自分が持つ特技は大切にしなければならない。
特技は技術と言って良いし、技術は英語では芸術と同じくアートだ。
美術家、演奏家、歌手等をアーティストと言うが、実際は、アーティストでない人はいない。
しかし、「私には特技が何もありません」と言う人がよくいる。
だが、私は、たとえ子供でも、特技を持たない人間を見たことがない。
「特技がない」と言うのは、履歴書に一言で表記できる特技、あるいは、就職に有利になるという意味の特技がないという意味なのだろう。
だが、これからの多様化、拡張現実の時代、むしろ、履歴書に書ける特技は時代遅れになる。
引きこもりで、ゲームばっかりやってたというなら、それは、羨むべき大変な特技だ。
私なんか、自分がゲームをしないので、わざわざ本を読んで、ゲーミフィケーションだのゲーム理論などを勉強するが、実際にゲームをやっている者の方が生で身についているので、私はさっぱり敵わない。
遊んでいるだけのゲームが役に立たないかというと、それは全くない。
ただ、実世界への応用に慣れていないだけだ。
イギリスのコリン・ウィルソンという大作家は、作家というより、思想家、批評家、評論家といったところなのだが、彼に履歴書を書かせたら、やはり、特技なんてないだろう。
彼は、文学作品をひたすら読み、欧米の代表的な文学に広く通じ、それを独自に解釈することが彼の特技なのだろう。
履歴書に書けない特技を持っている方が大物になれるという好例だ。
特技というのは、生命を持ったものだ。
その存在を認め、大事にしてあげないといけない。
会社の中で、最も低い地位に甘んじ、「私には何も出来ない」と言っている者はよくいるが、しばらく話すと、そんな人達の方が感動的な特技を持っているのである。
だから、人間のやるべきことは、顔を上げること、上を見ることだけだ。
徳川家康は天下取りの秘訣として、「上を見るな」と言ったが、それは、「余計なものを欲しがるな」とか「生まれつき恵まれた境遇の者を羨むな」という意味であり、それは守るべきだが、顔は上げていないといけない。
私は少しプログラミングができるが、本当にできる人と比べたら、素人に毛が生えた程度だ。
竹村健一さんも、自分は英語でやってきたというが、彼だって、「僕の英語は素人に毛が生えた程度や」と言っておられたものだし、実際、上手い英語ではない。
それよりも、竹村さんの特技は、自ら「アメーバ人間」と言う通り、何にでも触手を伸ばして触ってみることだろう。
この特技は素晴らしい。
竹村さんは、あちこちちょっかいを出しているうちに、「英語も」できるようになったというに過ぎない。
それで言えば、私の特技は本当はオカルトや超能力で、ついでにプログラミングをやっているのだろう。
大俳優だった丹波哲郎さんだって、霊界研究のついでに俳優をやっていたのだ。
アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、全てをオカルティズムを通じて思考していた。
オカルティズムとは、神秘学、オキュルティスム、玄秘学ともいい、世間の憶測と違い深遠で広大なものだ。
イェイツの芸術はオカルティズムそのものだし、シュタイナーはオカルティズムを通して、教育、医学、農学、建築、絵画、彫刻等の分野で偉大な業績を残した。
ニュートンがオカルティズムのついでに数学や物理学をやっていたことはよく知られている。
オカルティズムを本気でやれば、自然に能力も発揮されるのだろうと思う。
自分の本当の特技を認めてあげ、愛し、大事にすることだ。
それを、日々磨いていくのだ。
そうすれば、世間的な特技もちょっとは身につくが、世間でやっていくには、そのちょっとで十分である。
そして、そのちょっとの世間的特技も、アートなのだから大事にすれば、広がりを見せるのである。
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特技は技術と言って良いし、技術は英語では芸術と同じくアートだ。
美術家、演奏家、歌手等をアーティストと言うが、実際は、アーティストでない人はいない。
しかし、「私には特技が何もありません」と言う人がよくいる。
だが、私は、たとえ子供でも、特技を持たない人間を見たことがない。
「特技がない」と言うのは、履歴書に一言で表記できる特技、あるいは、就職に有利になるという意味の特技がないという意味なのだろう。
だが、これからの多様化、拡張現実の時代、むしろ、履歴書に書ける特技は時代遅れになる。
引きこもりで、ゲームばっかりやってたというなら、それは、羨むべき大変な特技だ。
私なんか、自分がゲームをしないので、わざわざ本を読んで、ゲーミフィケーションだのゲーム理論などを勉強するが、実際にゲームをやっている者の方が生で身についているので、私はさっぱり敵わない。
遊んでいるだけのゲームが役に立たないかというと、それは全くない。
ただ、実世界への応用に慣れていないだけだ。
イギリスのコリン・ウィルソンという大作家は、作家というより、思想家、批評家、評論家といったところなのだが、彼に履歴書を書かせたら、やはり、特技なんてないだろう。
彼は、文学作品をひたすら読み、欧米の代表的な文学に広く通じ、それを独自に解釈することが彼の特技なのだろう。
履歴書に書けない特技を持っている方が大物になれるという好例だ。
特技というのは、生命を持ったものだ。
その存在を認め、大事にしてあげないといけない。
会社の中で、最も低い地位に甘んじ、「私には何も出来ない」と言っている者はよくいるが、しばらく話すと、そんな人達の方が感動的な特技を持っているのである。
だから、人間のやるべきことは、顔を上げること、上を見ることだけだ。
徳川家康は天下取りの秘訣として、「上を見るな」と言ったが、それは、「余計なものを欲しがるな」とか「生まれつき恵まれた境遇の者を羨むな」という意味であり、それは守るべきだが、顔は上げていないといけない。
私は少しプログラミングができるが、本当にできる人と比べたら、素人に毛が生えた程度だ。
竹村健一さんも、自分は英語でやってきたというが、彼だって、「僕の英語は素人に毛が生えた程度や」と言っておられたものだし、実際、上手い英語ではない。
それよりも、竹村さんの特技は、自ら「アメーバ人間」と言う通り、何にでも触手を伸ばして触ってみることだろう。
この特技は素晴らしい。
竹村さんは、あちこちちょっかいを出しているうちに、「英語も」できるようになったというに過ぎない。
それで言えば、私の特技は本当はオカルトや超能力で、ついでにプログラミングをやっているのだろう。
大俳優だった丹波哲郎さんだって、霊界研究のついでに俳優をやっていたのだ。
アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、全てをオカルティズムを通じて思考していた。
オカルティズムとは、神秘学、オキュルティスム、玄秘学ともいい、世間の憶測と違い深遠で広大なものだ。
イェイツの芸術はオカルティズムそのものだし、シュタイナーはオカルティズムを通して、教育、医学、農学、建築、絵画、彫刻等の分野で偉大な業績を残した。
ニュートンがオカルティズムのついでに数学や物理学をやっていたことはよく知られている。
オカルティズムを本気でやれば、自然に能力も発揮されるのだろうと思う。
自分の本当の特技を認めてあげ、愛し、大事にすることだ。
それを、日々磨いていくのだ。
そうすれば、世間的な特技もちょっとは身につくが、世間でやっていくには、そのちょっとで十分である。
そして、そのちょっとの世間的特技も、アートなのだから大事にすれば、広がりを見せるのである。
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