古神道において、最も神聖な言葉は「ミ」であるようだ。
それで、私は納得したことがある。
それは、『古事記』で、最初に現れた神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)であるが、私はこれらの名前を覚えられなかった・・・というよりは、思い出し難かった。
それは、たとえば、これらの神の名前を「ミ」の音の後で切り、「ミ」をあまり重要視せずに覚えていたからであると思う。
しかし、これらの神の名前の中心が「ミ」であると想い、そこにアクセントを置くと、これらの名前がすっと入ってくる。
尚、神産巣日神をカムムスビノカミと表記することも多いが、正しくは、カミムスビノカミ、あるいは、カムミムスビノカミである。
真言、呪文といった称え言葉では、アの母音で始まるものが良い作用があり、これらの神の名も、この原理に適い、真言として強力なものであると思うが、その中に最も神聖な「ミ」が含まれ、ますます良いものであると思う。
また、阿弥陀仏、アミターバ(阿弥陀仏の原語)、南無阿弥陀仏も、アの母音で始まり、ミの音を持つ優れた真言である。
旧約聖書の神は、ヘブライ語でヤーウェで、ヤー、ヤでも神の意味になる。
やはり母音アで始まるが、ヤーウェというのは、あまりに畏れ多いので、みだりに口にしてはならないとされている(心で想うのは良いのだろうと思う)。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』で、著者のベアード.T.スポールディングは、最も力ある言葉は神であると述べているが、原書を調べたら、この神は英語のGODであった。
これは母音のアで始まらないが、英語圏の人々の無意識の中にあるGODという象徴に強い力があるのだろう(別の意味があるのかもしれないが)。
日本語の神という言葉は、比較的新しい言い方であるらしいが、何とも良い言葉である。
アの母音で始まり、神性なミで終わるのだから。
スポールディングが言った、「神という言葉の力」に関しては、まさに、日本語の神が最も適していると思えるから面白いものである。
ついでだから言っておくと初音ミクさんのミクが神聖な名前であることも、これで示せたことになる。
このようにしろということではなく、あくまで参考であるが、真言として、次のような称え方が考えられる。
口で言う時は、「アジマリカン」が良いと思う。
この言葉1つで、大祓詞より強力であるとすら言う優れた神道家もいる。
この言葉は、小さな控え目な声で(それが古来よりの日本の善い流儀、伝統である)、ただし、一言一言、丁寧に正確に称える。
ただ、心で称えることももちろん良いと思う。
また、心の中では「神」と称える。
インドの聖者ラマナ・マハルシは、最も優れたマントラは「私」であると言ったが、それは、サンスクリット語の「アハン」を意味するのだと思う。
アハンは、母音のアで始まり、ンで終わり、また、サンスクリットのアルファベットの最初と最後の言葉であることにも意味がある。
マハルシが使ったタミル語では、私は「ナン」であり、こちらも良い言葉である。
しかし、日本人が真言として使う場合は「私」で良いと思う。
インドで最も聖なる言葉は「アウム(一般にオーム)」であり、発音すれば、「アウン」で、仏教の真言である「阿吽(あうん)」と同じである。これも、極めて力ある言葉である。
これは、口で称えても、心で称えても良いと思う。
もちろん、大切なことは心正しくあることであるが、弱い人間は、言葉の神秘な作用をもっと活用すれば良いと思う。
しかし、現代的な考え方では、こういったことは笑止(ばかばかしいこと)であり、それをしようとしない。
だが、選ぶのは各自である。
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それで、私は納得したことがある。
それは、『古事記』で、最初に現れた神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)であるが、私はこれらの名前を覚えられなかった・・・というよりは、思い出し難かった。
それは、たとえば、これらの神の名前を「ミ」の音の後で切り、「ミ」をあまり重要視せずに覚えていたからであると思う。
しかし、これらの神の名前の中心が「ミ」であると想い、そこにアクセントを置くと、これらの名前がすっと入ってくる。
尚、神産巣日神をカムムスビノカミと表記することも多いが、正しくは、カミムスビノカミ、あるいは、カムミムスビノカミである。
真言、呪文といった称え言葉では、アの母音で始まるものが良い作用があり、これらの神の名も、この原理に適い、真言として強力なものであると思うが、その中に最も神聖な「ミ」が含まれ、ますます良いものであると思う。
また、阿弥陀仏、アミターバ(阿弥陀仏の原語)、南無阿弥陀仏も、アの母音で始まり、ミの音を持つ優れた真言である。
旧約聖書の神は、ヘブライ語でヤーウェで、ヤー、ヤでも神の意味になる。
やはり母音アで始まるが、ヤーウェというのは、あまりに畏れ多いので、みだりに口にしてはならないとされている(心で想うのは良いのだろうと思う)。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』で、著者のベアード.T.スポールディングは、最も力ある言葉は神であると述べているが、原書を調べたら、この神は英語のGODであった。
これは母音のアで始まらないが、英語圏の人々の無意識の中にあるGODという象徴に強い力があるのだろう(別の意味があるのかもしれないが)。
日本語の神という言葉は、比較的新しい言い方であるらしいが、何とも良い言葉である。
アの母音で始まり、神性なミで終わるのだから。
スポールディングが言った、「神という言葉の力」に関しては、まさに、日本語の神が最も適していると思えるから面白いものである。
ついでだから言っておくと初音ミクさんのミクが神聖な名前であることも、これで示せたことになる。
このようにしろということではなく、あくまで参考であるが、真言として、次のような称え方が考えられる。
口で言う時は、「アジマリカン」が良いと思う。
この言葉1つで、大祓詞より強力であるとすら言う優れた神道家もいる。
この言葉は、小さな控え目な声で(それが古来よりの日本の善い流儀、伝統である)、ただし、一言一言、丁寧に正確に称える。
ただ、心で称えることももちろん良いと思う。
また、心の中では「神」と称える。
インドの聖者ラマナ・マハルシは、最も優れたマントラは「私」であると言ったが、それは、サンスクリット語の「アハン」を意味するのだと思う。
アハンは、母音のアで始まり、ンで終わり、また、サンスクリットのアルファベットの最初と最後の言葉であることにも意味がある。
マハルシが使ったタミル語では、私は「ナン」であり、こちらも良い言葉である。
しかし、日本人が真言として使う場合は「私」で良いと思う。
インドで最も聖なる言葉は「アウム(一般にオーム)」であり、発音すれば、「アウン」で、仏教の真言である「阿吽(あうん)」と同じである。これも、極めて力ある言葉である。
これは、口で称えても、心で称えても良いと思う。
もちろん、大切なことは心正しくあることであるが、弱い人間は、言葉の神秘な作用をもっと活用すれば良いと思う。
しかし、現代的な考え方では、こういったことは笑止(ばかばかしいこと)であり、それをしようとしない。
だが、選ぶのは各自である。
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