実際のところは分からないのだが、日本の昔の学校では、例えば『論語』を、意味は分からなくて良いから、暗記してしまうまで、生徒達にひたすら、繰り返し音読させたということを何度か聞いたことがある。
現代的、論理的に考えれば、全く不合理な学習法であるが、直感的には、疑いもなく優れた学習法で、生徒達は知恵がつくだけでなく、生命力を理想的なまで強くしたことだろう。
なぜかと聞かれても困るし、「そんなことはない」と否定されたら、何か言い返す気もない。
私はそう思うというだけのことだ。
ただ、私は、サミュエル・スマイルズの『自助論』を、ほとんど暗記するまで読み込んでいた男性を知っているが、彼は本当に大変な人物だった。
秀才とか、やり手とか、何かの才能があるとか、金持ちであるとか、そんなのではない。
何と言うか、人間を超えている人だった。
何をしても不安はないし、おそらく、できないことは何もない人だった。
『論語』ならもちろん良いだろうが、私は『老子』も良いと思う。
意味が分からなくても、読み下し分で良いと思う。
しかし、別に何の本でも良いのだ。
そして、暗記するほどまでに読めば、予想もできないような、よきものを手にしているだろう。
エドガー・ケイシーは、9歳から14歳までの間に、聖書を13回通読し、その直後、不思議なことが起こっている。
「魔法を使って治している」とまで言われた超精神科医ミルトン・エリクソンは、なんと、子供の時、辞書をひたすら繰り返し読んだらしい(他に本がなかった)。きっと、それが彼に、途方もない力を与えたのだ。
少々、怪しい本だって、自分が概ねにでも気に入っているなら、十分にそうする価値はある。
一冊というのが厳しいなら、聖書の詩篇の91番だけとか、大祓詞とか、『古事記』の上巻の、アマテラスとツクヨミとスサノウが生まれるまででも良いと思う。
それだけでも、本当に覚えてしまうほどになれば、まあ、人生、勝ったも同然だろう。
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現代的、論理的に考えれば、全く不合理な学習法であるが、直感的には、疑いもなく優れた学習法で、生徒達は知恵がつくだけでなく、生命力を理想的なまで強くしたことだろう。
なぜかと聞かれても困るし、「そんなことはない」と否定されたら、何か言い返す気もない。
私はそう思うというだけのことだ。
ただ、私は、サミュエル・スマイルズの『自助論』を、ほとんど暗記するまで読み込んでいた男性を知っているが、彼は本当に大変な人物だった。
秀才とか、やり手とか、何かの才能があるとか、金持ちであるとか、そんなのではない。
何と言うか、人間を超えている人だった。
何をしても不安はないし、おそらく、できないことは何もない人だった。
『論語』ならもちろん良いだろうが、私は『老子』も良いと思う。
意味が分からなくても、読み下し分で良いと思う。
しかし、別に何の本でも良いのだ。
そして、暗記するほどまでに読めば、予想もできないような、よきものを手にしているだろう。
エドガー・ケイシーは、9歳から14歳までの間に、聖書を13回通読し、その直後、不思議なことが起こっている。
「魔法を使って治している」とまで言われた超精神科医ミルトン・エリクソンは、なんと、子供の時、辞書をひたすら繰り返し読んだらしい(他に本がなかった)。きっと、それが彼に、途方もない力を与えたのだ。
少々、怪しい本だって、自分が概ねにでも気に入っているなら、十分にそうする価値はある。
一冊というのが厳しいなら、聖書の詩篇の91番だけとか、大祓詞とか、『古事記』の上巻の、アマテラスとツクヨミとスサノウが生まれるまででも良いと思う。
それだけでも、本当に覚えてしまうほどになれば、まあ、人生、勝ったも同然だろう。
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私はそう思うというだけのことだ。
おそらくこれ以上に力強い言葉はないと思われます。
私も最近このように思うことがあります。
それは論理とか思考とか感情の類ではありません。
あえて言うならば、直観と言えますが、それですらないかもしれず、私には「そうだと」わかる。あるいはそう思うだけのことです。
別に人に強要するわけでもありませんが、こうすればいいのにという感じです。
それが私の基準であり、誰になんと言われようが、全く気にならない、自分だけの正義というものだろうと思います。
どれほど悪魔的に見えようが、私にとっての正義、
そう思えるものが1つでもあれば、人生は楽ですし、勝ったも同然です。
「もし私が悪魔の子なら、そのときは私は悪魔に従って生きて行きます」とラルフ・ウォルド・エマソンが言いましたが、そういうものです。