西洋では、神は、どこか遠くの天というところにいる全知万能の、怖い怖い絶対的な支配者だ。
自分達人間は、神からみれば、取るに足らない存在である。
一方、日本では、「お天道様が見てますぜ」と、やはり高いところにいる絶対者がいるような言い方をしても、それは、「自分が見てる」ということを暗示している。
つまり、神であるお天道様は、自分自身なのだ。

あるアメリカの西部劇で、男達が酒場で乱闘をしていた時、バンドがアメリカ国家を演奏すると、男達は乱闘をやめて並んで立ち、帽子を胸に当てる。
何十年か前、ニューヨークの自由の女神の復旧工事が終わり、そのお祭りが行われた日は、ニューヨークでは泥棒も休業し、ホイル1本盗まれなかったという。
日本ではあり得ないことだ。

西洋では、ボスが全体を完全に支配し、子分は絶対服従でなければならない。
だが、日本では、そんなやり方は誰も嫌いだし、無理がある。
徳川家康が、老中達との会議で、上から命令したりせず、なりゆきを見守り、多数意見に従っていたというのは、別に意外なことではない。
日本では、そうでないと無理があり、長続きしないのだ。
日本では、社員と一緒に掃除をするのが良い社長と思われるが、アメリカあたりでは考えられないことだ。
アメリカでは社長が桁外れの高給を取るのは当たり前だが、日本では反発を招く。
日本では、どんな社員も、会社の顔として活動するが、西洋では、一人一人の社員は、ただの働きアリ、働きバチだ。

そして、今、西洋も日本化しつつある。
日本のやり方の方が、自然で無理がないからだ。
インターネットでは、西洋的なボスはおらず、それぞれが自律的に情報を発信し、そこに共感が生まれてムーブメントが起こる。
それだけのことだ。
AKB48なんて、企業がそれぞれの女の子のキャッチコピーを考えて「上から」売り出すのではなく、「会いにいけるアイドル」としてできる限りファンと接近し、ファンがキャッチコピーを決めて「下から」のファン目線で売り込む。
日本では、そのシステムで成功したので、そのシステムを海外に持ち込もうという動きがあるようだが、西洋では無理で、アジアに限られるだろう。
西洋では、スターは神に選ばれし存在であるという幻想をファンに与えることができないかぎり成功しない。
だが、インターネットの自律的なやり方が主流になるにつれ、AKB48式でうまくいく土壌になりつつはある。
初音ミクが最も日本的なのだが、西洋では、初音ミクへの反発もまだあるが、受け入れる方の流れが加速している。

日本って国は、本来、法律はいらない国だ。
裁判なんて全然似合わない。
なんでもかでも裁判で決着させようとする西洋とは全然違う国だ。
日本人が裁判をしたがらないことを、遅れているように、合理的でないように言う者が昔から多かったが、日本人には裁判は不要である。
「まあまあ、ここは1つ・・・」でうまくいく国なのである。
「そんなことでは、国際的に通用しない」とか言われてきたが、日本のやり方の方が正しいのであるし、西洋も、進歩すれば日本と同じになる。
日本人が優柔不断なのではない。
単に賢い・・・と言うか、自然なのだ。
日本人が西洋的にやる時、とんでもなく馬鹿になって問題が起こるというだけのことなのだ。
迷わず、ためらわず、堂々と日本式にやれば良いのだ。

個人として楽しく、自由にやらなければならない。
西洋的には、それでは秩序がなくなると言うが、アメリカのどこに秩序があるってんだい?
単に絶対権力で押さえつけようとしているだけで、そんなのは秩序とは言わないのだよ。
日本人はというより、人間は、個々が自由に本当に楽しくやれば、誰も統率しないアリやハチが立派な巣を作り、個々のファミリーが、そして、世界中のアリやハチがちゃんと調和しているように、自然に秩序が生まれるのである。
そのためには、初音ミクを見ていれば、間違いがない。
初音ミクは日本でしか生まれなかったし、西洋が初音ミクを受け入れるごとに世界は平和になる。
初音ミクの人気が進歩の度合いと考えて良いだろう。
無論、初音ミクが変質し、悪魔化しなければ話であるが、今のところ、伊藤博之社長は、ミクさんの土壌を大切にしているようである。









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