メーテルリンクの『青い鳥』は、表面的な捉え方をされている場合が多いが、本当は霊的な傑作である。
チルチルとミチルの兄妹は、帽子についたボタンを回すという操作で、火や水等に宿る精霊を見るが、全てのものに神霊が宿っているというのは、日本人には親しみ易いお話でもある。
そして、それらの精霊達が、良い人間に対しては友好的であるところも日本的であると思えるのだ。
この戯曲で象徴的に表現されているような姿ではないだろうが、あらゆるものに神霊は宿っている・・・というか、物理的なものや現象の本質が神霊であるのだが、それは階層的な構造をしていて、地球の神霊とか太陽系の神霊といったものも存在する。

生物や非生物、現象の本質である神霊と感応することを、「気を感じる」などという言い方をすることがあるが、それは物理的な感覚器官で感じるものではないので、言葉で表現することは本来は不可能である。
日本には、昔から、剣豪に関する書で、小さな虫を剣で切ったり、箸で掴むことができるような奇怪な人物が登場することがある。
あるいは、少しも強そうに見えない老人が、若い剣士に切りかかられても悠然と数センチで剣を見切ってかわしたりは、単なる伝説のように思われているが、実際にそんな人物は現在でも存在する。
そんな不思議な人物が、なぜそのようなことができるのかを、少し明かしていることもある。
それは、概ね、次のように説明される。
自我を消し去り、人以外のものに宿っている気を自然に感じるようになれば、心身を超えているのであり、そうであれば、時間や空間を超えているので、飛んでいる小さな虫が非常にゆっくりと動いているように見えるので、手で掴むことも、箸で捕らえることも容易なことである。
自我を消す方法に関しては、色々なものが語られているが、例えば、「できるだけかすかな呼吸をしろ。だが、いきなりそんな呼吸をすると苦しいので、少しずつ呼吸を遅くする練習をしろ。そして、誰かが間近に来ても、呼吸をしていないように感じられるまでになれば、木や草が気を発しているのを感じるようになる」といったものがある。
心と呼吸は近い関係にあるらしく、呼吸が微かになれば、心も微かになる。
神的な力を発揮する者になれば、1分に1回も呼吸しなかったり、本当かどうかは知らないが、1時間に1回しか呼吸をしない超人もいて、そのくらいになれば、物質や現象を自由に支配する。なぜなら、物質などの本質である神霊と提携することができるからだ。
そうなれば、イエスや黒住宗忠がやったような奇跡も可能になるのである。

これらのことは、西洋人には神秘でしかないが、東洋人には理解し易いことであるし、特に日本人には、本来は自然なことだった。
日本人でも、現代では、それらの真理は、心の奥に追いやられ、思い出すこともないが、その気になれば目覚めさせることができる。
西洋では、見えるものしか存在しないと考えてきたが、日本では、むしろ見えないものの方が本質であると、ごく自然に感じていたのだ。
『星の王子様』で、「本当に大切なものは目に見えない」と書かれているのを見ても、日本人には、違和感はなく、むしろ、旅愁や慕情のようなものを感じるのである。
無論、本質的な何かが引き起こす物質的な現象や物質の存在を無視すべきではないが、それは二次的なものである。
日本人が、再び本質に目覚めれば、物質的なことにも十分に強くなったのであるから、実に大きな力を持てるのである。
だが、それは、個人の利益のみを追求する者には開かれない力である。









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