何の気なしに旧約聖書を読み始めたら、意外だったが、面白くて夢中になってきた。
とても長いものなので、まだ全体の6%しか読んでいないが(それでも短い小説1冊分くらいにはなると思う)、まだ沢山残っているのが嬉しいほどである。
また、他の小説・・・ロシア文学や、日本の文豪のものなどが、ちょっと読む気になれないほどである。
旧約聖書は、キリスト教だけでなく、ユダヤ教、イスラム教の聖典であるが、私は、どの宗教にも入るつもりはないし、聖書は別に宗教のために書かれたものではない。
私が読んでいるのは、Amazonで200円で購入した口語訳の電子書籍(Kindle版)だが、十分なもので、分かり易い、格調高い文章である。
同じ内容のものを無料で読むことも可能だが、それよりも、縦書きで、インデックス機能やブックマーク機能がついたKindle版がお奨めできる。
もちろん、フリガナも豊富についている。
古い訳なのだと思うが、それを感じることはない。
(今は、旧約、新約両方ついていて100円のものもあるが、別々に読み進めたい場合は、旧約、新約で分かれているものが便利かもしれない。しかし、とにかく、紙の本で約6500ページに相当するものが100円である。尚、旧約、新約両方ついているものも、分かれているものも、内容は同じである)

そして、しばらく読み進めていったら、「神様がついている」人というのは、どんな人なのかがよく分かってくるのである。
もちろん、誰にだって神様はついているはずなのであるが、特に神様に目をかけられる人というのはいる。
そんな人は、他の大勢の人達とは違ったところがある。
そして、その特定の人達に、神様が特に恵みを与えるのは自然なことに思えるのである。
ある男は、兄弟達に殺されかけ、あやうく生き延びたが、奴隷として売られてしまう。
しかし、売られた先で不思議な展開で、どんどん偉くなり、大富豪になり、王のような支配者にまでなる。
だが、彼は、別に、特別に努力した訳ではない。
ただ、神様がついていたから、そうなったのである。
そもそも、いくら個人が努力したって、そう上手くいくものではない。
しかし、神様が、「私がついている。栄えさせてあげる。心配するな」と言うから大丈夫なのである。
では、どんな人に神様がつくのだろうか?
そんな人達は、不幸な目に遭っても、あまり嘆かず、文句を言わない。
ただ、状況を黙って受け入れ、なりゆきにまかせている。
これは、中国の賢者、荘子も、それが最も知恵のある者の特長であると繰り返し述べていたと思う。
そして、やはり、神様を敬っている。
口先で崇めるのではなく、自分よりはるかに上位の存在を認めているということと思う。
西洋の宗教は、絶対的な一柱の神を崇拝する一神教のように言われるが、神様は、「アブラハムの神」とか「イサクの神」などと名乗るように、個人的に接してくるのである。
その様子を読んでいると、西洋とか東洋とかに関係のない、神様というものを感じられるようになるのである。
そうすれば、困った問題があっても、神様がついていてくれるなら心配はないと思えるようになる。
逆に言えば、神様がついているのに、個人的な想いで、愚かなこと、無駄なことを、言ったり、やったりしてはならないのだと思うのである。

神様が、その人間が神を敬っていることを試すために、「子供を殺して我に捧げよ」ということを言ったりもするが、それは神話らしい象徴的なことと解釈すべきだろうし、そんなお話は、人の心の中の動きをうまく表現していると思う。
また、悲しいことや辛いことがあっても、それを黙って受け入れると、人間が大きくなり、恵みも与えられるのだろうと思う。
本来、宗教とはそんなことを教えるものであったのかもしれないが、形式化、権威化するにつれて、そんな肝心なところが失われてしまったのかもしれない。

同時に古事記も読んでいるが、よく似ているように思う。
似ているとは、お話がではなく、表している深いものがである。
西洋の賢者達は、皆、聖書を読んでいる。その中には、宗教を重視しない者すらいるが、さすがなもの(聖書もそれを読む物も)だと思う。









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