社長の定義として最も相応しいものを、アメリカの子供向けアニメで聴いたことがある。
それは、
「社長は、いざという時に活躍するから高収入なのだ」
である。
ただ、この「活躍」は、普通の人の活躍とは違う。
その「いざという時」、99パーセント勝ち目のない戦いでも、100パーセント勝つのが社長の使命である。
それが、高収入な社長の、いざと言う時の活躍である。
未知の怪物との戦いに敢然と出向き、当たり前のように勝って涼しい顔で帰ってくる。
それが社長である。
そして、一度雇ったからには、それがどんなロクデナシでも、その社員の生活の保証をするのが社長である。
これが、社長の2つ目の定義になる。
これには同意しない人が多いだろうが、そうでなければ社長ではない。
ただ、確かに口ではそう言いながら、他の者にリストラさせたり、弱い立場の社員が辞めざるとえないことになるのを放置している社長もいる。
だが、そんなことは、大抵の場合、社長の家族に反映されるものである。
かつて、山賊や海賊のボスだって、「子分共を食わせるのは大変なんだ」と時々愚痴をこぼしたものだった。
昔は、盗賊ですら、ちゃんと社長をしていたのである。
ましてや、これから社長をやる人は、上の2つの定義を守るつもりでやれば良い。

だが、英雄は英雄の定義をしないし、天使は天使の定義をすることができない。
悪魔も、悪魔の定義を掲げることはできないのだ。
そして、天使や悪魔は、人々の心の中にしか存在できない。
ところが、英雄とは、天使か悪魔と契約した者のことなのだ。
法律上の社長はともかく、本当の社長も同じようなものであるらしい。
かつて、悪魔と契約した英雄が地上に増えた時代があった。
そして、いつの頃からか、悪魔と契約した社長が世界中に増えてきている。
だが、悪魔はロハでは契約しない。
これから社長をやる者は、このことは覚えておいた方が良い。









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