般若心経では、全ては空だと言い、ラマナ・マハルシのような聖者達は、この世は仮想世界(バーチャル・リアリティ)だと言う。
だが、少し違うのだ。
この世は、運命という現実があり、そこに心が拡張現実を作る世界なのだ。
仮想世界はいくらか分かっていても、拡張現実とは聞きなれないかもしれない。
そして、拡張現実について、ややこいしい説明をしてくれる者達が多過ぎる。
「拡張現実とは現実を改変するものだ」なんて、下らない説明をよくもできたものだ。
『スターウォーズ』で、ルークの冒険は、レイア姫の3次元映像を見たところから始まる。
ルークは、レイアに萌え萌えになって、「助けに行こう」って思ったのだ。
まあ、後にレイアは双子の妹か何かになったようだが(宮沢賢治も妹萌えであったという話もあるが・・・)。
『禁断の惑星』という1956年の古いSF映画でも、アルタという若い女性の3次元映像が出てくる。
このレイアやアルタの映像が拡張現実だ。
あなたが、メガネ型のウェアラブルコンピュータを装着し、「猫」と言ったら、目の前のテーブルの上に猫が現れる・・・この猫の映像が拡張現実だ。
現実に仮想がプラスされる・・・そんなのを拡張現実という。
現実は現実、仮想は仮想だ。
知覚がそれをごっちゃにしたからといって、現実が実際に改変される訳ではない。
初音ミクのライブコンサートは拡張現実と言って良い。
現実にある舞台、バンドなどの中に、初音ミクという仮想の存在が現れる。
初音ミクは舞台に設置された、ディラッド・ボードという、株式会社キモトが開発した透明ボード上に立体的に現れる。
だが、渋谷慶一郎さんが制作した、初音ミク主演のオペラ『THE END』は、仮想現実に近いものだ。
あれはディラッド・ボードを使っているのではなく、特殊なホログラム技術で、舞台の上にまるごと仮想世界を創っている。
どの技術を使ったか明かしてくれてないので分からないが、デンマークのVizoo社のFreeFormatだと思う。
もっとも、これも、現実空間の中に、ホログラムで大規模な拡張現実を創ったとも言えるが、現実の劇場は基本的には重視せず、「無い」と見なして良いという理由で、仮想現実に近い。
この世界は、運命という現実に、人の心が拡張を加えた世界だ。
一休さんは、念仏を唱えれば、この世に極楽浄土が現れると言ったが、仮想現実として、この世の一切が極楽浄土になるのではなく、拡張現実的に極楽浄土が、この現実世界に「付け加わる」だけのことだ。
だから、念仏を唱えても、貧乏だとか、病気だとかいった現実の方はなかなか変わらない。
だが、テーブルという現実の上に、猫という拡張現実があるとして、猫という仮想物は変えられるが、テーブルだって変えることができる。
同じく、病気も貧乏も治せる。
しかし、テーブルを変える(取り替える、テーブルクロスをかける)には、現実的な手段が必要なように、貧乏や病気の状態を変えるには、現実的にやらなければならない。
それなのに、仮想の方を変えて病気という現実を変えようというのが宗教だ。
現実は悲惨なのに、幸せな夢を現実と思うのは精神病患者でしかない。
現実を「変えよう」という意思を起こすのは心だ。
テーブルを変えるぞと本気で思わなければ、本当に変えようとはしない。
同じく、金持ちになるとか、健康になるとかも、本気で考えないと、そうなったりはしないのだ。
願っただけでは叶わないってやつだ。
現実を変える意思の力が大切だ。
それを得るために、毎日決まった(早い)時間に起きるとか、食を節するとか、毎日トレーニングをしたりするのだ。
そんな簡単な修行もできないようでは、現実を変えるなんてことはできない。
だから、毎日、必ずやる修行を少なくとも1つ決めて、鉄の意志で行うことだ。
その程度ができないようでは救いようがない。
だが、心配しなくても、誰でも意思の力を鍛えることはできる。
それができれば、現実を変えられるのだ。
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だが、少し違うのだ。
この世は、運命という現実があり、そこに心が拡張現実を作る世界なのだ。
仮想世界はいくらか分かっていても、拡張現実とは聞きなれないかもしれない。
そして、拡張現実について、ややこいしい説明をしてくれる者達が多過ぎる。
「拡張現実とは現実を改変するものだ」なんて、下らない説明をよくもできたものだ。
『スターウォーズ』で、ルークの冒険は、レイア姫の3次元映像を見たところから始まる。
ルークは、レイアに萌え萌えになって、「助けに行こう」って思ったのだ。
まあ、後にレイアは双子の妹か何かになったようだが(宮沢賢治も妹萌えであったという話もあるが・・・)。
『禁断の惑星』という1956年の古いSF映画でも、アルタという若い女性の3次元映像が出てくる。
このレイアやアルタの映像が拡張現実だ。
あなたが、メガネ型のウェアラブルコンピュータを装着し、「猫」と言ったら、目の前のテーブルの上に猫が現れる・・・この猫の映像が拡張現実だ。
現実に仮想がプラスされる・・・そんなのを拡張現実という。
現実は現実、仮想は仮想だ。
知覚がそれをごっちゃにしたからといって、現実が実際に改変される訳ではない。
初音ミクのライブコンサートは拡張現実と言って良い。
現実にある舞台、バンドなどの中に、初音ミクという仮想の存在が現れる。
初音ミクは舞台に設置された、ディラッド・ボードという、株式会社キモトが開発した透明ボード上に立体的に現れる。
だが、渋谷慶一郎さんが制作した、初音ミク主演のオペラ『THE END』は、仮想現実に近いものだ。
あれはディラッド・ボードを使っているのではなく、特殊なホログラム技術で、舞台の上にまるごと仮想世界を創っている。
どの技術を使ったか明かしてくれてないので分からないが、デンマークのVizoo社のFreeFormatだと思う。
もっとも、これも、現実空間の中に、ホログラムで大規模な拡張現実を創ったとも言えるが、現実の劇場は基本的には重視せず、「無い」と見なして良いという理由で、仮想現実に近い。
この世界は、運命という現実に、人の心が拡張を加えた世界だ。
一休さんは、念仏を唱えれば、この世に極楽浄土が現れると言ったが、仮想現実として、この世の一切が極楽浄土になるのではなく、拡張現実的に極楽浄土が、この現実世界に「付け加わる」だけのことだ。
だから、念仏を唱えても、貧乏だとか、病気だとかいった現実の方はなかなか変わらない。
だが、テーブルという現実の上に、猫という拡張現実があるとして、猫という仮想物は変えられるが、テーブルだって変えることができる。
同じく、病気も貧乏も治せる。
しかし、テーブルを変える(取り替える、テーブルクロスをかける)には、現実的な手段が必要なように、貧乏や病気の状態を変えるには、現実的にやらなければならない。
それなのに、仮想の方を変えて病気という現実を変えようというのが宗教だ。
現実は悲惨なのに、幸せな夢を現実と思うのは精神病患者でしかない。
現実を「変えよう」という意思を起こすのは心だ。
テーブルを変えるぞと本気で思わなければ、本当に変えようとはしない。
同じく、金持ちになるとか、健康になるとかも、本気で考えないと、そうなったりはしないのだ。
願っただけでは叶わないってやつだ。
現実を変える意思の力が大切だ。
それを得るために、毎日決まった(早い)時間に起きるとか、食を節するとか、毎日トレーニングをしたりするのだ。
そんな簡単な修行もできないようでは、現実を変えるなんてことはできない。
だから、毎日、必ずやる修行を少なくとも1つ決めて、鉄の意志で行うことだ。
その程度ができないようでは救いようがない。
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土台は変えられないけど、その上に載せる物は、変えられるというイメージを持ちました。
そんな事、思ったことなかったので新鮮でした。
いつもありがとうございます。