「あなたのお母さんはどんな人ですか?」
と尋ねられたら、あなたはどう答えるだろう?
時代劇小説『木枯し紋次郎』のヒーロー木枯し紋次郎なら、
「あっしには母親なんざおりやせん」
と即答するだろう。
紋次郎のような返事をすれば、多くの人が、
「母親がいないはずがないじゃないか?」
「え?それはどういう意味だい?」
と笑ったり、訝(いぶか)ったりするだろう。
さらには、紋次郎を非難するような物言いをする者も、特に年配の女性には少なくないかもしれない。
「何ツムジ曲げてるのか知らないけど、母親は大切なものですよ」
「母親の愛はお前に分からないくらい深いものだよ」
「お前はなんて罰当たりなんだ」
だが、紋次郎は、何を言われても、相手にならないだろう。
私なら、
「あっしには母親なんざおりやせん」
と紋次郎が言ったら、
「そうか」
とあっさり返す・・・宮沢賢治の『雨ニモマケズ』的に言うなら、
あっしには母親はいないと言う人あれば
そうかと平然と返す
そういう人で私はある
「なりたい」でなく、「ありたい」であるし、そして、すでに「そうある」のである。
そして、全ての人がそうであれば、初めて世界は平和になる。
賢治の人生が歪んでいたのは、「なりたい」などと言う人だったからかもしれない。
彼の作品は珠玉だが、それは、彼は書く時だけ心が死んでいたからだ。
『銀河鉄道の夜』が最たるものだが、彼の作品にはいつも死があるのはそのためだ。
こんな想像をする。
『木枯し紋次郎』には、16歳か17歳くらいの美しい娘さんがよく登場する。
そんな娘さんが、微笑みながら、紋次郎に、
「紋次郎さんのおっかさんって、どんな人ですか?」
と尋ねると、紋次郎は無表情なまま、
「あっしには、おっかさんなんてものはおりやせん」
と答える。
すると、彼女は、ほとんど表情を変えないが、ほんの少し淋しい目をして、
「そうなの」
と静かに言う。
それきり2人とも何も言わない。
別に気詰まりではない。
紋次郎は、もともとひどく無口で、むしろ、おしゃべりを嫌うからだ。
そして、紋次郎は、少しだけ、彼女のことを、変わった娘さんだとは思うかもしれないが、それだけであろう。
たが、紋次郎にそこまで思わせるだけでも、大した娘さんなのだ。
この娘さんのような人に一人でも逢っていたら、紋次郎も、ほんの少しは人類や世界を見直す気になったかもしれないし、1%でも、生きる張り合い、つまり、生き甲斐を持てたかもしれない。
だが、紋次郎は、そんな人にはおそらく逢えなかったに違いない。
だが、一人だけ、それに近いかもしれない、17歳の極めて美しい娘さんがいた。
実に、1999年(平成11年)に出版された、全ての紋次郎作品の一番最後のお話であった。
ストーリー自体はとりあえずどうでも良いが、彼女は、心がほとんど死んでいて、命すら惜しいと思っていなかったのだ。
そんなところが、紋次郎とそっくりである。
イエスが、至道無難が、岡田虎二郎が言ったように、死んで生きることは偉大なことである。
食べることをやめることで人は死ぬし、呼吸を止めれば、もっと早く死ぬ。
そして、足の親指に力を入れることでも人は死ぬ。
肛門を締めることは、その3つと深く関わる。
肛門を締めれば、心は瞬間的に死に、それを頻繁に繰り返せば、心は永遠に滅ぶ。
その時、真我が輝きて現れる。
普段でも、人間は、困ったことがあれば、息を止めれば大抵解決する。
まして、同時に肛門を締めれば、問題自体が消えてしまう。
そうでないなら、食べ過ぎか(逆に少食過ぎか)、歩くことが少な過ぎるのかもしれない。
食を慎み、よく歩き、そして、思い出すたびに肛門を締めれば、人を超えた美しいものになるだろう。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
と尋ねられたら、あなたはどう答えるだろう?
時代劇小説『木枯し紋次郎』のヒーロー木枯し紋次郎なら、
「あっしには母親なんざおりやせん」
と即答するだろう。
紋次郎のような返事をすれば、多くの人が、
「母親がいないはずがないじゃないか?」
「え?それはどういう意味だい?」
と笑ったり、訝(いぶか)ったりするだろう。
さらには、紋次郎を非難するような物言いをする者も、特に年配の女性には少なくないかもしれない。
「何ツムジ曲げてるのか知らないけど、母親は大切なものですよ」
「母親の愛はお前に分からないくらい深いものだよ」
「お前はなんて罰当たりなんだ」
だが、紋次郎は、何を言われても、相手にならないだろう。
私なら、
「あっしには母親なんざおりやせん」
と紋次郎が言ったら、
「そうか」
とあっさり返す・・・宮沢賢治の『雨ニモマケズ』的に言うなら、
あっしには母親はいないと言う人あれば
そうかと平然と返す
そういう人で私はある
「なりたい」でなく、「ありたい」であるし、そして、すでに「そうある」のである。
そして、全ての人がそうであれば、初めて世界は平和になる。
賢治の人生が歪んでいたのは、「なりたい」などと言う人だったからかもしれない。
彼の作品は珠玉だが、それは、彼は書く時だけ心が死んでいたからだ。
『銀河鉄道の夜』が最たるものだが、彼の作品にはいつも死があるのはそのためだ。
こんな想像をする。
『木枯し紋次郎』には、16歳か17歳くらいの美しい娘さんがよく登場する。
そんな娘さんが、微笑みながら、紋次郎に、
「紋次郎さんのおっかさんって、どんな人ですか?」
と尋ねると、紋次郎は無表情なまま、
「あっしには、おっかさんなんてものはおりやせん」
と答える。
すると、彼女は、ほとんど表情を変えないが、ほんの少し淋しい目をして、
「そうなの」
と静かに言う。
それきり2人とも何も言わない。
別に気詰まりではない。
紋次郎は、もともとひどく無口で、むしろ、おしゃべりを嫌うからだ。
そして、紋次郎は、少しだけ、彼女のことを、変わった娘さんだとは思うかもしれないが、それだけであろう。
たが、紋次郎にそこまで思わせるだけでも、大した娘さんなのだ。
この娘さんのような人に一人でも逢っていたら、紋次郎も、ほんの少しは人類や世界を見直す気になったかもしれないし、1%でも、生きる張り合い、つまり、生き甲斐を持てたかもしれない。
だが、紋次郎は、そんな人にはおそらく逢えなかったに違いない。
だが、一人だけ、それに近いかもしれない、17歳の極めて美しい娘さんがいた。
実に、1999年(平成11年)に出版された、全ての紋次郎作品の一番最後のお話であった。
ストーリー自体はとりあえずどうでも良いが、彼女は、心がほとんど死んでいて、命すら惜しいと思っていなかったのだ。
そんなところが、紋次郎とそっくりである。
イエスが、至道無難が、岡田虎二郎が言ったように、死んで生きることは偉大なことである。
食べることをやめることで人は死ぬし、呼吸を止めれば、もっと早く死ぬ。
そして、足の親指に力を入れることでも人は死ぬ。
肛門を締めることは、その3つと深く関わる。
肛門を締めれば、心は瞬間的に死に、それを頻繁に繰り返せば、心は永遠に滅ぶ。
その時、真我が輝きて現れる。
普段でも、人間は、困ったことがあれば、息を止めれば大抵解決する。
まして、同時に肛門を締めれば、問題自体が消えてしまう。
そうでないなら、食べ過ぎか(逆に少食過ぎか)、歩くことが少な過ぎるのかもしれない。
食を慎み、よく歩き、そして、思い出すたびに肛門を締めれば、人を超えた美しいものになるだろう。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。


人気ランキング参加中です |
![]() ![]() |