「7つの海を渡ってきたら、たくましい男になる」と世間では言われてきた。
言わんとすることはお分かりと思う。
冒険の価値を説いた言葉であるが、冒険という漢字をよく見れば、「危険を冒す」と読める。つまり、あえて危険なことをするということだ。
そんな危険を冒すことを、進んで沢山やれば、心が磨かれ、強くなるということと思う。

こんなことを我々はずっと信じてきたと思う。
しかし、もし、これが嘘だったら面白いと思う。
馬賊を率いて戦い、超大物と交渉し、天才思想家と意見を戦わせる・・・そんなことをやってこそ一流の人間になれるというのを、自明のこととして我々は受け入れてきた。
だが、そんな「目立ちたがり屋」と、毎日部屋の中でゲームとアニメに明け暮れる引きこもりが、実質、何の差もないのだとしたら面白い。
ところが、実際、確実にそうなのだ。

それは当たり前のことで、世間的な猛者や勇者が、ゲームやアニメという土俵で勝負すれば、相手が凡人だったり、引きこもりだったとしても、ゲームやアニメに慣れている者の前でたじたじである。
ただ、彼ら(世間の猛者達)は、ゲームやアニメは「下らないもの」「劣ったもの」という不文律を作り上げ、それを無理矢理押し付けているのである。

ただ、別に、ゲームやアニメが素晴らしいと言うのではなく、世間で崇拝されるもの、価値ありとされるものと同等というだけのことである。
例えば、世間では、スポーツでなら、オリンピックで金メダルを取ったり、国際大会で良い成績を上げると、異様に讃えるが、それは単に、誰かが利益のために、マスコミと共謀してそんな価値感を作っているというだけのことで、それに多くの人達が乗せられているというだけのことである。
もちろん、ゲームやアニメにだって弊害はあるが、それは、どんなことでも・・・どれほど「高尚」とされることでも同じであり、例外はない。

ちなみに、私はコンピューターゲームは全くやらないのだが、コンピューターゲームは、機械的な情報処理能力や論理的能力とは全く違う、そして、それらをはるかに上回る非言語的な知性(例えば直観)を著しく向上させることがあると述べる、実際に極めて優秀な人達も沢山いる。
例えば、folditというフリーのタンパク質の構造予測をするゲームでは、最先端の科学者が10年解けなかった問題を、ゲーマーが3週間ほどで解いたという話があるが、それはもちろん、偶然ではなく、何らかの非言語的な知性が発揮されたのだと考えられる。
ゲームの達人には、まるで、武道の達人を思わせる雰囲気を漂わせている人がいるが、実際に、ゲームの達人と武道の達人は同価値である。
確かに、昔であれば、ゲームの達人より武道の達人の方が、世の中の状況的に有利だったが、現在は、それ以上に、ゲームの達人の方が有利である。
なぜなら、今後は、仮想現実(バーチャル・リアリティ)が現実(リアル)の中に流入し、混ざり合い、融合する拡張現実(オーグメンテッド・リアリティ)の時代だからだ。
仮想現実が作り出すイリュージョンは、ちょっと面白いが、受動的で、不活発で、孤独だった。
しかし、例えばだが、プロジェクションマッピングを見れば、そこに、拡張現実が持つ創造的な可能性を感じるのである。
例えば、Nikon D800 東京ミチテラス2012冬 TOKYO HIKARI VISION プロジェクションマッピング を見れば、何かを感じるかもしれない。
これは、村松亮太郎氏率いるネイキッドの作品と思うが、今月(2014年12月)15日からは、東京タワーの大展望台から、夜景にプロジェクションマッピングを行うというとんでもないことをやっている(来年2月末まで)。
仮想現実で子供の創造性を引き出そうとしても、マイナスの影響が大きいが、「触って、参加できる」拡張現実であれば、子供(に限らないが)のあらゆる面での能力を発達させる可能性がある。
例えば、猪子寿之氏率いるチームラボのお絵かき水族館を見れば、それが分かるように思う。
元々、コンピューターゲームは拡張現実的である(参加し、自分がキャラクターになれるのだからだ)。
そこに芸術性や洗練されたデザイン、新しい技術が加わったのである。

ゲームやアニメ、あるいは、プロジェクションマッピングが素晴らしいという話ではなく、世間的な価値を疑うと共に、世間で認められなかったり、否定すらされるものの中に、新しい価値や可能性があるということを述べてるだけである。
一昨日も述べたが、AKB48の大躍進は、従来とは違ったやり方で成功したのであり、これは時代の変化というだけでなく、人類的な規模での変革を垣間見ることができる現象である。
それに、私のような、世間で鍛えた者には全くない、ゲームの達人の能力というものは確かに感じられる。
よく、「固定観念を捨てろ」と上から言う者がいるが、そんなことを言う者が、一番多く固定観念を抱えているものなのである。
大事なことは、いかなる時も、他者を見下したり、優越感を持ったりせず、全てを公平に、あるがままに見ることだが、そのためには、心の力が必要である。
「固定観念を捨てろ」と言いながら、自分の固定観念にしがみ付く老人は、心が弱いのである。
だが、最も心が強いのは、思いやりを持つ者であると思う。









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