「自分の正義を貫く」と言えば、傲慢に聴こえるかもしれない。
「私の善が真の善」、「私の真理が本当の真理」、「私が美と認めるものが絶対の美」と言えば、独断家や暴君のように思われるかもしれない。
だが、そうではないのだ。
暴君というものは、本当は、自分を少しも信じてなどいないのだ。

自分に自信を持っている者は、反対されようが、否定されようが平気である。
当たり前だ。
否定されなければ、本当の真理のはずがないじゃないか?

中学か高校の時のことを思い出せば分かる。
例えば、国語の教科書には名高い文豪の作品が採り上げられている。
その作品の文意は何かということで、教師と対立した時、あなたが自分の考えに確信を持っていた場合、あるいは、教師の言うことが疑わしかった場合、間違いなく、あなたの方が正しかったはずなのだ。
別に文学でなくても、あらゆることで、学校や教師の見解と、あなた個人の見解が根本で違っていた時、やはり、あなたが正しかったのだ。
ただし、大勢の生徒達と意見が一致していたように思えた場合は、その意見は、学校の考えと同じくらい愚かだったのだ。
そんな時は、学校の意見と、大勢の生徒達の意見は、容易く妥協するのだ。
学校の考えは世間の考えであるが、寄り集まって出来た考え方というのは、世間の考えと同じになるのだ。

だから、賢い社長は、幹部全員が反対するなら、絶対にやるのだ。
宅急便なんてのは、それを始めた会社というのは、やはり、社内で全員反対だったから、勇敢な社長が指令を放って、それをやったのである。
それによって、当時の郵便局や国鉄の横暴横柄な小包配送を消し去ったのである。

古代からユダヤで伝えられてきた賢い言葉をあなたも覚えていくと良い。
「全員一致は否決」
である。
みんながやると言えば、やらない。
みんながやらないと言えば、断固やる。

ただし、ユダヤを超える知恵が、
「私が正しいと思えば正しい」
である。
「私が良いと言えば、それが価値になる」
そう言えないなら、人間の値打ちはない。









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