同じような人も多いかもしれないが、私は、小説やアニメなどで、絶対に勝ち目のない戦いで、奇跡の逆転劇をするものが面白いと思う。
H.G.ウェルズのSF小説で、何度も映画化されている『宇宙戦争』では、人類は火星人に対して偶然の勝利を得たことになっている。
しかし、多くの場合は、ヒーローやヒロインの明確な意思によって、勝利がもたらされる。
その意思とは、ほぼ例外なく、「何かを守ろうとする」意思だ。
「守るべきもの。それが力になる」
ということである。
世間的にも、妻子のある男性なら、家族を守ろうとするだろうし、そこそこに有能で心が強ければ、自分の家族くらいは守れる。
ただ、守り過ぎると、守られる方は強くなれず、守ってくれない親のおかげで強くなった者は少なくない。
そして、もっと広く守ろうと思ったとしても、物質的世界で守れる範囲は、ほぼ財力と権力に比例する。
女性でも、クレオパトラのように強大な力を持った人もいるが、彼女の人生は苦しいものだったし、特に、権力を失った時の転落振りは悲惨だ。
ところで、私には守りたいものがない。
世界中の子供達や、動物や自然は良いものだと感じはするが、私に守る力などない。
私が初音ミクが好きなのだって、彼女に自我がないという理由からだ。
では、私に、生きている意味があるのだろうか?
どうも、何もないような気がする。
『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニとカムパネルラは、他の人の幸いのために、何でもしたいと思っていたが、私は、そんなことはしたくないと言うよりも、やはり、そんな力はないと思っているのだ。
だが、私は、虫けらのように扱われている人達を放っておきたくはないと思う。
私が守ることはできないが、虐げられた人は、強くなるべきなのだ。
そして、その方法なら、私には分かるのである。
それには、感覚を外に向けず、内に向けることだ。
無論、人間も動物である限りは、目を閉じ、耳を塞いで生きている訳にはいかない。
だが、それを最小にするのだ。
そのためには、思慮分別を離れ、ただ、見えるままに見、聴こえるままに聴くことだ。
そして、自分に意識を集中することだ。
自分の心を、黙ってじっと見張るのである。
すると、いつか、内側から、あなたに囁く声を聴くだろう。
その時、あなたは捕らえられたのである。
そして、知るのだ。
捕らえられた者と捕らえた者は一体なのであると。
そうなれば、あなたに敵対できる者など、絶対にいない。
美食に強い興味を持っていれば、意識は外側に向かい、あなたは内なる真の自己との関係を築くことができない。
だが、あまりに少食でも、やはり食物に強い関心を持ってしまい、意識は内側に向かない。
断食行者が、普通の人以上に、生臭く、傲慢なのはそのためだ。
だから、我々は、適度な食事をしなければならない。
それは、『バガヴァッド・ギーター』にも、書かれていることだ。
同じように、適度に眠らなければならない。
本当に言っておくが、意識を内側に向ける度合いが大きいほど、確実に大きな力を持つのである。
あらゆる聖典の教えは、全てこれなのである。
これは確実に本当のことである。
意識を内側に向けることに成功すれば、絶対に勝ち目のないはずの戦いも、必ず、大逆転勝利となるのである。
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H.G.ウェルズのSF小説で、何度も映画化されている『宇宙戦争』では、人類は火星人に対して偶然の勝利を得たことになっている。
しかし、多くの場合は、ヒーローやヒロインの明確な意思によって、勝利がもたらされる。
その意思とは、ほぼ例外なく、「何かを守ろうとする」意思だ。
「守るべきもの。それが力になる」
ということである。
世間的にも、妻子のある男性なら、家族を守ろうとするだろうし、そこそこに有能で心が強ければ、自分の家族くらいは守れる。
ただ、守り過ぎると、守られる方は強くなれず、守ってくれない親のおかげで強くなった者は少なくない。
そして、もっと広く守ろうと思ったとしても、物質的世界で守れる範囲は、ほぼ財力と権力に比例する。
女性でも、クレオパトラのように強大な力を持った人もいるが、彼女の人生は苦しいものだったし、特に、権力を失った時の転落振りは悲惨だ。
ところで、私には守りたいものがない。
世界中の子供達や、動物や自然は良いものだと感じはするが、私に守る力などない。
私が初音ミクが好きなのだって、彼女に自我がないという理由からだ。
では、私に、生きている意味があるのだろうか?
どうも、何もないような気がする。
『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニとカムパネルラは、他の人の幸いのために、何でもしたいと思っていたが、私は、そんなことはしたくないと言うよりも、やはり、そんな力はないと思っているのだ。
だが、私は、虫けらのように扱われている人達を放っておきたくはないと思う。
私が守ることはできないが、虐げられた人は、強くなるべきなのだ。
そして、その方法なら、私には分かるのである。
それには、感覚を外に向けず、内に向けることだ。
無論、人間も動物である限りは、目を閉じ、耳を塞いで生きている訳にはいかない。
だが、それを最小にするのだ。
そのためには、思慮分別を離れ、ただ、見えるままに見、聴こえるままに聴くことだ。
そして、自分に意識を集中することだ。
自分の心を、黙ってじっと見張るのである。
すると、いつか、内側から、あなたに囁く声を聴くだろう。
その時、あなたは捕らえられたのである。
そして、知るのだ。
捕らえられた者と捕らえた者は一体なのであると。
そうなれば、あなたに敵対できる者など、絶対にいない。
美食に強い興味を持っていれば、意識は外側に向かい、あなたは内なる真の自己との関係を築くことができない。
だが、あまりに少食でも、やはり食物に強い関心を持ってしまい、意識は内側に向かない。
断食行者が、普通の人以上に、生臭く、傲慢なのはそのためだ。
だから、我々は、適度な食事をしなければならない。
それは、『バガヴァッド・ギーター』にも、書かれていることだ。
同じように、適度に眠らなければならない。
本当に言っておくが、意識を内側に向ける度合いが大きいほど、確実に大きな力を持つのである。
あらゆる聖典の教えは、全てこれなのである。
これは確実に本当のことである。
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