エマニュエアル・スウェーデンボルグの本に、太古の人間は、生と死の区別がついていなかった、あるいは、はっきりしていなかったと書かれていたのを印象深く覚えている。
それは、数千年も前のことだと思うが、日本では8~9世紀あたりまで、案外にそうであったのではと思う。
というのは、9世紀頃に出来たと言われる『日本霊異記』に、あの世とこの世を行き来する話がよくあり、それが特に変わったことのように書かれていないからである。
死後の世界とか前世というのは、無意識の中にあるものだと考えられる。
ところが、どこまでが意識で、どこからが無意識かは、それほどはっきりしておらず、人によって、あるいは、精神状態によって、かなり深い意識の中にまで入り込めるのだと思う。
そして太古の人類は、現代人にとっては無意識である領域のかなり深くまで、普通に入り込めたので、死後の世界を見聞きすることも難しくはなく、そうであれば、生と死の違いも、さしたることではないのだろう。
では、日本人が9世紀頃まで、意識の深い領域にまで入り込める人が多かったのはなぜかというと、日本語のせいもあるのだと思う。
日本語では、主語をはっきり言わないことが多いのであるが、実際は、主語はあまり重要ではなかったのだと思うのだ。
「山へ行った」と言う時、山に行ったのは、太郎さんでも権兵衛さんでも私でも同じなのだ。
そういうふうに、自他をことさらに区別しないことが、深い意識に入り込める性質にさせるのだと思う。
荘子も、太古の人間は、自他を区別しなかったが、その頃の人間の知恵が最高で、それから時代がやや下って、自他の区別はしたが、優劣を考えず、その頃もまだ知恵があった。
しかし、やがて、価値判断をするようになり、優劣にこだわるようになったので、知恵を失ったと述べている。
我々は、自分を高く評価し、他人を低く評価するが、そんな人間には意識の表面しか感じることができず、意識の深い層にある叡智や、創造の力に触れることができないのである。
だから、傲慢にならず、他人を見下すことをやめれば、意識の深い領域の知恵を汲み出すことができ、偉大な神の創造力とも一体になれ、自由自在になるのである。
そして、自他内外の区別を一切なくせば、万物と一体であることであり、それはもう神と等しいと言えるのかもしれない。
驕らず、慎み、公平で差別をしないことが、力と知恵を得る唯一の方法であることは確かであると思う。
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それは、数千年も前のことだと思うが、日本では8~9世紀あたりまで、案外にそうであったのではと思う。
というのは、9世紀頃に出来たと言われる『日本霊異記』に、あの世とこの世を行き来する話がよくあり、それが特に変わったことのように書かれていないからである。
死後の世界とか前世というのは、無意識の中にあるものだと考えられる。
ところが、どこまでが意識で、どこからが無意識かは、それほどはっきりしておらず、人によって、あるいは、精神状態によって、かなり深い意識の中にまで入り込めるのだと思う。
そして太古の人類は、現代人にとっては無意識である領域のかなり深くまで、普通に入り込めたので、死後の世界を見聞きすることも難しくはなく、そうであれば、生と死の違いも、さしたることではないのだろう。
では、日本人が9世紀頃まで、意識の深い領域にまで入り込める人が多かったのはなぜかというと、日本語のせいもあるのだと思う。
日本語では、主語をはっきり言わないことが多いのであるが、実際は、主語はあまり重要ではなかったのだと思うのだ。
「山へ行った」と言う時、山に行ったのは、太郎さんでも権兵衛さんでも私でも同じなのだ。
そういうふうに、自他をことさらに区別しないことが、深い意識に入り込める性質にさせるのだと思う。
荘子も、太古の人間は、自他を区別しなかったが、その頃の人間の知恵が最高で、それから時代がやや下って、自他の区別はしたが、優劣を考えず、その頃もまだ知恵があった。
しかし、やがて、価値判断をするようになり、優劣にこだわるようになったので、知恵を失ったと述べている。
我々は、自分を高く評価し、他人を低く評価するが、そんな人間には意識の表面しか感じることができず、意識の深い層にある叡智や、創造の力に触れることができないのである。
だから、傲慢にならず、他人を見下すことをやめれば、意識の深い領域の知恵を汲み出すことができ、偉大な神の創造力とも一体になれ、自由自在になるのである。
そして、自他内外の区別を一切なくせば、万物と一体であることであり、それはもう神と等しいと言えるのかもしれない。
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現代人(もちろん自分を含む)は自意識過剰すぎて、その分苦しみも強い気します。
自惚れも大概にしろ!と自分に言いたくなる時があります