絶対に勝ち目のない戦いを描いたような映画などを見たことが一度はあるのではないかと思う。
何度か映画が制作されている、H.G.ウェルズのSF小説『宇宙戦争』では、科学技術で圧倒的・・・いや、絶望的な差がある宇宙人を相手に戦うことになってしまう。
『インデペンデンスデイ』もこのウェルズの原作を元にしたもので、侵略者である宇宙人のあまりのテクノロジの高さに、人類はほとんど何もできない。
今はもうあまり知っている人もいないかもしれないが、ジョン・トラボルタが制作した(敵の宇宙人役で出演もしている)『バトルフィールド・アース』では、30世紀の地球の軍隊が9分しかもたずに破れたサイクロ星人を相手に、生き残りの、文明を忘れて原始的な生活を送るわずかな数の人類が、地球奪還のためにサイクロ星人に挑むのである。
他にも、沢山思い浮かぶものがあるが、この程度の紹介にとどめる。

これほどの力の差がある相手に対し、どう戦えば良いのだろう。
このテーマについて考える場合、集団戦より、個人戦の方が分かり易いかもしれない。
『木枯し紋次郎』で、紋次郎は、何度か、正統な剣術を学んだ武士を相手に戦っているが、その中でも、剣術の達人とまともに1対1で戦う羽目になったものがある。
紋次郎は強いとはいっても、全く自己流のデタラメな剣で、剣術を収めた相手にまともに戦っては絶対に勝てないことは百も承知だ。
紋次郎は貧しい農家の生まれで、幼い時、食べるものがなく、餓えてガリガリに痩せ、明日まで生きていられるかどうか分からないという育ち方をしたが、武士の剣士は、生まれた時から、少なくとも、衣食住に関しては満ち足りた中で、みっちり剣術を仕込まれているのだから、仕方のない話だ。
しかも、剣の素質のある武士の子は、長きに渡って特別訓練を受け、腕を磨きに磨き、究極のレベルに到達する。
その奇跡のような剣技を持つ武士に対し、紋次郎が相手になれるはずもない。
だが、そんな武士が、こともあろうに、紋次郎にはっきりと挑戦してきて、紋次郎は戦うしかなくなってしまう。
それまで相手にした武士は、堕落して多少は腕が錆び付いていたりで、紋次郎は知略で切り抜けていたが、その時は、本物の達人が相手だった。
どんな奇策も通用しそうになく、紋次郎は敵わぬと分かっていても、正面から戦うつもりだった。
無論、紋次郎は「これで死ぬ」とはっきり意識していた。

さて、戦いを決めるものとは何であろう?
紋次郎は、達人剣士を相手に、「腕、経験」という、戦いを決する重要な2点で、比較にもならないほど、完全に自分が劣っていることをはっきり認めていた。
ならば、戦いにすらならない。
果たしてそうであろうか?
この話の前の話である『雷神が二度吼えた』で、紋次郎は、やはり絶体絶命のピンチに立っているものがあるが、これが伏線になっている。
ところで、1963年の漫画・アニメ作品『8(エイト)マン』の正統な続編である『8マンインフィニティ』(2004年~)で、「陰の8マン」である8マン・シェイドは、圧倒的な攻撃力や、スピードを持つアンドロイド達を容易く叩き伏せた後で、
「戦いは火力や速さで決まるのではない。自ら状況を作り出せるかどうかだ」
だという。
そして、それができるのは、「より強い意志を持つ者」なのだと言う。
上に挙げたものは全て想像作品ながら、人間が創ったものは現実そのものなのである。
「より強い意志を持つ者が勝つ」という鉄則は、どんな時代のどんな場所でも、地上でも宇宙でも変わらない。
あらゆる創造物、ことに芸術は、より強い意志を学ぶために存在するのだと思えば、それを知ることができるのだと思う。

『木枯し紋次郎』の上記のお話は、11巻『賽を二度振る急ぎ旅』にある(『雷神が二度吼えた』も収録)。
古書の文庫、または、Kindle(電子書籍)で読むことができる。









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