べた神道家が実際にいたのだが、この、「下手したら殺される」「戦争になる」「恐ろしい」という事実を見ても、この神道家が言うことが正しいということにならないだろうか?
なぜ、旧約聖書等の神が低レベルかというと、次のような理由だ。
それらの神は、自分は誰それ(たとえばアブラハム)の神とか、どの一族の神と名乗るなど、世界で唯一絶対の神とは思えず、一部の氏族、民族に肩入れしていること。
また、それら神は、自分の言うことに従う人々にはよくしてやるが、そうでない人々を厳しくというか、残虐に扱うこと。
そして、それら神は、しきたりを事細かに決めること。どういうことかというと、旧約聖書で、神が自分を祭るための建物、道具、衣装、儀式を規定した部分は、物凄い長文で、読んでいてクラクラするほどだ。
これらの事実を冷静に考えれば、確かに、その神道家の言う通りとしか思えないのである。
私はその説明で目覚め、穏かな気分になったのである。聖書もコーランも、どの聖典も恐れる必要がないと分かったからだ。
だが、信仰者は、自分の崇める神のレベルが最上でないことは絶対に認めない。ましてや、レベルが低いなどとは、地球が爆発しても認めないかもしれない。
儀式などを事細かに神が決めることを有り難いことと言い、反論は絶対に許さない。
やはり、宗教は恐ろしい。
インドネシアという国は2億7千万もの人口がいて、現在はまだ貧困な人も多いのだが、この10年ほどの経済成長振りは凄い。
このインドネシアという国は、多くがイスラム教徒であるが、信教の自由を完全に認めており、イスラム教を強制しないし、実際、キリスト教徒やヒンズー教徒、仏教徒も沢山いる。
ところが、なんと、無宗教は法律で認めておらず、無宗教だと逮捕されるのである。
とはいえ、特定の宗教を押し付けるよりは良いことだろう。
私が、インドネシアの発展を確信するのは、昨年、初音ミクさんのワールドツアーコンサートであるMIKU EXPOが、インドネシアのジャカルタで行われたのだが、このMIKU EXPOは、世界中の都市の中で、要望が多かった所で開催したのであり、ミクさん招聘の希望数が最も多かったのがジャカルタだったことだ。次いで、ニューヨークやロサンゼルスだった。
どういうことかというと、初音ミクさんというのは、従来型経済の存在ではなく、創造経済の中で生まれたものなのだ。
すこしややこしいが、経済が文化を創ったのが従来の世界で、文化が経済を作るのが、未来型の世界だ。
もっと簡単にいえば、限りある資源を人間の無限の欲望で消費するのが従来型経済で、無限の創造力を消費するのが未来型経済だ。
これが、経済学的にも、創造経済の原理となる。
そして、創造経済というものは、従来型経済が豊かでなければ生まれないものなのだ。
言うまでもなく、残念ながら、貧困な地域では初音ミクさんは必要とされない。
日本は、ニートでも初音ミクさんの熱烈なファンでいられるが、世界最高の経済大国であるアメリカや中国ですら、それはちょっと考えられないと思う。
アメリカ、中国、インドネシアにも、沢山のミクさんのファンがいるが、それは、ある程度豊かな層に限られるはずだ。
案外、日本というのは、実質で最も豊かなのではないかと思う。
それは、完全な信仰の自由が認められ、また、インドネシアと違い、無宗教でも何の問題もないことに関係するのかもしれない。
アメリカでは大統領はキリスト教徒でなければならないが、日本の首相は、何教でも、無宗教でも差し支えない。
ところで、私は、どの宗教の信者でもない。
だが、どの宗教も否定せず、それぞれの良い部分を、主に聖典から学ぼうという気はあり、どの宗教も同等に見なしてる。
そして、最初の話(どの宗教の神も完全とは言えない)と関係あるが、どの宗教も、最高レベルの教えではないのだと思っている。
あえて私の宗教を挙げれば、初音ミク教である。
教義は、単に、「自我のない存在の歌声を愛する」だけであり、恐ろしいところなんて何もない。
人間の歌手を否定することもないし、ミクさんを貶されても、別になんとも思わない。
どんな人の考え方も認めるのである。
言うまでも無く、本当に初音ミクさんが宗教であるはずがないが、もし、インドネシアのように、何か1つ宗教を信仰しないといけないというなら、私は初音ミク教にしますと言っているだけである。
(ただし、インドネシアの法律では、公認された宗教から選ぶ必要があるのだと思う)
私は、仏教も、キリスト教も、ヒンズー教も、イスラム教も、道教も、全て良いと思うが、どれも、それぞれ欠けたところがあり、また、どれも教えが古いので、少なくとも、伝承された教えに関していえば、現代の世界では半分くらいはそぐわないのではないかと思う。
マルクス主義というのも、ほとんど宗教的なところがあるのだが、良い教えだった時代もあると思う。
それでいえば、今は、豊かな国においては、創造経済の原理が、その役割に相応しい。
しかし、初音ミクさんというには「無我の美」で、創造経済の申し子で、あらゆるものを含むのである。
世界中でミクさんの歌が聴けるようになった時、世界は豊かなのである。
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