岡本太郎の著書『今日の芸術』は、やや以前の日本の芸術家なら、誰もが読んだものらしいし、今でもその価値は衰えないばかりか、ますます高まっている。
ところで、この本に、「あなたも本日ただいまより芸術家になれる」と書かれている。
このことに違和感を感じるなら、世間の偏見に染まり、一般大衆の教義、信念に平伏しているということだ。
人間は本来、芸術家であり、芸術家でないなら人間ではない。
そして、自分が芸術家であるかどうかの見極めだが、何かの行為を無償で熱心にやれるなら、何の問題もなく芸術家であると言える。
芸術とは無償の行為である。
ゴッホは1年365日、2日に1枚以上のペースで猛烈に描き続けたが、作品は1枚も売れなかった(1枚だけ、今日の数万円程度で予約があったらしい)。
宮沢賢治も、沢山の珠玉の作品を残したが、一度だけ、やはり今日の数万円くらいの原稿料を受け取っただけらしい。
ゴッホは全く働かなかった。
賢治も、病弱だったこともあるが、ほとんど働いていない。
だが、ゴッホは、弟テオが全面的に援助してくれたし、賢治は実家が金持ちで、経済的には不自由せず、ささやかではあったが美食を楽しんでいた。
これらも、芸術の神のご加護のように感じられる。
ピカソやウォーホールのように富豪になった例もあるが、それは、たまたまだと思った方が良い。

芸術は無償の行為だし、熱心に行う無償の行為は何であれ芸術だ。
極端に言えばだが、もし、泥棒行為自体が楽しく、報酬を問題としていなければ、彼にとっての泥棒は芸術である。
ある有名なミュージシャンが、「ミュージシャンというのは、街角でハーモニカを吹いていれば満足できるような者だ」と言ったが、これが芸術家の真の姿を完全に表している。
南方熊楠は、その天才的な能力で無償の研究を続けた。彼の科学は芸術である。
アインシュタインは高額の収入があったが、相手が誰であっても、金を無心されて(乞われて)断ったことがなかったし、彼自身は金をあまり必要としていなかった。
やはり、アインシュタイの物理学も芸術だった。
小説の話ではあるが、『木枯し紋次郎』のヒーロー紋次郎が、あてはないが、常に風に乗ったような速さで歩いて旅を続けたことが、本人には全く自覚がなくても、彼の人生そのものを芸術にしている。
『神様のメモ帳』に登場する、愛すべきニート達は、ニートであることを自覚しながら、ジゴロ(フランス語。男妾、ヒモのこと)、ギャンブラー、ミリタリーオタクを熱心にやっている。彼らはもちろん芸術家である。
今日見られる明晰な芸術は、初音ミクの楽曲や動画等の制作であると思う。

我々も無償と決め込み、自分のやるべきことを熱心にやれば良い。
それが芸術であり、人間であることである。
そして、芸術の神は慈悲深い。
芸術のためなら、生活の面倒は見てくれるだろう。









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