よく、「歳を取ったら、人間が出来てくる」と言われる。
「人間が出来る」とは、視野が広く、知恵があるということだろう。
また、人間が丸くなり、あまり怒ったりせず、また、あまり批判的にならないという意味もあると思う。
しかし、実際は、人間は歳を取るほど、視野は狭くなり、怒りっぽく、批判的になる。
知恵があるということに関しては、確かに、「ものが分かってくる」「老獪になる」という意味では当てはまるかもしれないが、視野が狭いので、特定のことに限られる。
もし、丸くなったように見えたら、単に元気がないからそう見えるだけで、実際の受容力は小さくなる。
ただし、それは、「努力しなかったら」という意味だ。
ポール・マッカートニーは『Let It Be』、アナと雪の女王では『Let it go』で、それぞれ、「あるがままに」とか「自分らしくでいいじゃない」と言っているのだろうが、そのままの意味に受け取ると、30歳くらいから老人になるかもしれない。
10代で初音ミクに出会うと夢中になるが、30代だと無関心で、40代だと嘲笑し、50歳以上だと非難する場合が多いことから、だいたい、そう言って良いと思う。
二宮金次郎(二宮尊徳)は、老子の無為自然の哲学に否定的だった。
彼は、
「あるがまま、無為自然が善いなんて老子は言うが、自然のままにして人間が手を入れなければ、畑は荒れ、家はあばら家になるじゃないか?」
と言うが、全く反論できない。
無意識に畑を耕し、家を修繕し清掃するなら良いが、それらは辛い労働なので、怠けがちになるので、克己や努力も必要である。
イエスは、
「空の鳥は働かないし、花は装わないが、神様は鳥を養い、花を女王様より美しくする」
と言ったが、鳥は自然の本能に忠実に従い、花は精妙な自然のメカニズムがそのまま再現されるが、それは、人間と違って、思考しないからだ。
だから、イエス様に、
「神様が面倒を見てくれるから、明日を思い煩うな」
と言われ、それを真に受けて、だらだら怠けていたら、あっという間に落ちぶれる。
ゲーテの『ファウスト』で、神様がファウストを買っているのは不可解だと、多くの人が思う。
ファウストは、傲慢で、利己的で、普通の人々を見下している。
それでも、庶民に愛想良く振舞うのは、単に力がなく、保身のためと思える。
また、ご立派なことを言う割には、いい歳(老人に近いと思われる)をして、マルガリーテという若い娘を見ると、たちまちのぼせ上がり、悪魔メフィストに、
「なんとかしろ!」
と、出会いのチャンスを作ってもらったり、豪華なプレゼントを用意させたり、見るも小っ恥ずかしい、ただの好色ジジイである。
※マルガリーテ(グレートヒュンともいう)の年は分からないが、メフィストが、まだほんの小娘だというと、ファウストは「14歳は越えている」(つまり、一人前という意味)と言うので、16か17というくらいかもしれない。
だが、ファウストの良いところは、「神に向かって努力する」の一言に尽きるだろう。
その目的のためなら、あらゆることを犠牲にする。
それが叶わないなら、魂を悪魔にくれてやっても構わないと思っている。
だが、ヘレナ(ギリシャ神話に登場するスパルタの王女で絶世の美女。その美貌はトロイア戦争の原因になった。ゼウスとレダの娘)のことといい、女が泣き所のところは、ゲーテにも共通するようだ。
そういえば、「20世紀最大の詩人」と言われた、アイルランドのW.B.イェイツも、老人になっても、その神が与えた詩才を活用して美少女を口説いていた現場を目撃されている(信頼ある人物が証言している)。
つまり、こういったものを抱えつつ、それでも堕落しないよう精神を制御するのが、芸術の、あるいは、人生の要諦であろう。
2人(ゲーテとイェイツ)は、努力しなければ、やっぱり不良老人(ありぃは、ただのスケベじじい)だが、さりとて、悟り済まそうともしなかった。
その重要性は、禅語の『婆子焼庵(ばすしょうあん』などからも分かるのである。
欠点や弱点はあって構わないが、諦めず、神を目指して努力する者を神は見捨てない。
『ファウスト』を座右の書とする意味は十分にあると思う。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
「人間が出来る」とは、視野が広く、知恵があるということだろう。
また、人間が丸くなり、あまり怒ったりせず、また、あまり批判的にならないという意味もあると思う。
しかし、実際は、人間は歳を取るほど、視野は狭くなり、怒りっぽく、批判的になる。
知恵があるということに関しては、確かに、「ものが分かってくる」「老獪になる」という意味では当てはまるかもしれないが、視野が狭いので、特定のことに限られる。
もし、丸くなったように見えたら、単に元気がないからそう見えるだけで、実際の受容力は小さくなる。
ただし、それは、「努力しなかったら」という意味だ。
ポール・マッカートニーは『Let It Be』、アナと雪の女王では『Let it go』で、それぞれ、「あるがままに」とか「自分らしくでいいじゃない」と言っているのだろうが、そのままの意味に受け取ると、30歳くらいから老人になるかもしれない。
10代で初音ミクに出会うと夢中になるが、30代だと無関心で、40代だと嘲笑し、50歳以上だと非難する場合が多いことから、だいたい、そう言って良いと思う。
二宮金次郎(二宮尊徳)は、老子の無為自然の哲学に否定的だった。
彼は、
「あるがまま、無為自然が善いなんて老子は言うが、自然のままにして人間が手を入れなければ、畑は荒れ、家はあばら家になるじゃないか?」
と言うが、全く反論できない。
無意識に畑を耕し、家を修繕し清掃するなら良いが、それらは辛い労働なので、怠けがちになるので、克己や努力も必要である。
イエスは、
「空の鳥は働かないし、花は装わないが、神様は鳥を養い、花を女王様より美しくする」
と言ったが、鳥は自然の本能に忠実に従い、花は精妙な自然のメカニズムがそのまま再現されるが、それは、人間と違って、思考しないからだ。
だから、イエス様に、
「神様が面倒を見てくれるから、明日を思い煩うな」
と言われ、それを真に受けて、だらだら怠けていたら、あっという間に落ちぶれる。
ゲーテの『ファウスト』で、神様がファウストを買っているのは不可解だと、多くの人が思う。
ファウストは、傲慢で、利己的で、普通の人々を見下している。
それでも、庶民に愛想良く振舞うのは、単に力がなく、保身のためと思える。
また、ご立派なことを言う割には、いい歳(老人に近いと思われる)をして、マルガリーテという若い娘を見ると、たちまちのぼせ上がり、悪魔メフィストに、
「なんとかしろ!」
と、出会いのチャンスを作ってもらったり、豪華なプレゼントを用意させたり、見るも小っ恥ずかしい、ただの好色ジジイである。
※マルガリーテ(グレートヒュンともいう)の年は分からないが、メフィストが、まだほんの小娘だというと、ファウストは「14歳は越えている」(つまり、一人前という意味)と言うので、16か17というくらいかもしれない。
だが、ファウストの良いところは、「神に向かって努力する」の一言に尽きるだろう。
その目的のためなら、あらゆることを犠牲にする。
それが叶わないなら、魂を悪魔にくれてやっても構わないと思っている。
だが、ヘレナ(ギリシャ神話に登場するスパルタの王女で絶世の美女。その美貌はトロイア戦争の原因になった。ゼウスとレダの娘)のことといい、女が泣き所のところは、ゲーテにも共通するようだ。
そういえば、「20世紀最大の詩人」と言われた、アイルランドのW.B.イェイツも、老人になっても、その神が与えた詩才を活用して美少女を口説いていた現場を目撃されている(信頼ある人物が証言している)。
つまり、こういったものを抱えつつ、それでも堕落しないよう精神を制御するのが、芸術の、あるいは、人生の要諦であろう。
2人(ゲーテとイェイツ)は、努力しなければ、やっぱり不良老人(ありぃは、ただのスケベじじい)だが、さりとて、悟り済まそうともしなかった。
その重要性は、禅語の『婆子焼庵(ばすしょうあん』などからも分かるのである。
欠点や弱点はあって構わないが、諦めず、神を目指して努力する者を神は見捨てない。
『ファウスト』を座右の書とする意味は十分にあると思う。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
| 人気ランキング参加中です |
|
