お金や贅沢に対して根深い抵抗を持っている人がよくいる。
おそらく、自覚はなくても、かなり多くの人達がそうであるはずだ。
だから、貧しい人が多いのだ。
だが、この問題は、そう単純ではない。
そのような人達には、見栄っ張りの親に育てられた人が多い。そして、今は、ほとんどの親が見栄っ張りだ。
彼らの親は、いやらしいほど俗人のくせに、欲のない清らかで立派な人だと周りの人達に思わせたがっている。
特に、高貴なイメージが売りの俳優のファンや、宗教の頑固な信仰者、皇室の熱烈な信奉者などは、極端にそうなのだ。
そんな親に育てられた子供は、(やはり自覚はなくても)大人になっても、聖なるものを強く求め、俗なるものを軽蔑するようになる。
これは、いくら成功法則の本に、「お金は善いものである」と書かれてあるのを見ても、何の意味もなく、むしろ、そんなものを見る度に、心の奥では、「いや、お金を求めるのは、聖なる魂を持つ自分にとっては堕落である」と感じてしまうのだ。
何かの本を読んで、口では、「人間の価値は収入の多さだ」「金持ちほど立派だ」と言ったところで、本当にはそう思っていない。
そして、そんな人は、才能はあっても(誰でもあるのだが)、お金に欠乏したり、そうでなくても、高収入になることはなく、ぎりぎりの給料しかもらえていない。

「お里は隠せない」と言うが、幼い頃に植え込まれた精神的傾向を変えることは、まず不可能だ。
だが、嘆いてはいけないし、その必要もない。
与えられた不利な運命には意味があるし、そこに幸福の鍵も隠されている。
だから、自分の精神性を発見できたなら、むしろ喜ばしいことである。

実際は、ほとんどの人達が、お金に対して抵抗を持っている。
そのために、多くの人達が、孫正義氏や三木谷浩史氏のようになることも可能でありながら、平凡な庶民の中に埋もれているが、それはそれで良いことだ。
なぜなら、いろんな運命があるのだからだ。
運命とは、悪いものでも、恐れるべきものでもない。
運命は、一言で言い表せば「寂寞(寂寥)」である。
だが、全ての人間は、それに余分な幻想を、相当な量加えている。
(このあたりは、ITの「AR(拡張現実)」について勉強すれば、雰囲気がよく分かる。)
では、お金を汚いもの、俗なる悪であるという根深い観念を持った人はどうすれば良いか?
ただ、世界の豊かさを本当に理解することだ。
世界は、人間の想像を超えて広大であり、膨大なエネルギーを持ち、神秘で多様だ。
そんなことは分かっていると言いたいかもしれないが、我々の観念とは、全く桁が違うのだ。
それは、地球1つについてすらそうなのである。
まして、宇宙となると、コンヴァースの讃美歌の曲に川路柳虹氏が詩をつけた歌『星の世界』にあるように、「のぞめば不思議」としかいいようがない。
「のぞめば不思議」の部分は、昔の歌では、「行けども行けども 耀(かがよ?)りてやまず」「汲めども汲めども 溢れてやまず」であったらしいが、なんとか無限を表現しようとしていたのだろう。
人間は、無限を実感する範囲を拡大するほど、心が深く大きくなる。
だが、人間は、海の深さ、空の高さすら理解できない。
いやいや、軽蔑する俗なるものすら、小さなスケールでしか理解できていない。
一兆円というお金がいかほどのものか、本当に分かっているのだろうか?
一日百万円使っても、使い切るのに27世紀以上かかるって聞いて、意外に思うだろう。
それほど、たかが一兆円に関してすら、何も分かっていなかったのだ。

世界は、我々が思うよりはるかに大きい。
もし、神というものがいるなら、人間の想像など、とても及ばないものだ。
その大きさを少しでも理解しようとすることだ。
(『無量寿経』や『法華経』の馬鹿馬鹿しいほど壮大なお話を読むと良い)
それによって、心の大きさが変われば、お金や贅沢について、聖とも俗とも思わなくなるだろう。
そうすれば、十分なお金を持つことになるだろう。









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